爆弾が投下されたのは、デザートも終わりに近づき、食後のコーヒーが運ばれてきたときのことだった。
昌幸が両手を顔の前で絡ませたのを見てとった政宗は、ようやく、今回呼び出された理由が判明するものと思い、ケーキを食べる手を休めた。政宗の右側に座っている父は、何故か、終始渋い顔をしている。それを視界の端に収めながら、政宗は内心首を捻った。ここに来る車中において、父は幸村の親に会うことに関して乗り気な様子だったので、どうしてこのように険しい表情をしているのか、政宗には検討もつかなかった。もっとも、父の考えることなど、政宗には理解できないことの方が多いのだが。
はたして何を言い渡されるものか。緊張しながらも外見上は一切それを見せない政宗に、昌幸が笑いかけた。
「実は、お嬢さんを嫁にいただけないかと思いましてね。」
束の間、沈黙が降りた。ハプニングに滅法弱い政宗も、見目に変化こそなかったものの当然の如く絶句してしまい、何も言葉が出なかった。それは、政宗の両親も幸村も同じようだったが、幸村に至っては、そりの合わない父の提案を利用するべきなのか否か、そもそも利用出来るのか思い悩んでいるようで、その前世と変わらない冷静沈着が政宗には腹立たしかった。しかし、考えてみるまでもなく、幸村の本願は政宗との結婚なのだ。それがわかるからこそ、なおさら、政宗は腸煮えくり返る思いだった。何故、よりによって、このタイミングで。そんな怒りばかりが先に立って、思考がまとまらない。
そんな中、昌幸は自らの点火した爆弾など露知らぬ顔で、呼び出した女中にコーヒーのお替りを要求していた。好い気なものだ。
次第に衝撃と怒りが冷めてくると、政宗は焦り始めた。頭が混乱していて上手く働かないが、どう考えても、これは拙い状況だった。視界の端で、瞬く間に、険しかった父の表情が和らいでいくのが見て取れる。今にして思うに、所詮一般市民階級の父は、息子と縁を切るよう総理から言い渡されるものと思っていたようだ。
その間、政宗の母は父と愛娘の顔を交互に見やってから、どんな結論に至ったのかぽんと手を打った。
「ママも賛成よ、まーちゃん!…実は、黙っていたけど。」
政宗の母はにっこり笑って、更なる爆弾を投下した。
「まーちゃんにね、弟が出来るの。それとも、妹かしら?だから、まーちゃんがお嫁にいっても、うちは大丈夫よ。安心して。」
これには政宗も目を見開いて、素で、まじまじと己の両親を眺めてしまった。てれてれと頬を赤らめている母の隣で、父が恥ずかしそうに頬を掻いている。政宗は現実逃避で、その弟(仮)の名が小次郎にならないように祈った。命名が原因で、とても気まずい姉弟になることだろう。
未来の花嫁の態度に気を配っていた昌幸は、素を見せた政宗に少し意外そうに片眉を上げたものの、すぐさま政治家らしい愛想の良さで政宗の母に祝辞を述べた。
「そうなのですか。それは目出度いことですな。」
「ええ、本当に!これもそれも、信繁くんが旅行を贈ってくださったのが始まりですわ。」
「はっはっは。そうですか、うちの愚息が。」
一体、これはどういう事態なのか、政宗は見定めようとした。幸村が大賛成で、親たちも賛成しており、当の政宗はといえば。
政宗は花のような笑みを顔に貼り付けると、立ち上がった。
「申し訳ありませんがしばらくお時間をいただけますでしょうか少し信繁さんとお話したいことが。」
勿論、返答など期待していない。政宗は幸村の腕を引っ手繰るようにして自らの腕をかけると、勢い良く部屋から飛び出していった。
慌しく姿を消した子らを見送った親たちはといえば。
