春を待つ人 第三話   現代パラレル


 雑賀孫市には無二の舎弟が二人いる。
 もうかれこれ数年の付き合いになる二人は、孫市がバイトをしているコンビニ最寄の駅から公立の男子高校へ通っていた学生である。名を甘寧、凌統と言い、前者は昔ながらのヤンキーを地で行っており、後者は昨今の軟派風男をこれまた地で行っている。対称的で一見仲の悪そうな二人だが、あれでいて凸と凹が巧く噛みあっているらしく、双方認めたがらないものの中々仲は良いらしい。そうでなければ、大学と専門校、別々の道を選んだ今でも腐れ縁を続ける理由はないだろう。
 甘寧も凌統も学食やコンビニ弁当で昼を済ませるタイプで、そのため、孫市とも入学早々に知り合うことになった。まだまだ男同士でつるむ方が楽しいというか、男子高で女と縁がないとでも言うのか、何にせよそういう事情で、三人で良く孫市の部屋にたむろしている。あれで案外愛らしいのだが、傲慢な態度が鼻につき誤解されやすい政宗を気遣って、政宗と二人が知り合う切っ掛けは終ぞないのだが、いつかは紹介できたら、などと孫市は内心希望している。
 しかし、軟派を装いながら実は純情な凌統が恋をしているらしい、と孫市が知ったのは、三年前のまだ政宗が半同居していない日のことだった。
 「あいつ、馬鹿なんすよ。孫市さん。」
 凌統が手洗いに出かけた隙に、こっそりと笑いながら切り出したのは甘寧だった。
 「好きな女と学祭でくだらねー賭けしてて、勝ったんです。たぶん、賭け自体は真剣だったと思うんすけど。全国模試で順位がどうのっつーやつで、俺なんかお呼びじゃねえっつーか。名前が載るなんて馬鹿だろっつーか。」
 そこで己の順位を思い出したのか、甘寧はばつが悪そうに頭を掻くと、意識が脱線したのを察したのか居住まいを正して、話を再開した。
 「そいつ、俺らとは学年も学校も違うんすよ。俺らは男子高で、そいつは、ほら、孫市さんのバイト先の近くに高校あるじゃないっすか。そこに通ってるんす。ただ、小せえときに近所の柔道場に通ってて、そこでの俺らの後輩で、それ以降も付き合いはそこそこ続いてて…。今もたまにやり合うんすけど、中々のやり手っすよ。」
 柔道は、甘寧も凌統も全国大会にも行く実力の持ち主で、甘寧などは、今の男子高に行けているのは、これ全て柔道特待のお陰といっても決して過言ではない。互いに切磋琢磨しあう二人は、去年は甘寧が、今年は凌統が全国優勝を果したはずだ。
 その甘寧に褒められるとはどれだけの実力だ、と、脳裏に筋肉むきむきの逞しい少女を思い浮かべる孫市に向かって、甘寧はとうとうと話し続けた。
 「で、凌統、そいつに昔っから惚れてるんすよ。一目惚れっつーんすか?マジ馬鹿みたいで。いや、実際、あいつは馬鹿なんすけど。四月馬鹿?」
 「…凌統に一目惚れした女の子がいるってことはわかったが。何が馬鹿なんだ?賭けをして、それで?」
 孫市の問いかけに、甘寧が笑い混じりで膝をたたいた。
 「凌統、そいつに嫌がらせばっかで、俺から見てるとかえって嫌われてんじゃねーのっつーことばっか仕掛けるんすよ!今回も、」
 そこで、甘寧の頭に拳骨が落ちた。犯人の顔は仰ぐまでもない。凌統だ。
 「てっめ、甘寧。何勝手なこと話してやがる!」
 恥ずかしさを隠すようになされた怒声は、耳まで赤く染まっているのでは、小指の爪先ほども説得力がない。迫力を欠いた罵りを、甘寧は耳を塞いで受け流しながら、孫市に目だけで笑って見せた。


