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 その夜、教皇宮にはすべての黄金聖闘士が集結していた。
 ほどなく、国内視察に出ていたアテナも来るという。
 聖戦直後以来の珍事に、みな、一体何が起きたのだろう、と想像を掻き立てられていた。
 「ハーデスに次ぐ強大な敵が出現したのではないか?そうとなれば、黄金聖闘士の出番だ。我らがアテナに、指一本でも触れさせるものか!」
 そう息巻いたのは、愚直なまでに武人気質のアイオリアである。
 「そのように軽々しく強大な敵が現れるはずはないと思うがね。」
 「むう…。では何だというのだ?」
 「それがわかれば、こうして意見をかわしておらぬよ。」
 シャカは諭すように呟いてから、目を閉じたまま周囲の小宇宙を探った。
 ほとんどのものは、今回の召集の意図がわからず、困惑している様子だったが、三人だけ、反応の違うものがいた。デスマスクとムウ、それにカノンだ。
 どうやらこの三人は事情に精通しているらしい。
 カノンとムウの表情が不可解ではあるものの、デスマスクがにやにや人の悪い笑みを浮かべているので、シャカには、どうせたいしたことはあるまいという予想があった。この場にいないミロの進退に関わることならば、ミロのことを弟分として可愛がっているデスマスクがこのような態度をとるはずがない。
 はるばる中国から呼び付けられた童虎も、今回の招集を面白がることに決めたようだ。空路では間に合わず、陸地を横断してこなければならなかったので、こうなれば楽しんだ方が得策だと考えたのだろう。シャカはもっともな反応だと思った。
 知の聖闘士と呼ばれ、常ならば誰よりも頭が冴えているはずのカミュなどは、この緊急招集に、もともと覚えていた不安を強めたらしい。どれだけ意見を求められても首を振るだけで口を利こうとしなかった。クールに徹そうとしながらも徹しきれない友人の甘さを、シャカは好ましく思った。


 そのとき、強大な小宇宙が近付くのを悟った面々は、一斉に口を噤んだ。
 衣擦れの音が響き、教皇とサガを伴った幼き女神が姿を現した。アテナはいぶかるように黄金聖闘士たちの顔を見てから、教皇に促されるまま玉座へ腰を下ろした。
 「…みな、いるようですね。」
 アテナはひとりごちると、隣に畏まるシオンを見やった。
 「それでシオン、大事な話というのは何なのでしょう?」
 「私が説明するよりも、実際に拝見していただく方が早いかと存じます。」
 そう応えたシオンは、先ほどアテナが姿を表した扉へと一瞥投げかけた。そこには、黄金の巻き毛を持つ女聖闘士の姿があった。
 「あっ、あれは…っ!」
 驚愕に打たれ言葉を失ったアイオリアの台詞を、隣のアルデバランが引き継いだ。
 「どういうわけか女のなりをしているが、間違えるはずがない。蠍座の黄金聖闘士、ミロではないか!」
 実に解説的な台詞である。
 アルデバランの言葉で、みなが事態を呑みこんだ。どういうわけかまったくもってわからないが、ミロは女になってしまったのだ。どおりで、最近姿を見なかったわけだ。
 カミュの張り詰めていた表情が和らいだ。思いつめる傾向にあるカミュは、すでに親友は死んでいるのではないかという疑念を抱いていたようだ。長い付き合いである。ミロはそんなカミュの懸念を晴らすように頷いてみせた。
 しかし、ミロの余裕もそこまでだった。
 やがて、同僚の視線を一身に浴びることに居心地が悪くなったらしい。まじまじと見られるものだから尚更だ。もともと、聖域から雲隠れを試みるくらいなのだから、見られたい姿でもなかったのだろう。屹然と上げていた顔が赤らんできた。
 そんなミロの様子に、デスマスクが噴き出した。デスマスクはミロが強いてしかめ面らしくしていることが、おかしくてたまらないらしい。ミロはデスマスクを黙らせようときつく睨みつけたが、効果はなかった。
 ここまで来ると、もはやアテナの面前も気にならない。血気盛んなミロがデスマスクに噛みつくいつもどおりの応酬である。
 しかし、にわかに気色ばむミロを、童虎の一言が制した。
 「ミロが女になったのはわかった。しかし、その程度のことで全員招集とは…いささか腑に落ちんぞ、シオンよ。」
