春を待つ人 第四話   現代パラレル


 雑賀孫市には知り合いが山ほどいる。
 孫市は無駄に顔だけは広く、知人の数は一山いくらで売りに出せるほどである。そんな中でとりわけ興味深いのは、親友の伊達政宗、ダチのガラシャ、舎弟の凌統三名だろうか。
 政宗との付き合いは三年になるが、今日に至るまで、孫市は政宗が女の子だと露知らなかった。初対面が男装でエロ雑誌を手に『これを。…あと、温めてくれ。領収書も頼む。』発言だったせいだろう。おぼろげな記憶を掘り返してみれば、そういえば、政宗は孫市に学園祭では『男女逆転喫茶』をやると告げたり、少年と呼ぶ孫市に『少年ではない。』と反論したり、下手くそなナンパだと評した政宗に『馬鹿言うなよ。いくら可愛くっても、お前をナンパするほど、俺は飢えちゃいないつもりだぜ?』と孫市が言うと何か気に触った風にきっと睨み付けてきたり、ガラシャの彼氏は政宗かと問えば心底嫌そうな顔をしたものだが、孫市はさっぱり気付かなかった。ここまで来ると、鈍感としか言いようがない。
 一方、ガラシャと凌統。この二人は、政宗ほど誤解はなかったが、一時でも二人が付き合っていると錯覚したのだから、笑い話としか言いようがない。
 『政宗も直接知らぬとは思うが…、ほら、男子高の柔道部の。知り合いであろう?』
 『まあ、知らんこともない。』
 そのとき、どうでも良さそうに政宗は言って、仕切り直すように教科書を広げたが、つまりこれはガラシャと政宗の彼氏同士は男子高で付き合いがあるという意味合いだったのだろう、と今更ながらに思う。政宗は尻尾が出そうになって、慌てて話を煙に巻いたのだ。
 しかし、学園祭が契機で付き合い始めたという政宗と凌統。甘寧曰く、凌統は賭けに勝ち、政宗に何か馬鹿な嫌がらせとしか取れないことをさせたらしいが、それがエロ本の温めだとしたら、さしもの孫市も呆れてしまう。好きな女にさせることではない。それがどう転がり転んでお付き合いに至ったのか、気になるところだ。


 何にせよ、そうすると、三月十五日に挙式するのは政宗と凌統で、翌週二十二日に挙式するのがガラシャとその彼氏。そして、当日旅に出るのが政宗、ということか。
 「あー。わっかんねーな!ガラシャ、何かお前知らねえの?!」
 そそくさと会計を済ませ、強制的に眠りに落とされた凌統を後部座席に押し込んだ孫市は、叫びながら車を発進させた。助手席のガラシャが唇を尖らせた。
 「妾は知っておるが、教えてやらん。今までずっと、政宗のことを男だと思っておったなんて、孫はひどすぎなのじゃ!あんなに政宗は綺麗なのに!」
 「お前も前に言ってただろ。格好良すぎっつか、漢前すぎんだよ!大体、政宗って。名前からして男だろ?!」
 「それは言い訳にすぎないのじゃ!政宗は妾よりよっぽど胸だってあるしスタイルだって、」
 「え?そうなのかっ!?」
 「…何故そこにだけ反応するのじゃ、孫っ!孫は破廉恥じゃっ!」
 「痛っ!ちょ、止めろって。俺は、今、運転中なの!」
 年頃の娘らしく、どうも胸が小さい事が気になるらしいガラシャに、孫市は殴られ悲鳴を上げた。細腕ながら、ガラシャの拳は破壊力満点だ。柔道よりも空手をやった方が良いのではないか、と内心思いつつ、あまりの恐ろしさに指摘できない孫市である。車はガタンと大きく揺れて、道を左右に蛇行した。後続車がなかったことだけが幸いだろう。
 慌ててハンドルを元に戻して、孫市は大きく溜め息を吐いた。
 「ともかく、お前が言わないんだったら、俺はこいつのためにも政宗に理由を聞くからな、絶対!」
 「ふん。訊けるものなら訊くが良いのじゃ!」
 鼻を鳴らしたガラシャに目を向け、孫市は、これは反抗期だろうかと思った。


