第十三話   転生パラレル


 その日、幸村は構内で待ち合わせていた男を、図書館裏の白木蓮の木の下でようやく発見した。白木蓮は、図書館と工学部校舎の間に植えられている。昨年改築が決定した工学部校舎は、現在白いカバーで全面を覆われているため、通りからだと白木蓮の位置は死角となっていた。それでも、幸村がどうにか男の居場所を突き止めることが出来たのは、文明の利器たる携帯電話のお陰ではない。白木蓮が、二人の共通点たる人物の気に入りの木だったからだ。
 「孫市殿。」
 呼びかける幸村に、孫市が振り返った。
 こうして会うのは、3ヶ月ぶりのことだろうか。その間にも、妻とは密かに会っていたようだが、と幸村は内心顔をしかめて、孫市に問いかけた。
 「何かご用ですか。」
 「ん?ああ、ガラシャが収録中で、暇が出来たからさ。…んだよ、用がなきゃ悪いか?」
 「いえ、決してそのようなことはありませんが。」
 だが、唐突に呼び出されたことに関して、違和感は禁じえない。孫市もそれがわかっているのだろう。
 「ま、用がないっつったら嘘になるんだけどな。」
 ぼやきながら、頭を掻いた。しかし、それっきりその用件を切り出す様子もない。孫市に促されて、幸村は歩き出した。
 学内は全面禁煙のため、煙草は吸うことが出来ない。そのため、待っている間に購買辺りで買って来たのだろう。孫市は珍しくガムを噛んでいた。決して行儀が良いとは言えないが、歩き煙草よりはマシだろう。苦虫を噛み潰したような顔で構内を見て回る孫市に、幸村は本当に孫市の意図するところがわからず訝った。
 わからないといえば、幸村には、孫市が昌幸に協力的な態度を示した理由もわからなかった。元々雇われの身とはいえ、孫市が昌幸に肩入れしなければならない理由はないはずだ。幸村もいずれは政宗を妻に迎えたいとは思っていたものの、あれほどすんなり事態が進むとも思っておらず、また、あれほどの急展開を望んでいたわけでもなかった。政宗に前世から地続きの想いを寄せる幸村には、政宗が自分との関係において前世の立ち位置に固執していることが十分理解出来た。非力な女に生まれついた現状を否定したいという思いもわからないではなかった。だから、幸村はプロポーズこそ実行済みだったものの、実際に承諾してもらえるのは、早くとも政宗が大学を卒業する頃だろうと踏んでいたのだ。
 その予想が外れのは、孫市のお陰だった。
 「孫市殿、以前からお聞きしたいと思っていたのですが…。」
 幸村はそこで一旦言葉を切り、孫市を見つめた。
 「何故、父に政宗殿のことを教えたのです。それも、良いように。」
 「見損なうなよな、幸村。この俺が、政宗のことを悪く言うわけねえだろ?」
 そう居心地悪そうに肩を竦めて、孫市は幸村の問いかけを流した。確かに、その返事はある意味では返事として成り立っていた。前世において敵に降るほど惚れた孫市が、その惚れた相手のことを悪く言うはずがないのだ。しかし、幸村は、あの食わせ物の父が眼前の男にいっぱい食わされたという事実に薄々気付いていた。軟派でうだつの上がらない男に見えて、孫市はやるときはやる男である。そうでなければ、傭兵集団の長など出来なかっただろう。昌幸の望むとおり、政宗は非常に有能で優れた傑物なので、騙したという表現は些か誤っているかもしれないが、孫市が己の都合の良いように政宗の評価を捏造したという点に着目すれば、詐欺以外の何ものでもなかった。
 この詐欺の結果、父は、家を出て帰らぬ息子に嫁を宛がうことを決め、結婚を推し進めようと思うに至った。それが、たまたま、煮え切らない態度で居た政宗が自発的に結婚に踏み切ろうとした時期と重なった、と楽観的に捉えられるほど、幸村は目出度い頭の作りをしていない。そして、少し気を配れば、絶えず孫市の存在を感じるとなれば、誰の敷いた道なのかわかろうものだ。
 しかし、幸村は孫市の策に従った。
 一般市民の政宗にはコネもなく、財力もない。それゆえ、己同様、息子も政界に進ませようとしている父に、幸村は政宗との結婚を猛反対されるものだと思い込んでいたので、孫市の助力は渡りに船だったのだ。あの日、伊達一家が立ち去った後も、父は政宗のことを手放しで誉めていた。動乱を生き抜いたあの独眼竜の生まれ変わりなのだから、政治的手腕やカリスマ性、演技力があって当然なのだが、父は素直に感心したらしい。果ては、嫁を政治家として立候補させる方向で将来設計していた。
