先日、ショッピングを終えて駅から自宅へ向かう途中、幸村は思わぬ事態に相成った。記者に捕まったのだ。記者曰く、あまりにも素敵なカップルなので写真に収めて、是非とも、雑誌に掲載したいのだという。幸村の背後では、政宗が警戒心も顕に半ば目を潤ませて、様子を窺っていた。市中引き回しの刑は、政宗にとって従来にないパターンの恐怖体験だったらしく、尾を踏まれた猫のように毛を逆立てる様が愛らしい。若干S気質の幸村はやんわりと、その取材を受け入れた。掲載した暁には、写真を同封して雑誌を郵送しているらしく、幸村は政宗の愛らしい姿を額縁に納めるのも悪くないと思ったのだった。それくらい、あちこち弄られて半べそをかいている政宗は、衣装やメイクを差し引いても、愛らしかった。
幸村は政宗とお似合いのカップルと評されたことで、柄にもなく、あまりに有頂天になっていて、何故己が政宗と再会するや否や今のマンションに引っ越したのか、携帯をもう一つ購入したのか、今回のショッピングで愛車の利用を控えたのか、すっかり失念していた。それは、何も、幸村が政宗の住まいの近くに引っ越してしまうレベルのストーカーであったり、専用携帯を所持してしまうほど政宗に惚れていたり、ショッピングの戦利品を持つには電車の方が良いだろうと判断したため、というわけではないのだ。少なからず、そのような側面があったことは否めないが、実情はまるで違う事情に起因しているのである。
ショッピングから三週間後のことだった。緊急の呼び出しでどうしても外出せねばならなくなった幸村は、政宗に留守を頼むことにした。丁度週末のことで、政宗が泊まった翌日のことだったので、わざわざ己の勝手な事情で追い返すのも悪いだろう、と幸村は判断したのだった。
政宗は先日濃姫に脅されたことがよほど怖かったらしく、寝起きでもない限り、極力ブラジャーを着用するようになった。今は、その上に幸村のTシャツを纏い、ハーフパンツも穿いている。素足が眩しい。だが、このような格好をしていても、政宗も前世においては名を鳴らした戦国大名だ。今生での性別差による力不足を補うべく、柔道や合気道の鍛錬を積んでいたというし、まず危険はないだろう。それでも、幸村は老婆心を催して、政宗にくれぐれも玄関を安易に開けないよう、注意した。
「この幸村の不在中に何かあったらと思うと、心配でなりません。」
何かあっては、政宗のご両親にも面目が立たない。
「七匹の子ヤギでもあるまいし、狼なんぞ早々来んわ、馬鹿め。大事無い。」
しかし、政宗は幸村の過保護を斬って捨てると、ゲーム画面から顔も上げずに、生返事を寄こした。よほど、ゲームに熱中しているらしい。
政宗がプレイしているのは、パタポン、というPSPソフトだ。先日のショッピングでの取材の際、あまりに政宗が不貞腐れてしまったので、買い与えたものだった。今生の伊達家では、義父が機械音痴のため、どれほど政宗が時代の最先端を行きたがろうと、猛反対されるのが常であった。そのため、幸村が政宗をマンションに呼び寄せる格好の餌となっている。前世において隻眼で苦労していた政宗は、このゲームのキャラが悉く一つ目のためひどくシンパシーを感じているらしく、この三週間あまりというものずっと熱中している。
幸村は内心、このゲームソフトに対して大人気ない嫉妬を抱きながら、帰ったならばゲームなど眼中に入らないくらい自分に夢中にさせてやろうと固く決意して、マンションを後にしたのだ。
幸村が帰宅した頃には、辺りは既に暗くなり始めていた。
「只今戻りました。…政宗殿?」
返事がない。幸村は、もしやまだゲームプレイに熱中しているのかと半ば呆れながら、リビングの扉を開けた。灯りは点いているが、妙に静かだ。ソファで転寝でもしているのだろうか。政宗は、幸村と供寝をした疲れが抜け切らないからと言って、昼寝を嗜むことが多々あった。しかし、ソファの上には充電コードに繋がれたままのPSPが、中断画面で停止している。不審がって周囲を見回した幸村は、テーブルの上に、紙が一通置かれていることに気がついた。
『病院に居る。連絡を寄こせ。 三成』
何故、三成が。その上、病院とは一体何事であろう。
幸村は咄嗟に、何があったのか理解出来なかった。とりあえず、三成の携帯に連絡してみるが、病院のため電源を切っているのか、繋がらない。幸村は舌打ちをこぼすと、次に政宗の携帯へ連絡を取ってみた。1コール、2コール、3コール。
4コール目で、電話が繋がった。
『…幸村か。』
愛想の欠片もない声の向こうで、ぎゃあぎゃあ騒ぎ立てている声がする。その中に政宗の声もあったので、幸村はほっと胸を撫で下ろした。事情はわからないが、二人は一緒に居るらしい。
「三成殿、一体どうなされたのです?」
『あまりに煩いものだから、病院を追い出された。今、そちらに向かっている。あと2分もせず着く。』
「病院、とは…。」
首を傾げる幸村の耳に、エンジン音が聞こえた。三成が到着したのだろう。そう判断して、靴を履き、下に出迎えに行こうとした幸村の足が止まった。