 そのときは、青春の微笑ましさに孫市も笑い返したのだが、その後はちょっと困った。
 どうも、甘寧の要領を得ない話からするに、話はとんとん拍子で進み、清く正しいお付き合いというものに凌統は無事にありついたらしい。
 「孫市さん。俺、彼女出来ました。」
 「へー。良かったな。今度紹介してくれよ。」
 改まって報告にやって来た凌統に、孫市は冗談で軽くそう言ったのだが、凌統は苦渋に満ち満ちた顔で唸った。
 「そ、それは、…それ、は。それは、いくら孫市さんの頼みだからって、駄目っす。マジ、ホント、可愛い彼女なんで、絶対惚れるから駄目っす!むしろ、惚れない方がどうかしてるんで…!」
 かつてない妙なテンションの盛り上がりを見せた凌統に、拳を振るって力説された。
 これは、女好きという事で信用がないのか、それとも、本当に惚れ抜いているだけなのだろうか。孫市が困って甘寧を見ると、甘寧は諦めた様子で言った。
 「でも、こいつ、マジで言ってるんで。孫市さん、怒らないでやってください。俺からも頼みます。俺は前からの付き合いで知ってますけど、クラスの他の奴ら、紹介どころか写真すら見たこと…名前すら知らないっすよ。」
 「そりゃ、徹底してるな。凌統のやつ、マジ、なのか。」
 「そりゃ、マジ、っす。苦節十…えーっと、十…じゃねえか。九年越しの片想いっす。」
 一般に、男は恋をすると愚かになる、という。無論、孫市も馬鹿になったことの一度や二度や三度ないではない。しかし、本気の恋だとどこまでも果てしなく馬鹿になるのだと、孫市はそのとき知ったのだった。
 凌統はとうとうと、どれだけ恋人が愛らしい少女か、真剣に熱心に語っていた。しかし、惚気話というものは得てして聴く方にはしんどいものだ。このときもご多聞に漏れず、孫市も甘寧も右から左へ聞き流していた。



 だから、孫市は、結局のところ凌統がどんな少女をお付き合いしているのか、詳細をまったく知らなかったのだ。勿論、さわり程度ならわかる。
 幼少時に通い始めた柔道場で知り合い、一目惚れ。凌統は好きな子程虐めたくなる少年の典型を地で行き、甘寧によれば、おそらく少女に嫌われて長年を過ごす。しかし、何だかんだでその後も親交は細々と続き、苦節九年でようやくゴールイン。そのためか、凌統は彼女を掌中の珠よと愛でても足りないほどに猫かわいがりしており、そんな凌統を彼女は若干放置気味。凌統はめげずに、彼女に貢ぐためバイト中。
 しかし、あとはまるでわからない。もしかしたらすでに話されたのかもしれないが、そのとき孫市はあまりの惚気話に無我の境地へと至っていたので、話の内容は素通りしている。また、訊くことはすなわち藪蛇に他ならない、と孫市は十二分知っているので、知る気にもなれない。孫市が凌統の恋模様を知らないのは、そのような深刻で馬鹿らしい事情があった。


 そういうわけだったので、凌統から恋人に会って欲しいと言われたとき、孫市は純粋に驚いた。
 「あいつ、高校卒業したら、海外に留学するとか言い出してるんですよ。三月の二十二日に旅立つとか、もう、勝手に予定立ててて…、孫市さんからも何か言ってやってください!俺、もう、孫市さんしか頼れる人が思い当たらないんです…!」
 兄貴分としては助けてやりたいのは山々だったが、孫市は凌統の恋模様をまるで知らない。試しに話を聞いてみればその恋人は自らの夢に向かっているようで、そのための留学であれば、孫市も致し方ないように思えた。しかし、凌統が恋人に惚れ抜いていることも知っている。板挟みになった孫市は、結局、事情を知らない人間がとやかく言うべきことか悩んだものの、凌統の恋人を説得するためにのこのこ出かけることになった。


