第九話   転生パラレル


 最近、政宗の様子がおかしい。わざわざ本人に指摘するような真似はしないが、幸村は内心訝っていた。時計の短針は、11より僅かに12よりの位置を指し示している。あと、30分もしないうちに日付も変わってしまう。幸村は我知らず溜め息がこぼれるのを、止める術を持たなかった。
 幸村が最初に違和感を覚えたのは、二十日ほど前の土曜のことになる。いまさら受験対策をしなければならない学力でもないので、普段であれば、ゲーム目当てで真っ先に幸村のマンションへやって来る政宗が、どういうわけか7時を過ぎたころになってやって来た日があった。以来、政宗がふらりと出かけては、線香臭をまとわせる日々が続いた。寺巡りでもしているのだろうか。表面上はいつもどおりの生活を心がけようとしながら、どうも上手く行っていない様子の政宗を前に、幸村は首を傾げた。だが、常に時代の最先端を行こうとする政宗は、寺院を好んでいるというわけでもない。まだ、煙草臭さを染み付かせて、カラオケやゲームセンターにでも行って来たと言われた方がしっくり来ただろう。
 それから数えて、五日目のことだろうか。インターホンが鳴ったので幸村が出てみると、耳まで真っ赤に染めた政宗が立っていた。指紋を登録されているため入れるにもかかわらず、である。政宗は両手でしっかりと、旅行に出かけられそうなほど大きなボストンバックを抱きかかえていた。どうしたのか驚いて尋ねると、政宗は何が居たたまれないのか、気恥ずかしそうに目を伏せて言った。
 「泊めてくれ。」
 勿論、政宗を溺愛している幸村に否やはない。幸村は満面の笑みで、政宗を受け入れた。週末以外で政宗が幸村のマンションへ宿泊したがることなど、滅多になかった。もっとも、その週末の宿泊にしたところで、疲労と時刻の関係で否応なくしているようなものであったが。
 以来、政宗はマンションに泊まり続けている。それだけであれば、幸村は愚かにも、自分の想いが想い人に届いたのだと誤認して舞い上がっただろう。新婚生活の予行演習とでも捉えたかもしれない。それくらい、幸村は政宗のことを愛しきっていた。
 しかし、判断力が恋により低下している幸村でさえ気付くほど、政宗の奇行は突出していた。
 最初の朝、幸村はマンションから追い立てられた。政宗曰く、大学の講義に遅れないようにとのことだが、幸村は冬休み中だ。それを、政宗も承知しているはずである。それに、幸村は、わざわざ罠に掛かりに来た政宗といちゃいちゃすることしか頭になかったのだから、例え講義があってもないようなものだ。自主休講、という手段がある。だから、まだベッドに横たわったままの幸村が困ってそれを口に出しながら、恋人を抱き寄せると、政宗は頬を赤らめて顔を俯かせた。わなわなと、幸村のパジャマの裾を掴む手が震えだす。幸村の手は政宗のフリースの裾を掻き分け、日の光を浴びることのない不健康に白い脇腹へと伸びていた。
 「…から、」
 「…何ですか?」
 政宗は甘い体臭がする。首元に顔を埋めてその香りを吸い込みながら、心あらずの状態で聞き返した幸村の耳を政宗が引っ張った。
 「良いから、出てけっ!」
 幸村が家主であることを考慮すれば、理不尽極まりない横暴だ。だが、結局その日、幸村は寝癖すら直せないまま、マンションを追い出される羽目になった。今の政宗の剣幕と、このまま有耶無耶に流した結果やはり向けられるであろう怒りを天秤に計った結果、そうするより他なかったのだ。どちらも負であることに変わりはないが、確実に、後者の方が勝っているものと思われた。
 講義も終わり、年末年始の帰省を控えた大学は閑散としていた。これは、想像以上に暇だ。しばらく大学図書館で時間を潰した後、学食で一人寂しく昼食を取ってから、幸村は他に行くところも思い浮かばないので、久しぶりに兼続の店へ向かうことにした。兼続とは、先の政宗飛び降り事件以来の再会になる。だが、縁が廃れつつあった人間がやって来るとなると、やはり裏があると思われるものなのだろう。案の定兼続や昔の部下たちに理由を詮索され、答えないでいると突かれた。どうやら、伝説のツワモノの恋バナは、これ以上ないネタらしい。今までその御仁を捜し求めて奔走させられたのだから、部下たちが知りたがるのも無理のない話ではある。仕方がないので、幸村がほうほうの呈で逃げ出したことを憮然としながら話すと、兼続は「山犬め、やはり不義だ!」とお得意の文句を叫び始めた。それに、幸村が反論する。やがて、日曜ということもあって遊びに来たらしい三成に仲裁されるまで、幸村と兼続は口論を続けていた。
 それ以外にも、政宗の奇行は多々あった。特筆すべきは、政宗が部屋に長時間篭るようになったことだろうか。そこは、幸村がマンションに引っ越した際政宗用にと用意し、本人にも自由に使うよう言っておいた部屋だったが、それまで、政宗が用いることのない場所だった。何故、部屋に篭るのか。何故、わざわざ鍵をかけるのか。何故、出てくるときには苛立っているのか。それらの理由が皆目見当つかず、幸村は怪しんだ。時折、腹立ち紛れの奇声が聞こえてくることもあった。しかし、その後再び部屋に篭るか否かは別として、出てきた際には必ずと言って良いほど、政宗がキスやそれ以上を強請ってくるので、幸村は怪しみながらも内心満更ではなかった。
 もっとも、八つ当たりであちこち噛み付かれるのには、閉口したが。


