第十二話   転生パラレル


 政宗が幸村と電撃入籍を果たしてから、十日が経った。周囲の勧めもあり、保護者の同意の上での入籍だったので、電撃とは呼ばないのかもしれない。しかし、その突然の入籍がもたらした衝撃は凄まじく、今生においては一般人らしい感性を見せる三成などは若干引いているようだった。三成は幸村の断固たる決意を承知してはいたものの、政宗が二十歳を過ぎるまで、あるいはせめて高校を卒業するまで待つものと思い込んでいたらしい。反対に、あの兼続は、幸村からの報告に酷く驚いて見せた後、妙に納得した様子で祝辞を述べた。愛や義といった単語がふんだんに盛り込まれたその台詞を政宗は綺麗に聞き流したが、幸村はたいそう感銘を受けた様子で兼続と意気投合した。もしかすると、幸村はあれほど自分の想い人のことを厭うていた兼続が、最後の最後になって認めてくれた事実に感動していたのかもしれない。
 以降、一週間ばかりを雑務に費やし、昨日幸村のマンションへ仮住まい出来る程度に実家から荷物を移し終えた政宗は、欠伸を漏らすと大きく伸びをした。幸村の帰宅待ちなのだ。時計の針は、頂点で重なろうとしている。正直な話、政宗は一人寝てしまいたかった。だが、兼続や元走り屋メンバーと祝杯をあげると言って出て行った幸村が、いつにも増してそわそわと落ち着きのない様子だったのが気になっていた。勿論、政宗は、幸村の浮気を疑っているわけではない。最近、淡白に感じて不満を覚えないこともないではないが、忙しかったのだ。色事を覚えたばかりで何かと楽しみたい政宗と違って、単純にそんな気になれなかっただけだろう。政宗はこの不都合な事実に関して、決して口外するつもりはないし、幸村の方が積極的なので言う機会もないと思っている。しかし、政宗が幸村を心身ともに求めているのは紛れもない事実だった。
 高校はあと三ヵ月ほどで卒業してしまうので、このまま伊達姓で送ることが内々に決まっている。情深いところのある政宗だが、幸村と出会うまで女であることを半ば否定して生きていたため、知人こそ多いものの友と呼べるような存在はいない。前世の記憶を引き継いだせいで妙に達観しているところが、同級生を敬遠させているのかもしれない。それゆえ、姓が変わったことを報告する相手も担任以外になく、前世の知り合いや親戚に報告を済ませてしまえば、後は気楽なものだ。おそらく、この呑み会が終わってしまえば、式までは、幸村と二人だけの時間が出来るだろう。
 入籍の発端となったあの騒動以来、幸村は態度が妙だった。意識してのことではないだろうが、まるで何かを待ち受けているかのような、恐れると同時に喜んでもいるような態度を見せていた。それが今日ピークとなったわけだ。それは、政宗の杞憂であるかもしれないし、幸村にとってのマリッジブルーのようなものなのかもしれない。原因は不明だが、そのうち、ちゃんと話し合う機会も出来るに違いない。政宗は重たい瞼を擦ると、再び大きく欠伸を漏らした。そのときが到来するのが待ち遠しかった。


 どうやらそのまま、小一時間ほど眠っていたらしい。
 政宗が目を開けると、そこは寝室だった。灯りの消された室内は、闇と静寂で満ちている。身じろいだ際、布団の間に入り込んだ空気のあまりの冷たさに、身を竦ませる政宗の肩を引き寄せて、幸村が掻き抱いた。幸村は入浴を済ませた様子ではあるものの、いまだ酒の臭いがしている。政宗はぼんやりそれを知覚しながら、手探りで幸村の口を探し当て、唇を押し当てた。やはり、呼気も酒臭い。久しぶりに羽目を外したものか、煙草の香りもした。
 「…どれだけ呑まされてきおったのじゃ。」
 次第にうとうとし始めた政宗の耳元を、幸村のくぐもった笑い声がくすぐった。文句を言ってやりたいところだが、思考に絡まる眠気がしがみついて離れようとしない。政宗は睡魔と戦うことを放棄すると、幸村に身を寄せて本能に身を任せた。