「…ところで、伊達さん。お嬢さんは何か、演技の経験でもおありなのでしょうか?」
しばらくしてから発された昌幸の言葉に、一般市民らしく中々に小心者の父が勢い良く否定した。
「いいえ。うちの政宗はわたくしどもの血を引いているとは思えないくらい多趣味で器用な娘ですが、演劇やミュージカルの類は習ったことはございません。」
「そうですか。」
そのような会話が親御間で交わされたことを、当然ながら、子らは知らなかった。
話をするのに最適な場所、ということで幸村が政宗を案内したのは、幸村の自室だった。他の場所は盗聴器が仕込まれているかもしれないので、という幸村の言い分に、政宗は些か文句を言う気が萎えた。今回の騒動に関しては、やはり、幸村も昌幸に翻弄されている側のようだ。それがわかってしまうからこそ、政宗も理不尽に怒りをぶつけかねていた。扉を閉めるのみならず、念入りなことに鍵までかけ、更には盗聴器その他もろもろが仕込まれていないかベッドの裏などを見て回る幸村の姿を見てしまえば、なおさらのことだ。
一体、幸村はどんな家庭環境で生きてきたのだ。
政宗ががっくり肩を落としているなどとは露知らず、安全を確認した幸村はベッドに座ると、恋人を手招いた。しかし、思い煩う政宗は、座る気にはなれない。
「幸村…。」
どう本題を切り出したものか、立ち尽くし躊躇いから唇を噛む政宗に、幸村が少し寂しそうに笑った。前世で見た、互いの志を分かり合えなかったことを悔やんだ最期の笑みだった。その笑い方に、狼狽してしまった政宗を安堵させるように、幸村が引き寄せて半ば無理矢理膝の上に乗せた。
「政宗殿、そのように噛んでは…折角の形の良い唇が可哀そうですよ。紅も剥げますし。」
そう言ってキスを落とす幸村に、政宗は安堵させられると同時に呆れ返った。
「…いつも率先して剥がしおる貴様が、何を言う。」
しかし、何が面白いのか、そんな政宗の減らず口も眼前の男は嬉しそうに笑う。政宗は唇を尖らせてから、幸村に向かい合った。
「ほ、本当はクリスマスに言うつもりであったが、つい時機を逃して…他人に先を越されるなぞ気分が悪いから、わしの意思が蔑ろにされるなぞ据えかねるから、仕方なしに言うのじゃぞ?!」
どんどん顔が赤くなっていく政宗を前に、幸村は驚いた様子で目を瞬かせている。この凡愚め愚鈍め、と吐いて出そうになる罵倒を堪えながら、政宗はぎゅっと袂を握り締めて、幸村を睨みつけた。
「よ、嫁なぞという立場は好かんが、それで幸村がわしだけのものになるなら、貰われてやる!だから、貴様をわしに寄こせ、幸村!」
そう言ったきり、ぎゅうと力いっぱい抱きついて離れない政宗の耳に、困惑した様子の幸村の声が届いた。
「政宗殿、それでは愛らしい御顔が見えません。」
耳元の解れ髪を掻き揚げる幸村の指は、愛情に満ちている。政宗は口を一文字に引き伸ばして、額を幸村の肩口へよりいっそう強く押し付けた。
「見るな、恥ずかしいっ。」
「政宗殿。」
幸村の困った風な声色には、勝者の優越と、幸せの絶頂にあるもの特有の間の抜けた喜悦が見え隠れしえている。政宗は頬や耳だけでなく真っ赤に染めた項を幸村の眼下に晒して、呻いた。
「…察せ、馬鹿め。」
幸村が笑った。どうせ、この男には、政宗の誕生日からこの結末に至ることがわかっていたのだ。理不尽な怒りに襲われて政宗がぺしりと叩いても、幸村は笑ったままだった。本当に幸せそうに、日の本一の兵の威厳は何処にくれてやったのかと不思議に思うくらい、幸せそうに笑った。
仕方がないので、つられて、政宗も笑うよりなかった。
初掲載 2009年11月7日