 「私が説明したのは状況だけだ。あとはサガが話すだろう。」
 シオンの許可を受けて、サガがアテナの前へ進み出た。そのあまりの沈鬱な小宇宙に、その程度発言がツボに入ったデスマスクですら笑声を呑みこんだ。もとより、デスマスクはサガに対して篤く忠誠を誓っている。
 サガは眉根を寄せたまま、心苦しそうに口を開いた。
 「アテナよ、このサガの命に代えましても、お許しいただきたいことがあります。」
 思いがけないサガの言葉に、アテナが顔を曇らせた。
 「命に代えても、とは穏やかではありませんね。言ってごらんなさい。」
 「もはや一刻の猶予も許されていないのです!」
 いまやサガの頬には滂沱の涙が流れていた。
 何となく、嫌な予感がしたのも事実である。
 顔色を失ったミロと、事情を知るムウの視線が交わった。ミロもムウも、サガの思い込みのせいで大変な目にあっている。念話を用いる必要もないほど、一瞬で意志疎通が図られた。
 すでに自分の状態を知っているムウに対しては、ミロも色々なことを相談していた。当然、その中には、昼間に見た幻覚も含まれている。
 きっと幻覚を見たに違いない、と、楽観視したがるミロをムウはあれだけ窘めたではないか。
 やはり、これは良くない事態だ。
 さっとミロは視線を走らせた。相向かいに位置するカノンは、緊迫感に欠ける様子で、兄の発言の意図を理解しかねるのか眉をひそめている。自分が止めねばならないという状況を察したミロは、眼前のサガへ手を伸ばした。
 しかし、必死の制止も虚しく、サガが叫んだ。
 「どうか我が不肖の弟がミロを娶る許可を…っ!」
 動揺が走った。
 衝撃でもあった。
 今や、教皇の間には沈黙が落ちていた。ミロにとっては実に耳に痛い沈黙だった。
 ミロはやり場を失った手を引っ込め、再び、ムウを見やった。わけがわからなかったのだ。
 ムウは肩を竦めていた。
 諦めろ、ということらしい。
 「…娶る?誰が誰を?どうも俺は聞き間違いをしたようだ。」
 場違いなほど大きく響くアイオリアの問いかけに、憐れみを催したシャカが小声で答えてやっていた。
 「カノンがミロを娶るという話のようだが。」
 似たようなやり取りがあちこちで起きる中、サガがアテナの前に膝をついた。サガの乱を彷彿とさせる暴走ぶりだった。サガは地面へ両手をつくと、涙ながらに嘆願した。
 「二人が婚前交渉に踏み切ったのは、ミロの性別が変わった事実を伏せ、秘密裏にことを進めようとしたこのサガの不徳のなすところ…カノンとミロに咎はないのです!」
 ミロは脇を突かれ、後ろを振り向いた。親友のカミュだった。
 カミュは困惑した様子で、ミロに問いかけた。
 「…ミロよ、踏み切ったのか。」
 「そんなはずがなかろう!」
 親友の身を心から慮っての一言だとわかるがゆえに、ミロは深く傷ついた。
 サガの暴走は続いた。
 「我が愚弟のことなれば、たった一度の過ちといえど、孕まぬはずがありません!」
 ひどい言いようだ。
 そもそも、そのような過ちがあった事実もない。
 「…サガの弟に、そのような甲斐性があるとも思えないが。」
 ぽつりと呟いたのは、事態を静観していたアフロディーテだった。
 「しかし、聖闘士の手本たる黄金聖闘士がそのような不始末…もはや、もはや…一刻の猶予も残されてはいないのです!一刻も早く、挙式の許可を!」
 発言に違わず、サガはカノンとミロのためならば命も辞さない様子である。
 ミロはそんなサガを前に、どう声をかければ良いのかわからなかった。このような馬鹿騒ぎに命を賭けられるなど、はっきりいって迷惑以外の何ものでもないのだが、思い込みの激しいサガが聞き入れるはずもないだろう。
 ここで自害でもされようものなら、後味が悪いことこのうえない。
 他の黄金聖闘士たちも、同様の想いを抱えているらしい。サガを無二と慕うシュラですら、対応に困っていた。
 ただ一人カノンだけが、兄の言動に呆れかえりながらも、初めて向けられた真実の家族の情に言葉を詰まらせていた。
 いつしか教皇の間から囁き声は消え、サガの嗚咽だけが響いていた。


 誰もが黙りこむ中、重苦しい沈黙を破ったのはアテナだった。
