第三話 (文未満)   タイムパラドクス


 何事もなく半年が過ぎた。
 やがて三成たち幕府の重鎮の間で、政宗のことが話題に上る。不干渉を決め込んでいるとはいえ、政宗は伊達の当主。無視しておくわけにもいかない強い勢力を誇っている。政宗の正体が女らしいことは、随分前に噂になっていた。その事実は確からしい。では誰かと縁組させて抑止させようという話になり、その候補として兼続や幸村が上る。上杉の人間として兼続は伊達と縁付くことを嫌がったが、政宗の政宗が立場であるために、下手な相手と結婚させるわけにもいかない。あくまで抑止としての縁組なのである。そう言う三成の言葉に、幸村は反対する。この時代女の地位は低かったが、女である以前に政宗は政宗。何より伊達当主である。女であるからと勝手にこちらが話し合って決めてよいことでもないし、政宗の意志を尊重すべきだ。幸村の言に三成は扇子を広げる。
 「そういえば、幸村はあの者のことが好きだったのか。」
 その言葉に赤面する幸村に、三成は左近を呼び寄せる。そして、勝手に縁談の申し込みを伊達に宛てて出してしまう。


 何も知らず、もはやその話題は終ったものだと思っていた幸村は、ある日書状を持たされ奥州へ向かう。わざわざ出迎えた伊達三傑の姿にいぶかしみながら、幸村は、政宗が仕事をするようになったことに関して感謝の言葉を告げられたのでそれをわざわざ言いに来ただけなのかと思う。
 「それで、今日のお見合いですが。」
 降られた話題についていけず、何のことを言っているのか尋ねた幸村は、政宗と己の見合いと説明され絶句する。
 「政宗様の気持ちも重要ですが、石田殿が真田殿のためにもまず見合いを設けた方がよろしいのではないかという打診でして。」
 ふと、小十郎は幸村が立ち止まってしまったことに気付き、後ろを振り返る。
 「あれ?もしかして真田、知らなかったの?」
 成実の言葉に、幸村は呆然と頷いた。「やっぱり。」綱元は一人したり顔で頷いた。「そうでないかと思っていたのです。」
 いつも通り仕事のため執務室へやって来た政宗は、そこに畏まる幸村と三傑の姿に目を眇め、じろりと睨んだ。
 「何を企んでおる。」
 「政宗様はそう見ますか。」
 「当然じゃ。主ら三人が揃ったときには碌な事がない。その上今回は幸村までおるではないか。」
 姿勢を改め、小十郎は政宗に言った。自分に子供が出来た折、主より先に子が出来るのは不敬であると切り捨てようとした己を、政宗が窘めたこと。それがどうしたのか問う政宗に、小十郎は続けた。
 「そろそろ政宗様も伊達の跡継ぎのことを考えませぬと。そのためにはまず結婚です、婚前交渉など許しません!」
 何を力説するのかと思えばそのようなことかと呆れた政宗は、小さく嘆息して幸村を見やった。それで、幸村がいるのか。しかし現在、政宗は仕事と民が恋人で男など必要ない。とはいえ、確かに跡取りは必要。
 「幸村、主はどうなのじゃ?単にここに連れてこられただけなのか?どうせ、石田辺りが勝手に先走り行っただけなのであろうが、それとも?」
 赤面して汗を飛ばす幸村に、再び小さく嘆息して、政宗は窓から空を見上げた。灰色の空。
 「そういえばもう、冬なのか。」
 ちらちらと雪が降り始める。雪は降りしきり奥州を閉ざし、去年同様、再び幸村は帰ることが出来ず奥州に滞在することになる。