 勿論、幸村に否やはない。幸村は一も二もなく、その意見に賛成した。幸村の野望、それは、政宗が前世で逃した天下を、自らの手で政宗の手に掴ませることである。幸村は既に、そのための布石を打ち始めていた。幸村が通う大学は、国内でも有数の実力派だ。当然、官僚や司法、国政の道を目指すものは多い。幸村は彼らと知り合いになることで、将来政宗の援けになる存在や政宗のための票を獲得しようというのだった。勿論、反抗期に培った組織票もある。何より、幸村の実父は現役の総理大臣であり、家系からして日本でも有数の政治家一族である。幸村が政宗に天下人の座を贈ることは、決して不可能ではなかった。
 午前の講義が終わったようだ。構内に鳴り響くチャイムの音が、幸村の思考を中断させた。と同時に、前を行く孫市が急に立ち止まった。
 「…実は、俺も、どーーーーしても、知りたいことがあってな。」
 校舎に目を向けながらそうこぼす孫市は、何事かをまだ言い渋っている様子で、再び頭を掻いた。校舎入り口からは、講義の終わった生徒たちがぞろぞろと流れ出している。大半は学食や購買に向かうのだろうが、中には、そのままサークル棟や遊びに向かうと思しきものたちの姿もあった。
 孫市は彼らを眩しそうに眺めた後、自分で尋ねておきながら答えを聞くことを厭うように、肩越しに幸村を見やった。
 「…お前さ。」
 「はい、何でしょう。」
 「政宗が女だったから良いようなもんを、男だったら、どうしてたんだよ。まさか、マジで……掘る気だったのか?」
 幸村はそれには答えず、笑みだけ返した。するとどういうわけか、衆道が一般的であった時代を共に歩んだはずの孫市は引いたらしく、強張った笑みを浮かべた。
 「…マジで政宗、女で良かったなあ。」
 ふと、幸村の脳裏に、政宗はこのことを知っているのだろうかと疑問が湧いた。
 何故それほどまでに政宗に執着するのか問われた、あの日。幸村はガラシャの気配が消えたのを確認してから、孫市に嘘偽りのない胸のうちを告げた。孫市だけに吐露したのだ。だから、孫市に伝え聞いたのでない限り政宗が知っているはずがないし、仮に知っていたとしたら、前世では衆道を嗜んでいた武将として有名な割に、あくまで常識的な政宗のことだ、あんな風にして結婚に踏み切るわけがない。
 そこで、今まで堪えてきた不満に思い当たり、幸村は孫市の両肩を強く掴んだ。丁度当てこすろうとした日に、政宗との結婚が決まったため、今の今まで先延ばしになっていたのだが、相手から先に話題を降ってきたのだ。構うことはない。幸村はにっこり笑みを浮かべながら、一字一句丁寧に文句を吐き出した。
 「それで、孫市殿は、もう随分前に政宗殿を見つけていたにもかかわらず、私にだけ秘密に…?」
 実際、父は、隠し撮りと思しき政宗の中学時代の写真を持っていた。昨年の誕生日プレゼントがそれだった幸村は、嬉しい事は嬉しいのだが素直に喜ぶことも出来ず、かといって怒りを奮い立たせることも出来ず、散々父にからかわれたものだ。出所はまず間違いなく、アイドルのマネージャーをする前は興信所で働いていた孫市であろう。幸村には確信があった。何故ならば、先日、孫市の狭いアパートの押入れから、隠し撮りらしい大量の写真が収められたアルバムを発見してしまった、と妻が実に微妙な顔をして帰宅したからだ。発見したのは、共に突撃訪問したガラシャらしい。妻曰く、二人は顔を見合わせた後、無言のまま実に微妙な顔つきで、アルバムを元の場所に戻したとのことだった。
 「ちょ、おま、怖えって!その妙な威圧感、止めろ!」
 孫市が悲鳴を上げる。
 幸村にしてみれば、政宗との待望の再会を焦らされに焦らされた不満があるので、孫市にもう少し灸を据えても良かったのだ。しかし、校舎から出てきたものの姿を見て、孫市に対する不満は霧散してしまった。新入生ガイダンスで一緒だったのだろうか。幸村の最愛の人物に、熱心に話しかける男がいる。何処となく幸村を髣髴とさせる好青年だ。だからこそ無碍に断りかねるのか、それとも未だに女としての自覚が薄いのか。その人物は男に好き勝手言わせた後、ふっと、こちらを凝視している幸村と孫市に気付き苦笑をこぼした。