 アテナは泣き伏せるサガの元へ駆け寄ると、慈母に相応しい優しさでサガの肩に手を置いた。
 「サガ、顔を上げてください。」
 「しかし、アテナよ…。」
 「あなたの心はよくわかりました。」
 アテナの声はわずかに震えていた。
 その眦に光るものを認めたミロの胸は怪しく騒いだ。アテナの慈しみに溢れる眼差しは、カノンへスカーレットニードルを施したミロの真意をカノンと語らったときのものと同じだった。アテナは眦の涙をそっと拭いとると、サガの手を握り締めた。
 「サガ、私はあなたのカノンとミロを想う心を心から嬉しく思います。」
 「アテナ…。」
 「確かに、あなたが事実を伏せていたために、ミロの行方がわからず不安に駆られもしました。カノンとミロのためを思って施した秘術が失敗したのか、それとも、余計なお世話だったのではないかと本当に心配したのですよ。」
 柔らかな笑みをこぼしてサガの行為を咎めるアテナの発言に、ミロは真顔でムウを見つめた。ミロのこめかみを一筋の汗が伝い落ちた。
 『ムウよ、これはどういうことなのだ…?まさか……?』
 ミロの念話を受けて、ムウが苦渋の表情で頷いてみせた。ムウの額にも汗が滲んでいた。
 『…どうやら、そのようですね。』
 何ということだろう。
 衝撃の事実だ。
 元凶はアテナだったのだ。
 どれだけ人界の書を捲ろうとわからないはずである。神の奇跡は、人間の範疇ではない。どうにかして理論を解き明かしたところで、真似することなど絶対に不可能だ。奇蹟は神が手にかけるからこそ奇跡と呼ばれることを、聖闘士であるミロは誰よりも理解していた。
 ミロは驚天動地の思いで、うっとりと語り始めたアテナを凝視した。
 「2週間と少し前…そう、私が日本へ戻る前のことでした。シュラからカノンの気持ちを伝えられていましたね。あなたはとても驚いていましたが、私はそれも道理だと思ったのでした。そう、昼に太陽が光り、夜には月が地上を照らすように自然のなりゆきだと…。ああ、サガ、あなたにも見せてあげられればどんなに良いことでしょう。ミロがカノンを許したときの感動は言葉に尽くせるものではありません。」
 心持ち頬を赤らめ、夢見る乙女そのもののアテナは、自らも涙しながら、感涙するサガを立たせた。
 「あなたたちの幸せが私の幸せなのです。こうしてカノンとミロが幸せになることができて、私はとても嬉しく思います。しかも、二人の間に子どもが生まれるなんて、なんと喜ばしいことでしょう!子どもの洗礼は是非、シオンにやってもらいましょう。」
 手を打って喜ぶアテナに、シオンが無言でかしずいた。
 「これはめでたいのう!」
 童虎が額に手をやり、呵々大笑した。
 「よくわからないが、めでたいことなのだな!」
 空気を読んでいるのか、いないのか、真意のよくわからないアイオリアが言った。
 ミロもここは聖闘士として感動すべき場面なのだろう。
 それはわかる。わかるのだが、当事者であるがゆえに、感動できなかった。
 夢見がちなところのあるアテナは、それがどのような事態を招くか、巻き込まれたものがどう思うかろくに考えもせず、己が為すべきと信じたことを為したに違いなかった。
 ともあれ、話は決まった。
 アテナが白と言えば、黒も白くなるのがこの聖域の流儀である。
 シオンはうろたえる小僧どもを一瞥のもとに黙らせ、声を大に叫んだ。
 「――では、決まりだ。サガたっての願いを赦し、挙式は明日、この教皇の間で執り行うこととする。大盤振る舞いだ。良いか、小僧ども!許可を下してくださったアテナに恥じぬ立派な式を心がけるのだぞ!」
 さすがは230年間もの長きにわたって、教皇を務めてきただけのことはある。非常な威圧感だった。シオンは呆然と立ち尽くしているカノンに鼻を鳴らすと、ミロを睨みつけた。余計な一言でも漏らそうものならばその言葉を発そうとした瞬間にスターダストレボリューションで息の根を止めてくれる、と、シオンの目が告げていた。
 「ミロもそれで良いな?」
 シオンの無言の圧力に気圧され、ミロも頷くしかなかった。










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初掲載 2012年11月20日