 大雪の中、雪の中の行進という危険を無視して奥州を訪れた者たちがいた。慶次と孫市である。関ヶ原で豊臣が勝利した後、意気投合して二人で諸国漫遊していることは耳にしていたが実際二人が共にいるところを見て、政宗は微かに眉をひそめた。慶次、孫市。常識よりも興味を優先させる男に、常識があるもののやはり興味に打ち勝つことの出来ない男。とてもではないが、その常識力は計り知れない。実際、この雪の中無理矢理やって来たのかと思うと、驚きより呆れが勝った。死んでもおかしくはなかった。
 「どうした、急に。」
 「いや、政宗がどうしたのか気になったのさ。それに、こいつも政宗に興味があるって言うんでね。」
 傘を脱ぎ、傘の合間から吹き込み髪に張り付いた雪をぱらぱら落としながら、慶次が言った。その言葉に、隣にいた孫市が笑う。
 「参っちまったぜ。こいつがこの雪の中、行くって聞かないもんだから。」
 そう言う孫市を政宗は目を眇めて見詰めた。遠呂智が歴史を変える前、先の戦国乱世では政宗が説得し伊達に下させた男である。遠呂智の世界に至っては、遠呂智軍に付いた政宗を説得しようと自らの危険を顧みず奮迅した男でもあった。それが何も政宗のことを知らぬ顔で、今目の前に立っている。
 政宗は腕を組み、小さく嗤った。まあ良い、こちらの方が孫市にとって良かっただろう。
 「馬鹿、じゃな。この雪の中来るなどと。決めた方も結局付いてきた方も、双方、馬鹿の一言じゃ。考えが足らぬ。」
 「…なあ、慶次。これ、本当に姫さんなのか?何か、俺が想像してたのとは違えんだけど。」
 孫市が言い、慶次が笑った。賢明な対処である。これで孫市の言葉を肯定などしようものなら、政宗は二人の尻を蹴って無理矢理城から追い出していただろう。門番から連絡を受け一足遅くやって来た幸村が、剣呑な目付きの政宗を宥め、二人に笑いかけた。
 「ともあれ、お二人がご無事にいらして良かったです。」
 孫市と幸村が談笑している間、政宗は慶次に尋ねられる。
 「幸村の奴はどうだい?」
 「何がじゃ。」
 「政宗の婿になれそうかい。」
 胡乱な視線を向ける政宗に、慶次は笑った。政宗は不満そうに鼻を鳴らした。
 「久しぶりに来たと思ったら、そんな用件か。三成の差し金ならいらん。さっさと帰れ。」
 しっしと手を振り追い払う仕草をする政宗に、慶次は「そりゃないんじゃないかい。この雪の中来たんだぜ?」と苦笑してから、幸村たちに視線を向ける。追って視線を向けた政宗は、笑う孫市の姿に微かに瞼を伏せる。あれがかつては己に向けられたものだった。
 「折角遠呂智が与えてくれたんだ。もう一度楽しめばいいじゃないか。女好きの孫市が相手だ、誑しこむくらい、政宗にゃ楽勝だろ?」
 「言ってくれるな。」
 苦笑して、政宗はやれやれと腕を組んだ。
 「そこまで言われると、やらぬわけにはいかんじゃろう。」
 慶次が笑った。


 冬の間、政宗は孫市と親交を深め、鉄砲隊の整備を頼む。戦のない世にあっては必要ならざる軍だろう、まさか天下でも盗るつもりなのか、と僅かばかりの不安を滲ませ言う孫市に、政宗は「伊達の意地じゃ。」と答える。脳裏には、かつての世界で孫市によって整備された伊達鉄砲隊の姿があった。政宗の様子に答えあぐねる孫市に、慶次が「やってやれよ。」と助力する。「どうせ冬の間は暇なんだ。それに、政宗は豊臣の天下盗ったりしないさ。」
 重ねて政宗は、自分の得物である銃の改良も孫市に頼む。銃身を詰めて短くし、威力を増したいという願いに、孫市は「簡単に頼みやがって。それがどんだけ大変だかわかってんのかよ。」と苦笑する。しかし、政宗の詳細はあやふやながらも大体のところは既に煮詰められている図案に、孫市は興味を示し、協力することに決める。それはかつての世界で、孫市と政宗と額を寄せ合いあれだこれだと口喧嘩したり笑いあったりしながら改良した銃の図案だった。それは政宗の記憶の中にしか既に留められておらず、また政宗の銃への知識が孫市ほど詳しくなかったため、詳細が書き込まれなかった。
 政宗と孫市が親密さを増している間、幸村は体が鈍らぬよう慶次に相手を勤めてもらい、日々稽古に励んでいた。温泉に向かったその日も、幸村は生真面目に一日分の訓練を行う。そして湯で汗を流している最中、鍛錬に付き合ってやっていた慶次が政宗とはどうなのか幸村に尋ねる。途端赤面した幸村に、まだ何もなさそうだなと適切な判断を下しつつ、慶次は告げる。
 「俺は、政宗を幸せにしてやれるのは、幸村、お前さんだけな気がすんだ。」
 だから遠呂智も時を関ヶ原以前に戻したのだろう。孫市との友情が消え、誇りとしていた伊達鉄砲隊がなくなり、政宗の負った傷は決して浅いものではないが、それを無視してわざわざ「今」に戻したのは、遠呂智がそう考えたからに違いない、と慶次は心中密かに思う。目を向けた空から、未だ、雪が降り続けている。
 「まあ、春になったらちょっくら兼続んとこに顔を出してみるつもりだ。そっから先はまだ決めてないが、結婚決まったら呼んでくれよ。」
 早い先の話に赤面しつつ、幸村は春になったら奥州を旅出てしまうのかと聞き返す。
 「そりゃそうさ。俺は風来坊だからなあ。いつまでも、ひとところに留まるわけにはいかないのさ。」
 孫市はどうするかわからないけれどねえ、と口内で小さく呟き、慶次は岩壁に背を預けた。


