第八話   転生パラレル


 12月、第一週の土曜。いよいよ冬が深まり、同時に、受験シーズンも本番となった。
 LHRを終え、受験シーズンということもあり閑散とし始めた教室の片隅。政宗は担任から渡された模試の結果表を広げ、押し黙り考え込んでいた。端からは、模試が不出来だったのだろうかと誤解を受ける行動だが、模試は無関係だった。政宗は、家庭教師にして恋人――と、ここまで来ると認めるしかない。親友になれなかったのは残念だが――である幸村のことを考えていた。模試を返却されたのがLHR当初のことなので、もう長い間考え込んでいることになる。
 政宗が西軍連中と再会し、幸村に過去の説明を求めたあの日、幸村は政宗を探していたと言った。探すのに便利だからこそ猛者共を束ね、結果、全国区で有名になったのだとも言った。そう告げられたときは、シチュエーションがシチュエーションだったので流されてしまったが、後日改めて考えた政宗はいぶかしむこととなった。何故、幸村は己を探していたのだろう。政宗は幸村を大坂で殺めた手前、どうしても、好かれてのこととは思えなかった。しかし、幸村が復讐などという負の考えに囚われ、行動を起こしたとも思えない。
 あれから、政宗は何度幸村に尋ねようとしたことだろう。半ば口を開きかけたことは数え切れず、咽喉元まで質問が込み上げたことも多々、幾度かは幸村の袖まで引き不思議がられた。だが、もしかしたらという一抹の不安と愛情を向けられることに対する自信の希薄さゆえに、政宗が幸村に問いかけることはなかった。正直に言ってしまえば、問うことで幸村との関係が壊れてしまう可能性が怖かったのだ。
 しかし、元々知識欲旺盛な政宗である。知らないことを知らないと知りながら、そのまま放置できるはずもない。知りたい、でも、知りたくない。相反する欲求はじりじりと腑を焦がした。
 政宗は模試の結果表から視線を上げ、教卓の頭上に掲げられた時計を一瞥した。時刻は10時48分。もうそろそろ良い頃合だろう。政宗は結果表を仕舞いこむと、通学鞄を片手に立ち上がった。念のため、財布の中身を確認する。電車賃が足りなくては、話にならない。
 あの日、三成は政宗から取り上げていた携帯電話に勝手に幾つか連絡先を登録していったらしく、その中に、政宗は良く見知った名を見つけた。おそらく、今生では違う氏名を持つであろうその人物の名は、雑賀孫市、という。どうせ兼続たちからばれておるのだろう。政宗は腹をくくって、今からかつてのダチに会うことを決意したのである。おそらく、政宗が勧誘するまで西軍についていた孫市であれば、幸村が政宗を捜し求めていた理由を知っているであろうという期待があった。
 しかし、不安もある。はたして、今生で孫市はどうなっているのやら。政宗が女として生れ落ち、幸村がために女へと変わりつつあるように、孫市も前世のままというわけにはいかないだろう。
 政宗は期待と不安を胸に、教室を後にした。


 孫市に指定されたのは、郊外に位置するとある有名神社だった。巫女ドル発祥の地として紹介されたことが切欠で有名になったことは、神社にとって良かったのか、悪かったのか。おそらく後者だと当たりをつけながら鳥居をくぐった政宗は、そこで、ありえない光景を眼にすることとなった。
 巫女がいる。巫女が鳩に豆をやっている。それはわかる。神社だから巫女がいてもおかしくはない。しかし、あの、赤毛は――。ふと、政宗の脳裏に、巫女ドルが某歴史上の人物の生まれ変わりを自称している天然電波系アイドルだったという情報が甦った。怖気づいた足が、とっさに踵を返そうとする。それを政宗が自制しようとしたのと、巫女が政宗に気付いたのと、はたしてどちらが早かったのか。
 「…?はっ…もしや…伊達当主なのじゃな!!孫、孫、来てたもれ!待ち人来たり、なのじゃ!」
 巫女の上げた歓声に驚いた鳩たちが、空へと一斉に羽ばたいてゆく。白い羽の舞い落ちる中、見覚えのある娘――ガラシャが、にぱっと微笑んだ。
 何故、ガラシャがここにいる。確かに、ガラシャは孫市と共に一時期旅をしていたと聞き及んでいる。しかし、だからといって今生も、しかも今この場所にいることが理解出来ない。否、そうではなく、ここを待ち合わせ場所に指定されたことが理解不能と表現すべきなのだろうか。
 完全に思考が停止した政宗の視界に、やはり見覚えのある人物がやって来た。だらしなくスーツを着込んだ男を見間違えるはずがない。孫市だ。孫市は政宗の頭から足先までまじまじ見やると、再び、信じられない様子で顔を凝視した。残念ながら幸村と出会ってから女であることに慣れ始めた政宗はすっかり失念していたが、今日は、政宗が女であることを痛感させる制服姿だ。スカート丈は膝の真上と長い方であるにしても、女物であることに変わりはない。何より、何故これほどまでに栄養が偏ったのかと政宗の悩みの種でもある、バスト。それが否応なしにダチが女であることを孫市に突きつける。
 「マジで…政宗…なのか?」
 衝撃を受けた様子でよろめく孫市を、ガラシャが支える。まるで、時代劇のワンシーンだ。今にも「ガラシャ…すまねえな、いつも。」「良いのじゃ、おとっつぁん。」などと始めそうな二人を前に、政宗は小さく頷き返した。声を出すのを躊躇うくらい、緊張していた。
 孫市は言った。
 「政宗、提案がある。」
 「…?」
 「どうだ、アイドルの頂点を目指さないか?」
 どうも、孫市はガラシャのマネージャーをやっているらしい。
 「ガラシャとペアで戦国アイドルとして売り出せばきっとこうは」
 その後、孫市が何と続けようとしたのか、政宗は知らない。紅白も夢ではない、とでも言いたかったのかもしれないが、単なる想像にすぎない。政宗は思い切りかぶりを振った。さっとガラシャが脇に退ける。通学鞄は重い音を響かせて、孫市の顔面にクリーンヒットした。