 凌統が話し合いに選んだ場所は、駅前の騒々しいファミレスだった。孫市のバイトするコンビニ前駅からは二つ離れた場所にある。
 何故、わざわざこの場所を選んだのだろうといぶかしんでいた孫市も、向かう車中で、そういえば凌統の恋人が現役高校生で孫市のバイト先のコンビニのすぐ近くにある名門校に通うお嬢様なのだと思い出した。知り合いの多そうな場所で、愁嘆場を晒しそうな話し合いは流石に御免だろう。もっとも、何故、孫市という助っ人の存在を凌統に恋人が許したのかさえ、孫市にはさっぱりわからなかった。普通、初対面の人間に横から口を挿まれたくはないだろう。それとも、凌統の話では気配もなかったが、あちらにも、何らかの助っ人がいるのだろうか。
 首を捻りつつ車で乗りつけ、ファミレスの店員に一番奥の席へ案内されると、そこには見知った顔が三つ並んでいた。凌統、はわかる。だが、何故、政宗とガラシャがいるのだろう。大いに腰が引けてきた孫市に、ガラシャが嬉しそうに手を振って招いた。政宗もちらりと一瞥を投げかけ孫市の登場を認めたらしく、どうでも良さそうに紅茶を啜った。オレンジペコーがメニューにないので、今日はダージリンで我慢している。そんな中、唯一、ぴりぴりしているのが凌統だった。凌統のコーヒーは苛立っているときの常で大量の砂糖とミルクを投入されていた。
 不可解な状況と嫌な雰囲気に、孫市は増援を頼もうと周囲を見回したが、勿論、駅二つ分隔てたファミレスに知り合いがそうそういるわけもない。仕方なしに戦々恐々着席した孫市の横で、気分を落ち着けるためか、緊張に乾いた咽喉を潤すためか、凌統はコーヒーを一口飲んだ。
 孫市はとりあえずコーヒーを注文して、恐る恐る問いを口にした。
 「お前…ブロードウェイに羽ばたくのか、ガラシャ。」
 「む?孫に話したか?そうなのじゃ!」
 ということは、やはり、ガラシャの彼氏が目の前の凌統で、凌統の恋人が目の前のガラシャなのだ。思えば、これまでもそれらしい情報は多々あった。嫉妬深い彼氏に、愛らしい彼女。また、双方、三年前の学園祭が契機で付き合い始めている。何より、『政宗も直接知らぬとは思うが…、ほら、男子高の柔道部の。知り合いであろう?』というガラシャの台詞。更に、甘寧曰く、凌統の彼女は柔道のかなりの使い手で、それは、ガラシャも当てはまる項目だ。現に、孫市はガラシャに投げられたことは両手の数では足りないほどである。
 頭の中が混乱する孫市をいっこう気に留めず、政宗がのんびり感想を洩らした。
 「念願が叶って良かったな、ガラシャ。わしも陰ながら応援しとるぞ。孫市も、草葉の陰から見守ってやれ。」
 「草葉って、俺、死んでねえし。て、ガラシャ、お前。結婚すんじゃねえの?」
 「勿論するぞ!孫はまさか、忘れていたのか?」
 「あれだけ大騒ぎしたのに、するわけねえって!え、なのにお前、留学すんのか?」
 「む。孫は妾が日本を離れることに反対なのか?折角、夢が叶うというのに!」
 そこで、店員がコーヒーを持ってやって来た。孫市は素直にそれを受け取った。
 孫市としては、このまま店員にはいてもらうことで話し合いの邪魔をしてもらいたかったが、そうは問屋が卸さない。凌統が苛立った口調で尋ねた。
 「孫市さん、知り合いなんすか?」
 「ん?ああ、まあ…。」
 答えて、孫市は恐ろしくなった。はたと、ガラシャの彼氏が、丑の刻参りもしそうなほど嫉妬深い男だと思い出したのだ。凌統がそんな性格なのだと孫市はどうしても信じきれないが、彼女に接する態度を知らないだけに、孫市としては何とも言えないものがある。第一、凌統は、クラスメイトや孫市に名も顔も知らせないくらい恋人を大変大切にしているのだ。色恋沙汰では、豹変しないとも限らない。
 いっそとんぼ返りしてしまおうか、と問題の解決には程遠いことで真剣に悩み始めた孫市を脇に、三者は勝手に話し始めた。
 「大体、凌統は束縛しすぎるのじゃ!男なら好いた女の夢くらい叶えてやっても良いではないか!であろう、政宗?」