 春になり、慶次は奥州を出立した。そして慶次の予想通り、孫市は伊達に残ることとなった。現在の豊臣は秀吉の残した夢というよりも、どちらかといえば、豊臣の治世を存続させるための体制という感が強い。結局国をまとめていく間が一番楽しかったと思いながら、孫市は政宗に宛がわれた住居を探索する。極力女が近づかないよう飯炊きにまで配慮がされていることを除けば、全てが孫市の理想どおりの部屋は、かつての世界で孫市が政宗に注文して与えられていた部屋の再現だった。しかしそんなことを孫市は知らない。仙台に移住すると同時に政宗が命じて作らせたものの住人もないままだった部屋を、掃除に付き合えと呼ばれた幸村が見回し、嘆息する。孫市が自慢する通り、確かに、孫市好みの部屋だ。
 「まるで孫市殿のために設えられた部屋のようですね。」
 「だよな。」
 二人で話しながら孫市の荷物を持ち運び、元々さして荷物がなかったので、すぐさま終了。孫市はどこから取り出したのか酒を注ぎ、幸村に渡す。昼間から飲酒など、と困る幸村に「人の礼は素直に受けとっとくもんだぜ?」と孫市は笑う。しかし政宗が執務中であることを考えると、真面目な幸村としては呑むこともできず、とりあえず杯を両手で持っている。
 「整備がどんどん進んでくよなあ。さっさと行動して、まるで最初から答えがわかってるみたいに。」
 次々に開発されていった土地に、増えていく田園、同時に行われている川の整備。「これも政宗のお陰で出来た酒なんだぜ。」と日本酒を指し、孫市は頬杖をつく。
 「あんな我武者羅に仕事ばっかして。もうちっと気を抜きゃいいのにな。」
 それからふと思い出したように、孫市は幸村にいつ西へ帰るのか尋ねる。そもそも雪が降り始めて帰れず滞在していた幸村は、去年も奥州で半年を過ごしたため、すっかりその事実を失念していた。日々が楽しかったせいもある。ふっと幸村は窓から外を見やる。梅の花が咲き零れ、そろそろ桜の季節。
 「ま、でもすぐ戻ってくるんだろ?」
 孫市の問いに、幸村は答えあぐねる。好きな政宗のところにいたいのは山々だが、これでも幸村は豊臣政権の功労者で重鎮である。客として他藩に滞在し続けているわけにもいかない。政宗と縁付けば別だろうが、政宗にも政宗の立場というものがある。何より、政宗が幸村のことをどう思っているのか、まるでわからない。嫌われてはいないと思う。それは、自惚れではない、たぶん。しかし、では好かれているのかと言えば、さっぱりわからない。それは恐らく、政宗が突然伊達を西軍に味方させることを決定してからの一連の不可解な行動の原因である何かに、起因しているのだろうが。常に傍に侍っていた伊達三傑もわからないというのだから、幸村はお手上げだ。
 困ったように笑う幸村に、孫市は肩を竦める。酔いも廻って、いっちょ俺が手助けしてやるか、などと考えている。