 「すまぬな、人と待ち合わせておるのじゃ。」
 そう言って何気ない仕草で鞄を肩に掛け直した女の左手で、指輪が陽光を弾き、光を放った。己の見たものを信じられず目を瞬かせる男に向かって、何事か小さく囁く女の唇が緩やかな弧を描く。人波に紛れて幸村には見えなかったが、孫市にはその唇の動きが見えたようだ。そして、読唇術を習得している孫市にかかれば、耳に出来なかった声を目で理解するくらい容易いことだった。思わず、孫市は失笑にも似た苦笑を漏らした。
 「『何故、浪人したと思う?実はな、―――。』…人妻でも子持ちでも、俺はイケるが…やっぱ、普通は腰が引けちまうよなあ。」
 絶句して立ち尽くす男に満面の笑みで別れを告げ、女が軽い歩調で幸村たちの方へ近づいてくる。先ほどの待ち合わせという台詞は、男をかわすためだけの言い訳なのではなく、真実のようだ。どうも妻と友人は、自分に秘密で連絡を取り合っているらしい。その事実を再度認識させられ、幸村は密かに嘆息した。果たして、酒の肴にどんなことまでばらされていることやら。それを子守唄に寝かされる子供はたまったものではないだろう。
 考えるうちに、幸村は腹立たしくなってきた。幸村が真実望むものを求めたがゆえに手放さざるをえなかった親友という位置に、当然の如く収まった孫市のことを、幸村は内心羨んでいた。それは、どちらかといえば妬みに近い感情かもしれない。
 幸村はせめてもの牽制にと、妻に見咎められないよう小声で孫市に呟いた。
 「孫市殿…。政宗殿に手を出したら、わかっているでしょうね。」
 「待て、待て待て待て!だからお前目がマジで怖えって!」
 無論、幸村も本気で心配しているわけではない。孫市は妻と親友ではあり、決して、色めいた関係ではない。男女としてならば、永遠の平行線、交わることはない。今まで同様、二人は好ましい距離を保ち続けるのだろう。それは、妻に焦がれすぎるあまり見境を失くすことの間々ある幸村に出来る芸当ではない。仮に出来ていれば、このような幸せな関係を築くこともなかっただろう。
 「…何じゃ、お主ら二人、やけに仲が良さそうじゃな。何事かあったのか?」
 ようやく二人の元へ辿りついた政宗が胡散臭そうに、孫市へ一瞥投げかけた後幸村を見上げた。その目には、呆れが多分に浮かんでいた。しかし、すぐに興味も失せたのか、政宗は腕時計に目を落とすと眉をひそめた。ベビーシッターに預けてきた子供が気になっているようだ。これが熟練のベビーシッターであったならば、乳母という存在が当然のようにあった時代を生きた政宗は、不安を抱かなかっただろう。だが、雇ったベビーシッターが問題だった。
 「…くのいちのやつ、また、妙なことを教えこもうとしとらんであろうな。」
 先日、前世の部下が、己の息子をかつての主同様、武士として育て上げようとしていた場面を目にしているだけに、幸村も政宗の不安を否定できない。孫市も政宗から伝え聞いたらしく、乾いた笑みを浮かべた。政宗は二人の反応を交互に見て、自身の不安を更に強めたらしい。微かに口元を強張らせて、頭を振った。
 「何にせよ、今日はもう終いじゃ。」
 そう嘆息するなり、するりと手を絡められ甘えるように握られたので、幸村は僅かに狼狽した。未だに、妻に甘えられるたびに、驚嘆と共に幸福を感じると告げたら、些か間抜けだろうか。幸村の視界の片隅に、孫市が驚きに目を見張っている様が映った。孫市はそのように甘えを見せる政宗を見たことがないのだから、当然だ。
 茶目っ気を含ませた目を眇め、政宗が笑った。
 「さ、早う帰ろう。積もる話はそれからじゃ。」
 くるりと踵を返し歩き出す政宗に半ば引き摺られるようにして歩きながら、幸村が後をついて行く。その横を意気揚々と歩く孫市が、小声で幸村の耳元に吹き込んだ。
 「さっきの答えだが…俺はな、幸村。」
 その口端が心底満足そうにつり上がり、続ける。
 「政宗が幸せだったら、それでイイんだぜ?別に、男でも女でも。」
 これがまじりっけなしの本音だというのだから、参ってしまう。しかし、その意見にはごもっともと内心深く同意して、幸村は最愛の人に追いつくべく足を速めた。











初掲載 2009年11月10日