第四話   転生パラレル


 遮光カーテンの引かれた室内は仄暗い。政宗は目覚めたとき、今が何時なのかわからなかった。政宗はぱりぱりと眦に張り付く涙の欠片を拭い取り、重さそのままに瞼を閉ざした。手を伸ばし、時計の在り処を探る。ぱたぱたと手探りで探索を続けるが、いっかな時計は見つからない。政宗はようやく何かがおかしいことに気付いたが、どうしても、瞼が重く開きそうにない。
 このまま眠ってしまおうか。学校があるようなら、母が叩き起こしに来るだろう。
 そう判断し、枕元から引こうとした腕を掴まれ、政宗は一瞬にして頭がクリアになった。思わず起こしそうになった上半身を抱き込まれ、身を竦める。政宗は、自分がそのようなことでうろたえたことに気付き、不機嫌になった。掴み寄せた手に手を絡め、キスを降らせる男がこの上なく恨めしい。
 だが、昨夜あれだけ幸村相手に、それも性質の悪いことに土壇場で「怖い。」と泣いてしまった手前、今更強気に振舞っても恥を上塗るだけのような気がしてならない。しかし、おはようと告げるのも現状を受け入れたようで気に喰わない。結局、政宗は幸村にかける言葉も見つからず、ベッドから這い出ることを決意した。ここは、幸村の匂いがする。昨夜の情交の名残がある。それが、今の政宗の心を揺さぶる。
 昨夜、予想したとおり、政宗は幸村に喰われた。その際、幸村は馴れた様子で手早くコンドームをつけた。当然、前世においてそのような避妊具は開発されていないから、それだけ、幸村はどこかで経験値を積んだことになる。どこかで、政宗以外のものを相手に。
 その事実が気に喰わないと告げたら、どれだけ幸村は喜ぶことだろう。だが、政宗はそのように感じる己が気持ち悪くてたまらない。怖くて仕方ない。逃がすまいとするように絡められた手を振り払い、シーツから這い出る。
 怖い。
 昨夜感じたのは、何も、抱かれる恐怖ばかりではない。前世の地続きと信じ振舞ってきた今生の今までの意味を失うようで怖い。戦国の雄であった過去を亡くすようで怖い。それ以上に、一時でも、幸村の好敵手であれたと信じた地位を無くすようで怖い。
 幸村が何を思って己を構うのか、政宗には原因が判然としない。あの日大坂で、幸村を志し半ばに斃したのは、政宗だ。怨まれる覚えはあっても、好きだと言われるような謂れはない。だから、尚更怖い。
 変わってしまうことが、恐ろしい。
 ようやくベッドの端に辿り着き足を着いて逃げようとした政宗は、そのまま腰が立たず、ベッドから転げ落ちた。毛足の長い絨毯に倒れ込みながら、政宗は思う。やはり、自分にとって幸村は鬼門だ。いつだって、幸村は極力関わりたくないと思うような苦い存在だった。しかし、一方で政宗の心はどうしようもなく幸村の苦さに惹き付けられる。だから、碌な目に合わないと分かりながらも、ここまで来てしまった。
 土壇場で及び腰になるなど、かつての己が今の己を見たらさぞ嗤うことだろう。政宗は顔をしかめて、差し伸べられた手を掴んだ。毒を喰らわば皿まで、ともいう。
 ならばその毒、独眼竜が喰らってやるまでよ。


 しかし、その目論見は甘かった。政宗が思った以上に今生の幸村の毒は強かったようだ。
 幸村を伴い、駅まで両親を出迎えに行った政宗は、満面の笑みを浮かべた父に遭遇した。思わずたじろぎ、一歩退く愛娘をいっこう気にした風もなく、父が手に持っていたビニール袋を手渡してくる。中身は駅弁、だろうか。恐る恐る中を覗き込んだ政宗は、中身を目視するなり絶句した。
 「はっはっは。いやあ、目出度いことじゃないか。あっはっは。」
 異様なほど陽気な父とは対照的に冷静な母が、政宗にこっそり耳打ちする。
 「信繁くんなら大丈夫でしょうけど。避妊はちゃんとしなきゃ駄目よ。困るのは信繁くんでもパパでもなくて、まーちゃんなんですからね。こういうのは女の側がしっかり気をつけないと。」
 そのまま、肩を並べて帰路に着く両親をうっかり見送ってしまった政宗は、わなわなとビニール袋を持つ両手を振るわせた。今なら、羞恥と怒りで泣けそうだ。
 「赤飯なぞ、誰が食うか馬鹿めっ!」


 この日を境に、政宗は一つ分かったことがある。どうも、幸村と父はメールで文通のようなことをしているらしい。道理で、機械類の一切苦手な父が、比較的操作の簡単な携帯を購入してきて、政宗に操作の教えを乞うていたわけだ。こうなると、政宗のプライベートも何もあったものではない。政宗はいきり立った。むしゃくしゃしたので、幸村も詰った。父も無視した。父が拗ねた。母に怒られた。
 極めつけに、父が泣きついたらしく、政宗を引き取りに来た幸村に、「あまり、拗ねないでください。」と諌められた。政宗は絶句した後、持ち前のつっこみ能力を発揮した。
 「拗ねとらんわ、馬鹿め!何処を如何見たら拗ねとるように見えるんじゃっ!」
 だが、真っ向から睨み付け反論する政宗の怒気など、幸村の目には映らないらしい。それもそのはずで、幸村には秘密兵器があった。幸村は文句を撒き散らして愛車に乗る気配もない政宗を一瞥した後、ふと、思い出したようにぽつりと漏らした。
 「実は、誕生日にお出ししたムースを政宗殿が思いのほかお気に召した様子でしたので、また、用意してみたのですが。」
 ぱたりと政宗の罵詈雑言が止んだ。もう一押しとばかりに、幸村が続ける。
 「新作だという、シェフお薦めのホワイトガトーショコラも。」
 そこで、再び幸村が視線を向けると、政宗はヘルメットを装着して、バイクの後ろに跨っていた。その目が、早う、と急かしている。むしろ、何故幸村がここに留まっているのか、理解出来ない風でもあった。生来贅沢気質の政宗は、現世で一般家庭に生れ落ちたこともありある程度その嗜好が治まっていたようだが、幸村に贅沢を与えられたことで、それを鎮めることが困難になったらしい。特に、食に関しては明らかに、幸村が再会した当初より煩くなっている。というより、甘くなった。かつては得られて当然のものが入手困難なものと化したことで、政宗の中で無意識ながら意識改革があったようだ。
 政宗がデザートを食べた後、デザート代わりに食べてしまうつもりの幸村は、内心苦笑してバイクのエンジンをかけた。前世においても、幸村にとって政宗は甘かった。だが、どうしたわけか、今生はそれ以上に甘く思える。何処も彼処も、純白の砂糖を塗したかのような甘さを伴っている。
 その事実はこの上なく、幸村にとって好都合だった。










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初掲載 2009年9月6日