 翌日午前、孫市は政宗に頬を張られる。人払いの済まされた執務室での出来事だった。孫市は幸村とのことはどうするのか尋ねた。
 「もう幸村、帰っちまうんだぜ?」
 胡坐をかきながら言った孫市に、仕事を進めていた政宗は適当に返答する。そして、基本は政宗の味方であるもののこの件に関しては三傑同様幸村の味方である孫市が色々言い、最終的にうっかり政宗が女であることを指摘し、平手打ちを喰らった。男として半生を生きてきた政宗は当主として世継ぎを作るということに関しては寛容だったが、女であることを指摘されるのは大嫌いだった。その上、孫市は女としての幸せを追求してみたらどうだ、というようなことを言ったので、政宗の怒りは半端なかった。部屋から蹴り出された孫市は、逆鱗に触れてしまったことに失敗したと思う。これが幸村にとって悪い影響が出なければ良いが。
 「くそ、まだ痛え…。やっくれるぜ、政宗のやつ。」
 午後に、孫市は未だに痛む張られた頬を押さえ、幸村と市に出かける。仙台は町並みがまだ完全に出来上がっているわけではなく、市が立つことが多かった。孫市のぼやきに苦笑しつつ耳を傾けながら、幸村はいつ西に帰ろうかと思っている。政宗や三傑への挨拶もある。しかし雪が止んだ今、取り立てて滞在を延ばす理由もない。ようやく地に足がついた豊臣幕府を補佐する責務もある。来週頭だろうか、などとぼんやり思っていると、ふと、幸村は並べられている商品に目を奪われる。


 翌週。客である幸村が西に帰るため、主である政宗は見送りに出る。
 「このようなもの、政宗様は興味がないかもしれませんが。」
 出立間際、門の前で幸村から手渡されたものは玉だった。翡翠。政宗には緑が映えるとはにかむ幸村を前に、政宗は手の中に落とされた翡翠の玉を見詰めていた。遠呂智を庇い怪我を負い、復帰を告げるため訪れた古志城の居間で遠呂智に手渡され捨てた褒賞、その中に収められていたものに酷似した玉。玉、それは石の王、神の石である。古代日本においては権力の象徴とされた翡翠は、神を祀る礼器としても多用される。神と地上の人間とを繋ぐ器物である、玉。政宗も、遠呂智と人とを繋ぐ架け橋になりたかった。
 「まっ、政宗様?いかがしました?」
 不意に涙ぐみ、顔を手で覆って泣き始めてしまった政宗に幸村が焦り、うろたえる。同じ場にいた三傑や孫市も、よく事情が飲み込めていない。何となく幸村が旅立つことに関して泣いているわけではないことを察することは出来るものの、理由がまるでわからない。またぞろ情緒不安定が顔を覗かせたのだろうか。しかしそれから復帰して、もう1年程が経っている。周囲からの手助けが一切ないので一通りおろおろした後、幸村は政宗を躊躇いがちに抱きしめ、落ち着かせるように背を撫でた。自分が幼少時に泣いたとき、母や乳母にそのようにされて泣き止んだ覚えがあった。子ども扱いされている事実に何処かで腹を立てつつ、政宗は幸村にしがみついてわんわん泣いた。遠呂智から差し出された玉、自分が立ち直るのに協力するように妙に都合よく振り続けた雪。そして、あの、言葉。
 『我の力で降らせてやろうか。お前の好きなときに、好きな場所へ。』
 思い出し、胸が締め付けられるように痛んだ。


 政宗の様子が心配であったものの、政宗がいったん落ち着いた後、幸村は後を三傑と孫市に任せ西へ向かう。大阪城で5ヶ月にも及んだ伊達への滞在を「そんなに楽しかったか。」と、大雪で戻れなかったという事情を知っているはずの三成にからかわれ、幸村は曖昧に微笑む。
 「それでどうなのだ。少しは何か進展したか?」
 表面上は幸村の恋の進展を尋ねながらも、実際は伊達の動向を注意深く訊いてくる三成に、幸村はあった出来事を包み隠さず全て話す。孫市が伊達に仕官したこと、伊達に鉄砲隊が整備されつつあること、仙台城は順調に築城されていること。しかし、政宗はやはり幕府転覆などは毛頭考えていなさそうなこと。軍を整備し力を蓄えながらも幕府転覆の危機はないと断言する幸村の話に、三成は矛盾を感じながらも、幸村には信を置いているので信じることにする。そして再び幸村の恋の話に立ち返り、何も進展していないとわかるや否や、左近を伊達に送るのだった。もう当人たちには任せて置けない、これでは百年経っても平行線のままで何も変わりはしない、先に俺が死んでしまう。そう思ったので。


