扉を開けると、甘い香りが鼻についた。ファリスは、執務の間に自室に届けられていた数々の花を一瞥し、迷惑そうに溜め息をこぼした。ついと花に手を伸ばせば、想像通り、メッセージカードが紛れ込んでいる。読むまでもない。花以上に甘く、そして、バリエーションに乏しいであろう愛の言葉が記されたラブレターだ。最初のうちこそ、丁寧に一つずつ声に出して読んでは笑い転げて、レナにたしなめられていたこれらのメッセージカードも、今となっては、迷惑以外の何物でもない。ファリスは花を隣室に退け、ベッドに倒れ込んだ。不慣れな城での生活、不慣れな執務で、疲労困憊の身だ。今はこんなことに煩わされず、ただ、眠りに就きたかった。
もう昔のように、酒場で馬鹿騒ぎをして、些細なことで他愛もない口喧嘩をすることは出来ないのだろうか。それは、大それた夢なのだろうか。ファリスは顔を押し付けるようにして枕に埋めた。
エクスデスを倒し、世界に再びクリスタルが生じた後。ファリスは王位に就いた実妹レナを補佐するため、タイクーン城に残った。本来の素性からすれば住まうに相応しい城は、海賊の娘として育ち、その頭領として、光の戦士として戦いに明け暮れたファリスにとって、決して居心地が良い場所とは言えなかった。しかし、ファリスはレナに恥をかかせまいと、不慣れなドレスやヒール、ダンス、作法に苦心しながらも、立派な「女王の姉君」として振舞っていた。今にして思えば、立派に振舞いすぎたのだろう。レナと大臣が企画したあのデビュタントも拙かった。ファリスの本性を知るレナたちが目を丸くし、大喜びで歓迎したその装いは、ファリスの本性を知らない者たちからそれ以上の熱烈な支持を得ることとなった。
長らく行方知れずの姫君が帰還した。義賊として知られる海賊の頭領が姫君だった。父譲りのカリスマ性に加え、亡きお后を髣髴とさせる美貌。
デビュタントは、十代半ばの若い娘が行うものであり、婚期を逃したと捉えられかねない二十代の女が行う代物ではない。しかし、通例であれば遅すぎるそのデビュタントは、かえって、ファリスの落ち着いた雰囲気と完成された美貌を存分に発揮させたようであった。忽ちのうちに、ファリスの周囲は婚姻を望む男たちで溢れかえった。
本当に欲しい男は、「王族」として振舞うファリスとそれを取り巻く男たちに気後れしたのか、この一年というもの、タイクーン城に近づきすらしない。
あの日もそうだった。突然、「姫君」に戻されたあの日。ファリスが、他の男達からの申し込みを振り切って、せめて一曲ダンスを、と思えば、あの男はこそこそとこそ泥のように城から姿を消していた。クルルと二人で、ファリスを置いてきぼりにしたのだ。今思い出しても、腹の立つ過去である。
ふつふつと湧き上がる怒りを飲み込んで、ファリスは大きく深呼吸をした。疲れていると、どうしても上手く気持ちの整理が出来なかった。
世界がいまだ混迷期にある中、名君として名高い亡き父の跡を継ぎ気詰まりしている様子のレナのためにも、少なくともある程度タイクーンが平和という軌道に乗るまでは、この城に残らなければならない。かつ、最愛の妹レナの心証を悪くしないためにも、その姉たるファリスが、これからのタイクーンを担うであろう男たちを軽々しく振っていくわけにはいかない。
だが、このままでは、ファリスの方が参ってしまう。
何らかの手段を講じなければ。ファリスは強く瞼を瞑り、闇に落ちるように眠りに就いた。
初掲載 2009年4月5日