 「まさ…政…むね…ムネムネ…。…。それで、政宗は何が知りたいのじゃ?」
 一頻り政宗のあだ名を推敲してから、ガラシャはそう問いかけた。一瞬、政宗は返答に詰まった。もし妙なあだ名を付けられたらどうしよう、とそんなことを思っていたのだ。
 「お主に言うても、わからぬと思うが…。」
 政宗はそうこぼして、孫市を一瞥した。
 ガラシャの足の上では、意識を手放し、腫れた顔面に濡れタオルを置かれた孫市がうんうん唸っている。もしかしたら、窒息死するのではあるまいかという一抹の不安がないでもないが、ガラシャなりの好意に政宗も指摘するのが躊躇われ、そのまま放置となっている。女好きの孫市のことだ。美女に膝枕をされながら死ねるのならば、きっと、本望だろう。勝手に決め付ける政宗を見つめ、ガラシャが小首を傾げた。
 「今までダチにまで必死に隠してきたことを、知らせてまで知りたいことなのじゃ…。孫のダチは妾のダチなのじゃ!妾にできることはないのか?」
 提案してくるガラシャの大きな眼の中に、口先だけない本物の思い遣りと思いがけない思慮深さが見える。政宗は逡巡した末、口を開いた。まさか、このような恋の悩み相談的な話を女性に対してする日がこようとは。政宗は内心、幸村に再会して以降起こり続けている自分の変心が末恐ろしくなった。
 しばらくの間、ガラシャは何かを思い返すように、長考していた。それから、晴れやかな笑みを見せると、ぽんと手を打った。
 「その話ならば聞いたことがあるのじゃ!そう、あれは、妾が孫と再会して間もない頃じゃから、10年以上前のこと…まだ孫が探偵業を営んでいた頃の話じゃ。孫は叔母上の実質的使い走りのような状況の中で、必死に生きておった。」


 もしかしたらそれは、聞いてはいけない話だったのかもしれない。
 当時、孫市は濃姫の実質使い走りとして良いように使われていた。濃姫と同級生であった時期に孫市は何か弱みでも握られたのかもしれないが、ガラシャにはわからない。ともかく、孫市はそういう状況下にあり、ささやかな癒しを求めて神社にやって来る日々が続いていた。
 その日、小学校から帰って来たガラシャが、姿の見えないダチを探して神社裏に広がる雑木林へ足を運ぶと、孫市の声がした。誰か、他にも人がいるようだ。ガラシャはそれ以上近づくことを止めて、木の後ろに隠れた。そうすれば、会話が終わったときにすぐわかると思ったからだ。
 「お前の頼みはわかった。確かに、何も事情を知らない探偵よりもダチとして見知ってる俺の方が、政宗を見たときに気付く確率は高いさ。」
 会話に出てきている政宗という人物は、きっと、伊達家当主政宗のことだろう。ガラシャは彼が孫市のダチだと知っていた。ダチのダチなら我がダチも当然。だから、ガラシャもダチのダチである政宗の話ならば知っておかなければならない。ガラシャは聞き耳を立てた。
 「けど、んで、そんなにしてまで政宗のこと探したいんだよ?」
 孫市は本当に、心の底から、いぶかしんでいるようだった。ふと、とある話がガラシャの頭に甦る。
 (孫が伊達家当主と天下を狙おうとしたのは、大坂で幸村が討ち死にした直後じゃ…。)
 幸村、それは、眼前で孫市と話しているガラシャの前世での叔母上の現世での甥っ子だ。
 幸村は幾分躊躇う素振りを見せたものの、やがて、話さない限り孫市も納得しないと判断したらしく、重い口を開いた。
 「もしかしたら、孫市殿は馬鹿にした話と受け取るかもしれませんが、決して、政宗殿を馬鹿にしているわけではないのです。」


