第三話   転生パラレル


 早いもので、幸村が政宗の名ばかりの家庭教師に就任してから、一ヶ月が経った。
 幸村はその間、伊達家攻略に勤しみ、今では政宗以上に父母の信頼を勝ち取っている。何故だ。政宗は、満面の笑みで両親が旅立つさまを些か沈んだ様子で見送った後、隣に立っている幸村を見上げた。何故、両親は人身御供のような真似をするのだろうか。それも、愛娘の誕生日にわざわざ、である。絶対喰われる我が身が、恐ろしいを通り越して哀れでならない。
 留めておいた真紅のど派手な大型バイクを脇に、幸村がヘルメットを手渡してくる。政宗は、このヘルメットで迫り来る危険を回避出来れば良いのに、と心から思った。
 勿論、回避出来なかった。


 そもそもの元凶を幸村が家に持ち込んだのは、先月のことだった。それ以前は、幸村が伊達家に入り込んでいないのだから、当然といえば当然の期間だ。
 幸村の持ち込んだ災難、それは、二泊三日のペアチケットである。勿論、配慮の利く幸村のこと。そのチケットの日程は、選択方式だった。だが、無情な策略を張り巡らすことにかけて、現世では右に出るもののないものと思われる幸村の用意した日程だ。当然のごとく、選択肢などあってなきようなものだった。結果、両親は幸村の策にはまり、愛娘の誕生日を出立日に選んだ。
 そのことを告げられた夕食時、政宗は手に持っていた箸を床に取り落とした。
 「信繁くんの家に泊めてもらいなさい。パパが頼んでおいたから。年頃の娘が一人留守番なんて、不安じゃないか!」
 「そうよ、そうなさい。ママもパパの意見に大賛成よ。まーちゃん。」
 母が娘の落とした箸を拾い、新しい箸を渡しながら頷く。政宗は開いた口が塞がらなかった。更に口の塞がらないようなことを、父が高らかに宣言する。
 「パパが思うに、自分の誕生日に家族不在の実家で一人なんて、寂しすぎるだろう!絶対に信繁くんのところに泊めてもらうべきだ。そうだろう?」
 「………年頃の娘を年頃の男のもとにやろうとする馬鹿が何処におる、馬鹿め!」
 ばんっ、とテーブルに両手をついて政宗が叫べば、ぐっと胸元を親指でさして、父親が回答した。
 「ここにいるっ!」
 あの後漂った何とも言えない沈黙を、政宗は生涯忘れられそうにない。思わず、白眼を向ける妻子に父は些かうろたえたらしい。
 「だ、だってパパは信繁くんと結婚してもらいたいんだもん。」
 「だもん、って良い歳した親父が言うな馬鹿めっ!」
 小首を傾げて可愛らしく言っても、駄目だ。駄目なこと、この上ない。


 幸村がバイクをかっ飛ばして辿り着いた先は、如何にも金の掛かりそうな高級マンションだった。訊けば、幸村の専用マンションだという。前々から薄々察していたことではあるが、本当に、幸村は現世で金のある家柄に生まれついたらしい。一般家庭育ちの政宗とは、段違いの資金力だ。
 指紋認証をクリアし、オートロックを解除して、マンションの中へ入る。ぱたん、と後ろで無情に閉まった扉に、政宗は身の竦む思いがした。もっとも、生まれ変わってから妙に強気の幸村は、ここまで反論もせず付いて来た時点で貴方に拒む権利などないのだ、と笑うことだろう。それが分かるから、若干腹立たしい。
 むしゃくしゃして施錠を解いている家主の背中を殴りつけると、幸村は困ったように振り返った。眉尻を下げて、掬い上げた政宗の指先にキスを落とす。
 「すみません。もう少ししたら、構えますので。」
 「違うわ馬鹿めっ!」
 それ以上、政宗は文句を口にすることが出来なかった。あまりにも、不可解なほど、幸村は幸せそうだったのだ。押し黙ってしまった政宗を抱き上げて、幸村が玄関扉を開ける。さながら、安っぽい三流ドラマの新婚夫婦が新居に入るシーンのようだ。影が差し、顔に落ちる。甘ったるい音を立てて離れた唇に、政宗はもはや何も言う気が起きなかった。
 一ヶ月前までの非日常を日常に変えてしまうとは、やはりこの幸村という男、まこと恐ろしい。それ以上に、前世の同性に抱かれるかもしれないというのに、嫌悪一つ覚えない己が、とことん変わってしまうようで怖かった。
 入室したダイニングには、豪勢な料理が敷き詰められていた。先ほどまで誰かが調理していたかのように、それらの料理からは湯気が立ち上っている。いぶかしんで政宗が視線だけで問いかけると、何が気に入ったのか、いまだお姫様抱っこをし続けている幸村がゆったり笑んだ。
 「このような食事は、お嫌いですか?」
 今生では庶民に生れ落ちたとはいえ、前世においては大大名の育ちで舌の肥えている政宗である。一も二もなく、首を振って否定した。
 「政宗殿のお気に召せば良いのですが。」
 幸村はそう言って、何の衒いもなく再びキスを落としてから、ようやく、政宗を椅子の上に降ろした。


 政宗がそれを差し出されたのは、食事がデザートに入ってからのことだった。豪奢で見目も良い晩餐は、思いのほか会話が弾んだこともあって、満足のいくものだった。これで、この後喰われるかもしれない、という一抹の不安さえなければ、政宗は心からこの晩餐を楽しめただろう。
 オレンジショコラのムースと、マンゴーシャーベットに舌鼓を打つ政宗の前に、幸村は掌サイズの小箱を差し出した。開けるまでもなく、その中身が何であるか、政宗にはわかった。絶対そうだ。まず間違いない。きっとこの小箱の中身は、指輪、に違いない。婚約、とか付こうものならこれ以上最悪な誕生日プレゼントはない。
 思い切り顔を引き攣らせる政宗に、幸村は何故か自信ありげに笑った。
 「勿論、今すぐにとは申しません。いつか、返事を聞かせていただければとは思いますが。」
 一秒、二秒。それほど長い時間ではなかったはずだ。結局根負けして、政宗の方から目を逸らした。テレビの脇に、煙草がカートンで大量に積まれているのが視界に入る。幸村は、煙草を吸うような男だっただろうか。前世で、もっぱら煙草を縁起物と担いで嗜んでいたのは、どちらかといえば政宗の方であったように思う。それに、あのように派手なバイクを乗っていることにも違和感を覚える。政宗個人の勝手なイメージだが、幸村という男はもっと地味なやつであったはずだ。
 そんなことを物思いに耽っている政宗の顎を上向かせ、幸村がキスを落とした。慄きが広がる。甘い疼きだ。思わず、ばっとキスされた箇所を掌で押さえつけて、顔を赤らめる政宗を意に介した風もなく、幸村は淡々と独白した。
 「何故でしょう…。政宗殿は何処も彼処も甘いように感じられるのです。」
 言ってやれればどれほど良かっただろう。そういう貴様は苦い、と。
 間を置かず施されたキスは、ビールの味がした。










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初掲載 2009年9月3日