 婚約の打診に訪れた左近は三成のせっかちにやれやれと思いながらも、早くしろと突っつかれていたので、さっさと伊達を訪れる。そして作りかけの仙台に良い国づくりをしてるなあと感心しながら、入城した左近は、事前に連絡を受けていた三傑に出迎えられる。何があったのか、間もなく孫市まで飛んできた。自分ひとりを出迎えるにしては結構な面子ばかりじゃないですか、と内心思っていると、孫市が左近に懇願した。
 「左近、アンタを待ってたんだ。あいつをどうにかしてくれ!」
 「あいつ?」
 「兼続のやつだ!」
 あいたーと内心頭を抱えつつ、急かされるまま左近は現場へ向かう。道中受けた説明によると、慶次から話を聞いた兼続が「あの山犬がそんな義であるはずがあるまい!」と、政宗に何らかの興味というか疑惑を持って訪ねてきたらしい。神妙な面持ちで政宗の仕事ぶりを観察している兼続を、初め、政宗は伊達が疑わしくないか視察に来たのだろうと思って放っておいた。しかし、滞在して3日目の今日、後ろで観察していた兼続がばっと急に立ち上がり、驚く政宗の手を取り叫んだ。
 「政宗、貴様は本当に義に改心したのだな!お前ほど切れる者が義に与したとは、義の世、遠くないぞ!」
 意味がわからず対応に困る政宗と三傑。そのときであれば事態を止められたであろう孫市は、生憎町に下りていていなかった。そうこうしている間にも、愛だの義だのと兼続は熱く語っている。
 「今日から私と貴様は心友だ!」
 同時にばっと抱きしめられた政宗に、三傑がはっと我に返ったときには遅かった。政宗の拳が兼続の腹に飛んでいた。以降、ずっと、「やはり義ではなかったのか!」「うるさい馬鹿め!」「む。そうか。恥ずかしがっているだけなのか!大丈夫だ、義と愛は廃れない!さあ来い政宗!」「人の話を聞かんか馬鹿めが!」再び殴られ、「殴り愛というやつだな!」。ともかく、話にならない。痺れを切らしたのか怒りが心頭したのか、政宗は兼続を叩きのめしにかかり、しかしそこは異常にタフすぎる兼続のこと、笑顔で殴る蹴るの暴行を受けている。政宗が癇癪を起こして暴力に走るのが子供以来のことだったので驚いたことと、また、なにやらむやみやたら楽しそうな兼続の雰囲気に、うっかり呆然と見守っていたが、よく考えてみるまでもなく、表面上は上杉配下であるものの実際兼続は豊臣政権の重鎮。こんな暴行をしていいはずがない。三傑は止めに入ったが、二人の暴走は止まらない。仕方ないので黒はばきや憲兵総出で孫市を呼びにやらせたが、エスカレートした今となっては、流石に孫市でも止められない。
 そこに、左近がやって来たと。
 左近はそんな修羅場に派遣した三成をちょっぴり怨むのだった。


 以来、政宗と兼続の奇妙な関係ができあがる。出会うなり一瞬動きが止まり、束の間対峙した後、政宗は攻撃、兼続は防御に回る。政宗の攻撃が決まれば、兼続が「流石は政宗良い拳だ!(蹴りの場合もある。)」と褒め、政宗が鼻を鳴らしてさっさと立ち去る。兼続の防御が先んじれば、兼続が「はっはっは!今回は私の勝ちのようだな!」と笑い、手を掴まれたまま(勿論、足の場合もある。)政宗はぎりぎり悔しそうに歯軋りし、手を上下左右に振られて遊ばれてる中(当然、足の場合もある。)、「いつまでも月夜の晩と思うなよ!」とよくわからない捨て台詞を吐いて走り去る。去り際にふと立ち止まって、兼続に対してあかんべえをするものだから、何だか微笑ましい。政宗の見たこともない様子に周囲はびっくりするものの、三傑は主が可愛らしいのでそっとしておいて、幸村もまあ似たような心持で、勘違いの激しい兼続は本気で友情の一環だと思って楽しんでるし、他は政宗や兼続を注意できる立場にないのでそのまま放置。異常にタフな兼続と速度重視で攻撃力のまるでない政宗の二人だから出来ることなので、良い子は真似しないように。死にます。兼続の機嫌が異常に良いときは、一度いつもの対応をして本気で後悔した経験から、正面向き合って対峙して牽制しつつ、まるで毛の逆立った猫のように神経質な様子で政宗はじりじり下がり、手を広げて待機している兼続から距離を置く。兼続も勿論黙っているだけではないのでじりじり近寄ってくるのだが、隙を見て(あるいは「あ!あれを見よ!」などと隙を作って。)、政宗は脱兎の如く逃げ出す。二度と同じへまはしない。異常に機嫌が良い兼続は政宗を色々何処かに連れまわしたり、抱きしめて頭を撫で回したり(細い猫っ毛なので、一度かき乱されると直すのにかなり手間取る。冬は静電気で立つし。)するので、攻撃を防がれたが最後、政宗は陽が暮れるまで、あるいは翌日まで離してもらえないのだ。
 「わしは童でも愛玩動物でもない!」
 捕まった場合そんな主張も空しく、ずるずる引き摺られ去っていく。ドナドナ。三傑では止められないので、見送るしかないのだった。左近と、幸村との婚約話を進めるのに政宗にいられても困るから、放って、むしろ率先して兼続に押し付けている感がある。最初は度肝を抜かれたものの、三傑も、兼続の政宗への奇行に慣れたのだった。