 翌朝、政宗は幸村の姿が隣にないので少しばかり気落ちした。これまで、政宗は男らしい他愛のない理想を恋人と演じようとする幸村のことを内心馬鹿にしていた。女は家事を取り仕切るためか、前世で政宗が思っていたよりよほど実際的である。しかし、前世において男だったこともあり、政宗自身にも多少男らしい夢見がちな部分が残されていた。クリスマスに贈るべく、慌てて、手編みのセーターの作成に取り掛かった事例にも、それは色濃く見て取れる。
 政宗は布団を抜け出すと、素足を撫ぜる冷気に身を震わせながら、何故、幸村がこんな仕打ちをするのか考えた。それは理不尽と言って良い怒りだった。だが、政宗の頭には、昨夜同様の事態に会ったとき温めてくれた幸村がある。加えて、政宗は幸村に兎角甘やかされていた。更に言ってしまえば、政宗は欲求不満だった。自分は求めているのに相手がそうではないらしい、その事実は政宗にこの上なく堪えた。意気消沈ほど、独眼竜に似つかわしくないものはない。結果、政宗は半ば自発的に怒りを奮い立たせることとなったのだ。
 しかし、その怒りも、自分のためにココアを準備している幸村の姿を目にした途端、霧散してしまった。現金なものだ。それとも、色惚けしているのだろうか。政宗は内心苦笑しながら、幸村の隣に腰を下ろした。
 平日の朝という時間帯もあって、テレビはニュース番組中心の構成となっている。政宗はそれを何とはなしに眺めながら、ココアに口をつけた。自主休講の利く大学生と実質休校扱いの受験生には、平日などあってないようなものだ。都合の良いことに、政宗は、今腰を落ち着けているソファがベッド代わりに成り得ることを実体験で知っている。そして、何より肝心なことに、政宗は欲求不満だった。
 「幸村。」
 政宗は夫となったものの名を呼んで、唇を重ねた。
 時折変なところで察しの悪い幸村にも解るように、それとなく、政宗が望むところを伝えると、幸村は何故か衝撃を受けたようだった。妙に固く畏まった顔つきでこのようにまじまじと見られれば、どんなに察しの悪いものでも何事かがあったのだと気付くだろう。しかし、政宗には思い当たる節がない。次第に政宗は狼狽してきた。
 「…わしは、何か拙いことをしたか?」
 「いえ、そういうわけではないのです。むしろ…もしかすると…してしまったのは、私の方ではないかと。」
 そのとき、初めて、幸村の愛情を信じて疑わなかった政宗の心に、隙間風が入り込んだ。前世で家族間の愛情に恵まれなかった政宗にとって、愛情ほど不確かで恐ろしいものはなかった。それは現世で両親に恵まれたこともあり、払拭されつつあった強迫観念だった。しかし、幸村はどうだろう。前世が男だったために不出来な女でしかない政宗を娶ってしまったことに関して、やはり誤った、と思っているのではないか。男心と秋の空。現在は女心で表されるその言葉は、政宗の時代にあっては、男心であった。
 もしかすると、本当に、変心してしまったのだろうか。
 「き、気がっ、か、変わったのか?」
 目頭が熱い。気を抜けば涙ぐんでしまいそうになる政宗の目から、その事実を見て取ったのか、今度は幸村が狼狽して政宗を抱き寄せた。
 「いえ、そのようなことは決してありませんっ!ただ、私は、」
 「…た、ただ?」
 眦を赤くして鼻を鳴らす政宗を見て、決心がついたのだろう。幸村は困りきった様子で問題を切り出した。
 「政宗殿…あの、大変不躾な質問で恐縮ですが。」
 そして、ごくりと咽喉を鳴らして、政宗に問いかけた。
 「………今月、生理が来ていませんよね?」
 「……………………あ。」
 これには、政宗の涙も引っ込んだ。


 今、正座して相対する政宗と幸村の前には、早期検査薬がある。昨夜、幸村が呑み会に行く前に、ドラッグストアで買って来た代物だ。とりあえず購入を決めたものの、どうやって検査をさせるか、幸村は買いに行く前から思い悩んでいたらしい。だが、それでは計算が合わない。幸村は政宗の生理の周期が来る前から、様子がおかしかった。それを政宗が指摘すると、幸村は幾らか困った様子で視線をソファに向けた。無言のうちに答えを示されて、政宗は顔を赤くした。そういえば、クリスマスに避妊具を着用しなかったことを思い出したのだ。ベッドへの移動を促す幸村を、待てないから、と政宗が引き止めたのが原因だった。あまつさえ、―――。
 後は墓穴を掘るだけなので、政宗は思考を止めた。言ってしまえば、非の大半は己にあった。
 「気付いたのは、実家で政宗殿にお会いしたときでした。政宗殿のお顔を拝見した途端、急に脳裏に浮かんだのです。」
 「お主…妙にあのとき、結婚に乗り気だとは思うておったが、それでか。」
 「いえ、勿論、政宗殿と一緒になりたい気持ちは、誕生日にプロポーズしたときから変わりはありませんし、子も設けられればと思っておりました!ですが、世間体のことも考えると…何と申しますか…出来ちゃった婚というのは…。…些か、体裁が悪いのではないかと。」
 会話を続けながらも、二人の視線は早期検査薬に向けられている。
 ふと政宗の脳裏に、幸村とこのような関係を持った頃に母が寄こした忠告が過ぎった。
 『信繁くんなら大丈夫でしょうけど。避妊はちゃんとしなきゃ駄目よ。困るのは信繁くんでもパパでもなくて、まーちゃんなんですからね。こういうのは女の側がしっかり気をつけないと。』
 確かに、母の見当どおり、幸村は大丈夫だった。問題は、政宗が堪え性のなかったことにある。別に、いつかはこの道を通らざるをえないと思えば大差ないように思えるが、計画性があったわけでもなく降って湧いた話だけに、戸惑いを禁じえない。
 初めて政宗が早期検査薬から視線を外すと、幸村と目が合った。幸村は困った風でいながらも、愚直なまでに喜びを隠し切れない様子だ。相方が頼りにならないことを悟ると、政宗は自分の短慮が産んだ結果に再度目を転じた。
 「…そもそも何故再会したのか。お主、覚えてないであろう。」
 政宗が幸村と再会したのは、受験のためであって、決して進学を阻まれるためではない。政宗は両親に何と言って良いものか、頭を抱えた。
 検査の答えは、陽性だった。










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初掲載 2009年11月8日