 八年前の四月一日のことだ。
 それは政宗やガラシャが柔道場に通い始めてから、初めてのエイプリルフールの日だった。俗に四月馬鹿というその日をガラシャが指折り数えていたので、政宗もまるで興味はないながら、その日は嘘を吐いても良い日だということだけは知っていた。
 しかし、組み手の最中に言われたその言葉を、政宗は気を逸らすための冗談とも嘘とも思わなかった。凌統は自分より小柄な政宗を倒せず、躍起にやって息切れしながら、自棄を起こしたように叫んだ。小さかったので、周囲には聞こえなかったようだが、政宗の耳にはしっかり届いた。つっけんどんでどうでも良さそうな口調に似合わず、あまりにその目が真剣だったせいだろう。
 『俺が、全国一位になったら、結婚してくれよ!』
 『わしが高校を卒業したら、なっ!』
 答えると、驚きのあまり力が抜けたのか凌統は綺麗に弧を描き飛び、ドシンと大きな音が立った。ふふん、と政宗は鼻で笑った。
 『ふん。女子のわしにすら勝てないようでは、全国一意など夢のまた夢じゃな。』
 『う、うるせえ!ばっかじゃねえの、冗談だっつの!誰が口説くか、男女!』
 『そんなことを言うのはこの口か、馬鹿め!エイプリルフールであるからといって、言って良いことと悪いことがあろう!馬鹿め!』


 自分から口説いてきたくせに、と政宗は拳を握った。場所は政宗宅のガレージに設けられたトレーニングルームである。サンドバッグを前にした政宗は苛立ちを殺すように深呼吸をした。だが、怒りはまるで殺せなかった。確かに了承したのは政宗である。しかし、八年前のエイプリルフールも、三年前の学園祭のときも、求愛してきたのは凌統の方だ。恋に溺れきって、惚れた引け目で政宗を砂糖より甘く甘やかしたのも、凌統だった。勿論、それが少し重いと感じたこともある。それでも、政宗は十二分その愛に応えたつもりだった。だから、約束を覚えていたと驚かせて感動させるためにガラシャを巻き込んで結婚式を企てていたというのに、肝心の凌統が覚えていないようで、挙句留学は認めないと騒ぎ出した。
 「孫市まで巻き込みおって…その上、どれだけ離れていようと心は一つだというあの臭い台詞を詭弁であったなどと…!一時でも、信じた、わしが馬鹿であった…っ!」
 ドスン、と重く大きな音が響き、サンドバッグが天井を軋ませゆらゆら揺れた。柔道だけでなく、剣道もある程度極めた政宗は、木刀で暴走族を壊滅させた中学時代を持つ。たかが木刀、されど木刀。自らの身体をどのように使えばどのように体重を乗せることができるか、柔道の鍛錬で悟った政宗に武器や素手の差違はないに等しい。
 もはや、可愛さ余って憎さ百倍。今は凌統を少しでも思い浮かべるだけで、ふつふつと怒りがこみ上げてくる政宗は、再びサンドバッグを殴った。そのときの政宗の目には、サンドバッグが恋人の凌統に見えていた。そして大きく息を吐き、政宗はガレージの外を見やった。
 「来たか、孫市、ガラシャ。…凌統。」
 目の据わった政宗の姿に、正直、孫市は怖じ気づいていた。しかし、ここで去っては舎弟とダチに示しがつかない。頑張って己を奮い立たせると、孫市は一歩前に踏み出した。
 「わ、訳を聞かせてもらうぜ…政宗!」
 にっこりと政宗が笑った。そのときほど、孫市は政宗を恐ろしいと感じたことはなかった。政宗は手首を鳴らして言った。
 「わしに勝てたらな?」










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初掲載 2008年3月23日