 当人たちを他所に8割方結婚話がまとまったところで、左近と三傑が話し合っているところに兼続がやって来る。政宗の居場所を知らないかとのこと。異常に機嫌が良いので何があったのか尋ねると、愛姫の可愛がっている猫が無事出産を終えたらしく、「生きているのが不思議なくらい、こんなに小さくて可愛らしいのだぞ!」と大興奮。それが偽装結婚であるのは最早周知の事実とはいえ、人様の奥方である深窓の姫君と堂々と会っているのはいかがなものかと思いつつ、さてどうしたものかと三傑は顔を見合わせる。それは出産を直前に控えた大興奮の前兆であったことが今であればこそわかるものの、ともかく、兼続のそんな予兆を感じ取った政宗は城下町にある孫市の住居に逃げ出している。はたして部下が、わざわざ難を逃れている主を売り飛ばして良いものかどうか。しかし愛姫がいるならそこまで暴走しないだろうと考えて、綱元が答えた。
 「政宗様ならば、孫市殿の宅にいらっしゃることでしょう。」
 「そうか!」
 礼を告げて兼続が去る寸前、高笑いをしながら政宗が帰ってくる。孫市のところに向かう途中、上杉から派遣された使者に出会ったのだとか。
 「馬鹿め!景勝がさっさと帰って来いと言っているぞ!」
 政宗が笑っているところに、「あのう、」と遠慮がちな声がかけられた。見ると、幸村が困ったような笑みを浮かべて立っている。高笑いを中断し、赤面して恥ずかしいところを見られたものだと思いつつ、口では「前触れもなく突然訪問するとはなっておらん!」と抗議する政宗に、幸村が謝ってから、三成が左近に早く帰って来い仕事がたまって仕方がないと言っていることを告げる。兼続も奥州に滞在してるし、何だ貴様らそんなにそこが楽しいのか!なんなら幕府をそこに移すか?!とヒステリーを起こしているらしい。確かに関ヶ原からまだ3年ほど。政権の維持や法律の整備が忙しい時期に重鎮がことごとく大阪を離れ奥州にいるなどと、冗談にもならない狂気の沙汰だ。帰った後の自らの身の危険を感じた左近は慌てて立ち上がり、西に帰る準備をするためその場を後にする。でも、左近に奥州へ行くよう命じたのは三成なのだよ。
 「それで何故、お主がわざわざやって来たのだ。」
 上杉のように使者の一人でも送ればよかろうと問う政宗に、幸村がはにかんで答える。
 「その、政宗様のご様子が気になっていたので…。」
 奥州を去る間際の政宗の号泣が気にかかっていた。でも大丈夫そうで安心しました、と続けて口にする幸村に、政宗は胡乱そうな視線を向けて黙り込む。何故こんな自分をここまで気にかけてくれるのだろう、色々迷惑をかけたのに。幸村のことが不思議で不可解でしょうがない。こやつ菩薩か何かの化身か?とまで心中考えている。でもそんな幸村の心遣いが嬉しかったりするのだった、言わないけど。










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初掲載 2007年8月