「では、…はい。そりゃもう、わかっていますとも。…はい、それでは。」
セバスチャンは無表情ながらも内心にんまりしつつ小太りの男を見送った。
少しの犠牲と少しの労力で得られる、かなりの額の報酬が記載された小切手を手に。
「なあ、オカシイと思わないか?」
Aの言葉をBはもっともだと思ったし、何故自分はこうも易々と信じてしまったのだろう? と思いはしたが、それは多分にボーナスが良かったからだった。何より、セバスチャン直々の話で、断れなかったこともある。Bはぼんやりとそのようなことを考えながら、無意識のうちに胸のぼんぼんをいじった。
今日はクリスマスイブ。ここフランク○ルトでも賑わいを見せるイベント日である。
ことの起こりはさかのぼること昨日の23日。明日はクリスマスイブだからということで、一年分の給料に値する小切手を手に、セバスチャンは執務室でBに言った。
「お前、サンタクロースの格好しないか?」
「サンタ…ですか?」
「ああ、一応Aやツネッテもすることになっているんだが。一応、皆に直接頼んでいるんだ。」
皆、という言葉に惑わされたせいもある、とBは思う。しかし、それ以上に特別手当に目がくらんでいたのも確かだ。
給料一年分。
デーデマン家の給料はもの凄く良い。それの一年分といえば、宝くじ一等当選並に幸せな気分になれる威力を備えている。ユーゼフさま関係以外では、セバスチャンの次に冷静沈着なBのまともな思考を奪う程度には。
「みんなするんでしたら…。」
多少言葉尻を濁らせながら返答したBに、セバスチャンが瞳を光らせたのを、幸か不幸かBはその日、気づけなかった。
そして翌日である今日は、セバスチャンが頼んだエステに行かされ、うやむやの内にミニスカのサンタクロースにさせられた。いつか大旦那様の催した扮装パーティーのような出来映えだ。勿論、エステやらサロンやらで、あの日よりも出来は随分と良かったが。
「何でお前らは普通のサンタクロースなんだ…。」
地を這うような声でなされた質問に、ツネッテは構えていたデジタルカメラを下ろして言った。
「騙されたのよ、アンタが。わたし達別にボーナスなんてこの格好してももらってないものね、A。」
「う、うん。」
何だかそわそわ落ち着かないAに、過去の仮装時の「結構タイプかも。」という台詞が思い出され、Bは鳥肌を立てつつAを強かに殴りつけた。
「それにしても良いわねー。エステもサロンもどこも有名なところじゃない!」
男であるBにはわからなかったが、連れて行かれたところはどうやら有名高額エステ・サロンばかりらしい。こんなに部下に金をかけるだなんて、何があるんだセバスチャン、と勘ぐりたくなるのはしょうがないだろう。今更勘ぐったところで、かなりそれは遅かったが。
「案外Bくんの女装姿にハニー惚れてたりしてなー。」
デーデマン家専属コックであるディビットが、ほわわんと言い放った。
「え?!それって、恋の始まり?!」
「えええ?!!!」
何やら瞳を輝かせてブラックファルコンに電波を送信し始めたツネッテの嬌声と、焦りの声を上げるセバスチャンおたくAの叫び声は、見事なコントラストを為していた。
「まー、俺はそれでも全然構わないんだがな。両方好みだし。でもなー、実際どうなんだろうなー?」
何だかすごいことをデイビットがさらっと言った気がしたが、思考回路が停止していたBの耳に届くはずがなかった。勿論、ツネッテはちゃんと聞いており、悶えていたが。
そのときである。突然、Bがデイビットに抱きついた。沸き上がるツネッテの悲鳴、そして。
「やあ、おじゃましてるよー…って、ん?」
ユーゼフが現われた。
扉が一つでそこをユーゼフに抑えられ、逃げ場がなく縮こまるBをユーゼフはじーっと眺めた。
「…?何だか面白いことになってない?」
「だろー?ハニーお手製なんだ。」
お手製って何だ?!とツッコミが入る前に、ユーゼフが一歩前に乗り出した。
「何だか面白そうだから、Bくん、借りてって良いかな?」
「んー?そういうことはちゃんとハニーに聞かなきゃ駄目だぞー?」
「セバスチャンさえ説得出来れば良いんだね?ふふ、その程度のこと僕に出来ないとでも?」
勝手に為されていく会話の内容を、恥と恐怖で今にも死にそうなBはちゃんと聞いていなかった。聞いてさえいれば、どうにかしてでもすぐさま逃げ出したろうに。
ただ、陽の気を持つデイビットの傍にいれば安全だと思いこんでしまっていた。
「じゃあ、聞いてくるよ。」
ばたんと閉じた扉の向こうにユーゼフの姿が消え、Bはほっと息をついた。誰も、ユーゼフがまた戻ってくることをBに伝えられなかった。理由は単純明快。Bを逃がしたなどとあってはユーゼフに何をされるかわからないし、何より、Bが逃げたところで逃げ切れるなどとは思えなかったからだ。
当然というか、数分でユーゼフは戻ってきた。
広すぎる屋敷でどのようにセバスチャンを捜し、どのように説得し、どのような速度で戻ってきたのか。かかるであろう時間と実際の時間とがかなり異なったが、そこは各々の精神のため、考えない方が得策だ。
「結論から言えば、貸してくれるってさ。さ、Bくん行こうか!」
ふんふんと鼻歌を今にも歌い出しそうなユーゼフは、デイビットの後ろに隠れていたBを抱き上げた。俗に言うお姫様抱っこである。これでツネッテが喜ばないわけがない。熱に浮かされシャッターを切りまくるツネッテに、ユーゼフは言った。
「あとで焼き増しして、僕にもちょうだいよ。ジャパン製のデジカメは精度良いよね。」
「はい!必ず届けます!!」
鼻息荒く拳を固めるツネッテの前で、ユーゼフは気前よくいくつか写真用にポーズを取った。Bは、何が起こったのかわからず、幽体離脱しかけていた。
「じゃ、来年返すから」
「おう、じゃーなーBくん。ユーゼフさまも良いクリスマスと良いお年をー。」
「頑張ってね!B!!」
「…良いな、B、休暇ー…。」
ここで漸くBははっとした。自分が今まさに売られていくドナドナ状態であることを、悟ったのである。
「たっ、助けろよ!」
「ごめんなさいねー、B。命は惜しいもの(それに、オイシイネタだし…っ!)」
「オレもまだ死にたくない。」
「悪いなー、Bくん。ハニーが決めたなら、俺にはどうしようもないなー」
Bを見捨て、ユーゼフを肯定する言葉の数々に、ユーゼフは満足そうに微笑んだ。完成されたものを感じさせる神懸かり的な美しい笑みだったが、それはどうみても悪魔の笑みにしか見えなかった。
「さ、行こうかBくん。」
「お、お前ら!枕元に出てやるからな!」
それがデーデマン家使用人の聞いた、Bの年内最後の言葉になった。
「まさか死なないわよね…?」
「たぶん、大丈夫だろ…?」
「あれが最期の言葉だなんて、洒落にならないよなー。」
あくまでデイビットは明るかった。
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初掲載 2005年12月14日