 「ちょっと待て。…わしは馬鹿にされておるのか?」
 思わず口を差し挟む政宗を制し、ガラシャが微笑んだ。それは恋の酸いも甘いも噛み分けた女としての微笑だった。政宗は黙り、続きを拝聴することにした。


 「私はあの方を、甘い方だと思っておりました。絶えず逃げ道を用意し、優勢を誇る家におもねり…私は非難しているわけではありません。私は同調できませんし、受け入れませんでしたが、政宗殿のとった行動は、名家を導くものとしては当然の正しい行為です。」
 孫市は静かに、幸村の言葉を聴いている。木の後ろに隠れているガラシャに幸村の表情は窺えないが、声調から、それが尊敬の念を覗かせているであろうことだけは見当がついた。
 「…あれは大坂での、政宗殿と対峙したときのことでした。政宗殿は、優勢を誇る徳川に楯突く私を痴れ者と面罵しました。時勢一つ読めぬ愚か者と、そう仰ったのです。導く立場の者として、御家の保全を第一に考える政宗殿には、家を滅ぼすだけの私の行動が奇怪で理解出来ない愚行だったのでしょう。」
 ガラシャにはわかる気がした。その先に死しかないと知りながらも、死地へ赴いた幸村の行動が己の取った行動に重なったのだ。それは死ではあるが、決して、終わりではなかった。世の人の言う敗北かもしれないが、ガラシャにとって絶望ではなかった。
 幸村は続ける。
 「しかし、政宗殿はそう仰りながらも、その眼に他人の手に渡る事になる天下への捨てきれない未練を浮かべていました。御家を第一に思うならば望んではならない夢を後生大事に仕舞いこみ、片をつけられずにいました。そして、そのような己の夢にすら気付かず目を背け、徳川に天下をくれてやろうとしながらも、無意識のうちに躊躇っていたのです。」
 ふっと幸村の雰囲気が綻び、苦笑混じりの嘆息がこぼされた。
 「馬鹿な話と思うかもしれません。しかし、あの方に味方した孫市殿ならばわかるでしょう。最期の瞬間、私はあの方が見せた真っ直ぐな、子供のような甘さに魅せられたのです。」


 話を聞き終えた政宗は唇を噛み締め、視線を落とした。
 「…違う。」
 何が、魅せられたものか。膝の上でぎゅっと拳を握る政宗を、いぶかしむようにガラシャが見つめる。
 「違う、魅せられたのは幸村ではない。…わしの方じゃ。」
 あくまで己の信ずる道を貫く幸村が、どれだけ政宗の目に付いたことか。政宗は、御家を潰すだけでしかない自壊の運命を選んだ幸村を浅はかと嘲笑った。実際、徳川に刃向かったことに関して短慮な行動とも思った。だが、心のうちでは幸村が眩しくて仕方なかった。そうやって死んでいった幸村を、幸村の生き方を、どれほど苦く感じたことか。
 じわじわと熱が一点に集中してくる。とうとう耐え切れず、政宗は面を両手で覆った。耳まで赤くなっているのがわかる。
 「わしの方こそ、幸村に、会いたかった!会って、…友として語らってみたかったのじゃ…。」
 その再会は政宗の希望と異なる道を辿り、気付けば恋仲としか呼べない関係を築いていたが、偽りないところを述べれば、政宗は幸村とダチになりたかったのだ。孫市のように。
 恥ずかしさに居たたまれなくなり、顔を覆ったまま沈黙する政宗の耳に呻き声が届いた。
 「…惚気は他所でやってくれ。」
 どうやら、どの時点でかはさておき、気がついたらしい。孫市は濡れタオルを顔から退けると、横目に政宗を見やった。その視線から察するに、孫市は完全に呆れているようだ。ますます居たたまれなくなり、政宗は叫んだ。
 「の、惚気ではないわ馬鹿め!惚気なものかっ!」
 「惚気以外の何ものだってんだよ。まったく。惚気話ほど生産性のないものはないぜ。これが、可愛い女の子の失恋話とかだったら、」
 「孫!孫はダチの失恋を望むなど恥知らずなのじゃっ!」
 勢い良く足の上から振り落とされ後頭部を強かに打ちつけた孫市が、恨めしげにガラシャを見上げる。
 「何も、そうは言ってねえだろ?」
 何故か多大なる衝撃を受けた様子で、ガラシャが悲鳴を上げた。
 「っ!まっ、孫はこんなに可愛い政宗がまさか可愛くないと言うつもりかっ?!それが本当ならば、孫はマネージャーなど辞めてしまった方が良いのじゃ!見る目がなさすぎなのじゃ…っ!!」
 孫市とガラシャの口論が続く。この時点で完全に除け者にされた政宗は、早く顔の火照りが引かないものかと、手の甲で頬を冷やし続けていた。










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初掲載 2009年10月4日