『政宗が飛び降りた。』
どういうことだ。
幸村が階下の駐車場へすっ飛んで行くと、後部座席に、仏頂面の政宗が兼続を睨みつけていた。その左足首に包帯が巻かれているのを見て取った幸村は、さっと青褪めた。運転役を押し付けられたのだろう。左近が軽く手を挙げて、幸村に挨拶する。それに幸村は頷いて返すと、三成に相対した。
「俺たちによほど現状を知られたくなかったのだろうな。玄関で会うなり、踵を返して逃げ出した。それを兼続の馬鹿が追うものだから、二階から飛び降りる始末だ。…とはいえ、軽い捻挫と擦り傷くらいか。大事無い。」
だが、そうは言っても怪我をした事実に変わりはない。幸村は、その登場に気づきばつの悪そうな顔をしている政宗を後部座席から抱き下ろすと、政宗に甘い幸村にしては珍しく咎めるような声調で問い質した。
「政宗殿、一体どういうことですか。この幸村が出かける際、政宗殿は、大事無いと仰られたではありませんか。」
幸村が真正面から見つめていると、政宗は根負けしたように視線を逸らした。僅かに頬が赤く染まっている。しかし、幸村は政宗を愛らしいと感じるよりも、憤りを感じていた。僅か2・3分のこととはいえ、心配させられたのは事実なのだ。
「政宗殿。」
逃げることを許さず、幸村が名を呼ばわる。政宗は長い睫毛を伏せて、困り果てた様子で瞬かせた後、はたと周囲から寄せられる視線に気付き、じたばた暴れだした。
「恥ずかしいわ、馬鹿め!姫抱きは寄さんか!」
ぎゃあぎゃあ喚く政宗を前に、いまだ後部座席に座っている兼続が顔を白くして「不義だ。」と呟いた。
「山犬となどと、不義だぞ!幸村!」
「不義ではありません!兼続殿は政宗殿がどれだけ愛らしいかご存じないから、そう仰るのです!」
思わず、かっとなって反論する幸村に、腕の中の政宗が目を丸くしている。勿論、お姫様抱っこのままだ。左近は口論を続ける兼続と幸村に呆れた視線を向けてから、そっと、探るように三成を見やった。
「もう決定的ですね。どうします、殿?」
「…殿は寄せ。それでどれだけ俺が笑われたことか。」
呻いた三成は、顔をしかめて、幸村に山犬の不義の何たるかを捲くし立てている兼続を車から追い出した。車に鍵をかけて、マンションを一瞥する。
「…兎に角、話は中に入ってからでも良かろう。こいつらは煩すぎる。」
兼続の元にその雑誌が運び込まれたのは、4日前のことだった。雑誌の発売日のことである。
現世において、家業を継ぎ、バイクの整備士をしている兼続は幸村の愛車の整備も担当している。一時、幸村が改造車を乗り回していた際の改造も手がけたことで、兼続の名はその筋では非常に有名だ。そのため、兼続の店には伝説のツワモノに憧れるものが大勢訪れていた。
その日、「雑誌に幸村さんが彼女っぽいマブと写ってるッス!」と粟食った様子でやって来たのは、半月に一回は店に顔を見せる常連だった。彼は、幸村と共に激動の時代を駆け抜けた猛者であり、やはり、その筋では名を鳴らしたものである。まさか、幸村を見間違えるはずもない。一瞬にして、雑誌と雑誌を差し出された兼続の周りには人垣が出来た。
「愛らしいものだとは思ったが…とっくり見てみれば、山犬ではないか!不義だ!」
拳を振り上げて憤りを示す兼続を、呆気に取られた様子で政宗がぱちくりやっている。話の間に、と自分で淹れた紅茶を飲む気にもなれないようだ。それもそのはずで、幸村は政宗に、己の素性や過去について一切話をしていなかった。素性については、まだ早すぎると判断したのであり、過去については、話すつもりが毛頭なかった。だからこそ、過去を振り切るように引っ越し、携帯もかつてのものと現在のものとで使い分け、姿を眩ませたわけだが、まさか、所在地を知っている兼続にかつての部下から報がもたらされるとは、予想外のことだった。
「そ、そ、その筋じゃの、伝説の兵じゃの、改造車じゃのと…何じゃ。それは何かの漫画の話か…?」
政宗はよほど驚いたものか、声が震えている。
「何だ、聞いていないのか。幸村が東一帯を制圧して、並ぶもののない大組織を形成したのは、その筋では有名な話だぞ。もっとも、幸村の脱退と時同じくして、巨大さゆえの自重に耐え切れず、瓦解したのも早かったが。」
「……三成殿。」
自然と尖り気味になる口調で言えば、三成は兼続を顎で示した。
「やつのせいで、半分以上ばれていることだ。これ以上隠そうとしたところで無駄な足掻きだ、諦めろ。」
確かに、半ば以上ばらされた状態で今更隠し立てしようとしても、政宗には詮索されたことだろう。だが、そうは言っても、ばらされたいものではない。幸村は久しぶりに煙草が吸いたくなった。政宗の健康のため禁煙に勤しんできたが、今は、そうも言っていられそうにない。幸村は断りを入れると、クローゼットの奥に隠し持っていた煙草へと火をつけた。やはり、政宗がひどく驚いた様子で目を丸くしている。当然だ。幸村は政宗の前で、煙草を吸った記憶がなかった。
初掲載 2009年9月12日