 そして、今日。12月25日、クリスマス。幸村が大いに楽しみにしていた恋人たちの聖夜イブはとっくに過ぎ去り、23時間半前に過去のものとなっている。辛うじてクリスマス、といったところか。あと、30分もしないうちに日付も変わってしまう。幸村は我知らず溜め息がこぼれるのを、止める術を持たなかった。
 昨日に引き続き今日も、政宗は恒例と化した立て篭もりをしている。幸村も、まさか、政宗がサンタクロース・ガールの格好をしてプレゼントをくれるなどと思っていたわけではない。流石にそこまで楽天的発想はなかったが、前世に引き続き、政宗はイベント好きである。恋人と呼ぶに相応しい関係を築き上げた想い人とささやかなプレゼント交換でもして、夜景の綺麗なフランス料理店で美味しいディナーを前に、甘い夜を過ごしたところで罰は当たらないだろうとは思っていた。少し浮かれて、街中で見かける他のカップルたちのように、手を繋いで歩いたって良い。安っぽいクリスマス・ケーキを売っているバイトのサンタクロースを冷やかして、その労働に敬意を払い、ケーキを購入するのも良いだろう。
 それがどうしたことか。現実として、幸村はテレビの前に安置されたソファに背を預け、芸人たちが馬鹿騒ぎを催している特番をぼんやり眺めているだけなのだ。恋人とソファに並んで座って見るような、クリスマス映画ですらない。夕食すらままならない。テーブルの上には、ただ、幸村が恋人に用意しておいたプレゼントと焼酎の大瓶、氷のどっさり入ったグラスだけが載せられている。チキンもケーキもシャンパンも、勿論、愛情もなし。
 生まれて初めて、幸村は惨めなクリスマスを体験していた。


 カチリと施錠を解く音が聞こえたのは、そのときだった。思わず視線を向ける幸村の前で、政宗の立て篭もっている部屋のドアノブが勢い良く回り、扉が叩きつけられるようにして開かれた。
 「幸村っ。」
 ソファに座っていた幸村の上へ、政宗が飛び乗り抱きついてくる。どういうわけか、えらく上機嫌だ。両頬に手を添え、ちゅうと音を立ててキスしてくる政宗の腰に腕を回しながら、幸村は先ほど確認した時刻を脳裏に思い浮かべていた。どうやら、残り20分は今日という日を満喫できそうだ。
 「…ずいぶん、甘えたですね。」
 常であればどうしたのか尋ねたいところだが、このひとときが終わってしまいそうで恐ろしくて出来ない。第一、理由が不明でも、残されたクリスマスを満喫することは十分に可能なのだ。
 恋人に気付かれないよう、ブラウスの釦を外し始めようとしていた幸村は、勢い良く政宗が身体を離したので内心非常にがっかりした。もしかしてまだ、立て篭もりは続くのだろうか。流石に不満が吐いて出そうになる幸村の眼前で、政宗が満面の笑みを浮かべた。
 「ちょっと、待っておれ。渡したいものがあるのじゃ。」
 もしかして、クリスマスプレゼントだろうか。いや、ないな、と諦めきって心中頭を振る幸村を後に残し、政宗が部屋へ引き返していく。しかし、再びやって来た政宗が大事そうに抱え込んでいるものを見て、幸村の心に希望が宿った。ちらり、と政宗の目が不満そうに時計の針をねめつける。
 「ギリギリまでかかってしもうたが、クリスマスプレゼントじゃ。」
 そう言って、採寸が上手く出来ているか調べるように身体に押し当てられたものは、チャコールグレーのセーターだった。売り物でもおかしくないほど、綺麗に編み目は揃っている。ふと、幸村は政宗が何でも器用にこなすことを思い出した。それは前世で習得した茶や詩のみならず、編み物に関しても同様らしい。
 いつまでも言葉を失っている幸村を前に、政宗も不安になってきたらしい。微かに表情を翳らせて、焦ったように言い訳し始めた。
 「そ、その、初めてゆえ…それに時間もなかったのじゃ!だから、少しくらい変でも。」
 もごもごと言い訳する声が小さくなり、次第に頬が赤く色付いていく。恥ずかしいのか顔を伏せ、耳以外に赤くなった部分が見えなくなった時点で、幸村は政宗を強く抱き寄せた。
 「変ではありません。私には不相応なほどの…素晴らしい贈り物です。」
 感極まってそのままキスをすると、政宗はわなわなと気恥ずかしさに唇を慄かせてから、幸村へしがみついてきた。どうも、顔を見られたくないらしい。思わず笑い声を漏らす幸村に、憮然として政宗が言う。
 「…魅せられたのはわしの方じゃ。であれば、少しくらいわしが自主的に甘くなったとて、構わぬであろう、馬鹿め!」
 決して、幸村は己で言うほど愚鈍ではない。告げられた台詞から、背後に孫市の存在があったことを嗅ぎつけたが、幸村は敢えて問い質さずに、政宗をソファへ優しく押し倒した。不幸の底にあった幸村はいまや幸福の絶頂にあるわけで、更に言えば、クリスマスはもう15分も残されてない。ならば、問い質すよりも先にこの幸せなクリスマスを満喫したところで、罰が当たるはずがないと判断したのだった。










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初掲載 2009年10月25日