 「勝手なこと言うなよ!俺は束縛してるつもりなんかないし、夢だってそりゃ叶えてもらいたいけど。それでも、受験の終ったこんな土壇場になってから言うことはないだろって言ってんの!」
 「先に言うても、どちらにせよ、お主は反対したであろう?なら、終わってからでも大差ないではないか。受験中にごちゃごちゃ横から口を挿まれるなど、煩わしい。のう、ガラシャ?」
 「政宗の言う通りじゃ!まったく、これだから男は…寄らば大樹の陰…ではのうて。えーと?何というのじゃ、政宗。」
 「内助の功。」
 「それじゃ!ナイジョノコウ!女は陰で男を支えれば良いなどと時代錯誤なことを!」
 「別にそんなこと言ってないっての!俺だって精一杯応援したいけど、何つか…、孫市さんも何か言ってやってくださいよ!」
 突然お鉢が回ってきた孫市は注視される中、流石に現実から目を逸らすわけにもいかず、こほんと息を吐いた。
 「ま、まあ何だ?夢を追いかけるのはマジ大変なことなんだから、凌統も支えてやれよ。それでだな。うん。いくら凌統が口出ししそうだからって、相手の意見も考慮にいれないで受験した後に急に言うのは、やっぱ良くないと思うぞ。俺は。そこは凌統の意見も尊重してだな、やっぱ、折り合いをつけないと…。」
 そのとき、ふん、と政宗が鼻を鳴らした。
 「遠距離恋愛ごとき、何じゃ。距離なんて関係ない、俺たちの心はいつでも繋がってるんだぜ。寂しいときはあの星を見上げてみろよ、とか言うたのはどこのどいつじゃ。それをぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、馬鹿ではないのか。」
 「なっ。それは、修学旅行のときの台詞だろ…!三泊四日と四年じゃ、違うっての!」
 「四日も四年も大差あるまい。それとも何か?貴様は距離が生じたら、わしに飽いて他に女を見つけてしまうとでも弱音を吐いておるのか?わしが他の男に心をなびかせるとか、心を繋ぎとめておくだけの自信がないとか、そういう心配をしておるのか?戯言も大概にせい!いくらなんでも、わしに対して失礼であろう!」
 政宗はそう言うなり立ち上がり、凌統の胸倉を掴み上げた。孫市が止める暇もなかった。ガタン、と大きな音が響き渡り、続いて一瞬、店内はシーンと静まり返った。そんな状況を作り出した当人はまったく意に介さず、店を出て行った。颯爽と歩く様は王様、否、女王様だ。政宗によってきっちり着こなされた愛らしいプリーツスカートとブーツの組み合わせに、孫市はひどく眩暈がした。上半身がパーカーだったので、まったく、孫市は気付かなかったが、政宗は女装しているではないか。
 しかし、さしもの孫市もここまで来たら、現実逃避をするわけにもいかない。政宗の女装は女装ではない。あれは、つまり、ああいうことなのか。
 孫市の脳裏を今までの記憶が走馬灯のように駆け抜けていった。
 「流石は政宗!すばらしい投げ技なのじゃ…!」
 凌統は地面に伸びている。拍手と賛辞を送るガラシャに向かって、孫市は呆然と小声で尋ねた。
 「…なあ、凌統の彼女って政宗だったのか?」
 「そうじゃぞ?何じゃ、孫は知らなかったのか?」
 「てことは、政宗、女だったのか?」
 「当然であろう?何、馬鹿なことを言っておるのじゃ。」
 そう言ってガラシャは小首を傾げ、孫市はよりいっそう強まる眩暈にただ黙してテーブルへ突っ伏すだけだった。
 「お、女…。」
 そこで、孫市ははたとあることに気付いた。
 「政宗が凌統と付き合ってるって、じゃあ、あいつが結婚するやつ誰だよ?!」
 きょとん、とガラシャが目を瞬かせ、呆れたように溜め息を吐いた。
 「孫は馬鹿じゃのう。そんなの、ここで寝ておる凌統相手に決まっておるではないか。何じゃ。話を聞いておらんかったのか?良いか?もう一度言うから、ちゃんと聞いておれ?政宗が結婚するのは、ここにおる、馬鹿な凌統じゃ。」










>「第四話」へ


初掲載 2008年3月23日