雑賀孫市にはダチが沢山いる。
中でも仲が良いのは、前田慶次、趙雲、ガラシャだろうか。秀吉や政宗のようにかなり密度の濃い仲ではないが、それでも、密度の濃い時間を過ごしただけに今も関係は廃れていない。年も立場も違う孫市と彼らだが、会えば必ず、それまでの隔たりを感じさせずに会話に興じるくらいはしている。
とりわけガラシャは、孫市がバイトをしているコンビニ近くの名門校に通うお嬢様だが、何故か孫市に懐きまくっている。その姿はインプリンティングを経験しているひな鳥そのもので、孫市は嬉しいような悲しいような切ない気持ちに襲われる。ガラシャは美少女だ。
しかし、まず始めにダチになったため、孫市はガラシャを異性という目でどうしても見ることが出来なかった。出会った時はまだ十二歳だ。それで、異性として意識せよといわれても、孫市としても困ってしまう。そのように、まずイメージありき、が念頭にあるため、孫市はガラシャが成長した今も、どうしても異性として見れないわけだが、今まさに愛らしい少女から美しい娘へ羽化しようとするガラシャの姿は、孫市に少し勿体ないと思わせないでもない。だが、食指が動かないものは致し方あるまい。孫市は泣く泣く、現状を感受している。
ガラシャとの出会いがあのときではなく今で、そして、今同様後ろを着いてきてくれたら。
孫市も頻繁にそう思うのだが、そんな「もしも」はありえない。何にせよ、ガラシャは孫市の単なる「ダチ」である。それはこれまでもこれからも変らないだろう。
そんなガラシャに彼氏が出来たらしい。学園祭が切っ掛けだそうだ。
話をもたらしたのは、孫市の親友の政宗だった。奇遇なことに、政宗とガラシャは同級生らしく、たびたび連れたって孫市のアパートへ押しかけてきた。
その日、政宗に学期末試験の勉強を見てもらうのだと言って、ガラシャは大量の勉強道具持参で孫市のアパートへやって来た。勉強合宿のつもりなのか、大きなキャスターつきのバッグからは着替えや菓子も顔を覗かせている。内心、孫市は年頃の娘が、と呆れないでもなかったが、今更なので口を噤んだ。
その矢先の言葉が、彼氏発言だった。
「ま、政宗!言うなとあれほど言ったではないか!妾が孫を驚かせようと思うたのに!」
ガラシャは耳まで真っ赤に染めて、脇に置いてあったガラシャ専用のアヒルのクッションを政宗目掛けて投げつけた。政宗はそれを笑って受け止め、そんな気などなさそうに、「悪い悪い。」と謝罪を口にした。
「彼氏って、こいつのことか?」
カップルで泊まりに来られたとしても、孫市としては困ってしまうが、この仲の良さは只者ではない。差し入れにココアとオレンジペコーを淹れてきた孫市は、テーブルの上にそれを置きながらおっかなびっくりでガラシャに尋ねた。
「んなわけなかろう。馬鹿め!」
「そうじゃ、孫!政宗を馬鹿にしておる!妾の彼氏は政宗ほど世渡り上手でもないし、頭もここまで良くない…、何より、ここまで格好良くはないのじゃ!」
視線の先で、政宗が嫌そうに顔をしかめ、ガラシャがフォローとも取れない妙な彼氏貶しを合間に挟むと、その言葉に、政宗が心底微妙そうな面持ちで頷いた。脳裏には、貶された彼氏の顔が浮かんでいたのかもしれない。
「じゃ、今度、そいつも連れて来いよ。」
「そ、それは駄目なのじゃ!」
気軽に声をかけた孫市に、ガラシャは恐れるように悲鳴を上げた。そのわけを、政宗が弁明した。
「こやつの彼氏は嫉妬深いのじゃ。孫市なぞ、紹介してみよ。今に、お主、藁人形を作られて五寸釘を打ち込まれるぞ。」
「…そういう系なのか?」
「いや、単なる例えじゃが…。」
ちら、と政宗が隣を見やると、ガラシャもちらりと政宗を見た。
「やらぬとも言えぬのじゃ。だ、だから、孫は紹介できないのじゃ!孫も命は惜しいであろう?!」
「…微妙な彼氏を作ったな、ガラシャ。」
「でも、妾に対しては良いやつなのじゃ!」
微妙に引き攣る笑顔で感想を述べた孫市に対し、ガラシャは必死に力説した。
「政宗も直接知らぬとは思うが…、ほら、男子高の柔道部の。知り合いであろう?」
「まあ、知らんこともない。」
どうでも良さそうに政宗は言って、仕切り直すように教科書を広げた。
「さ、ガラシャ。やるぞ。お主は英語と現国、それに倫理か。それ以外はからきしなのじゃから、時間はいくらあっても足りん!」
その言葉にガラシャは悲鳴を上げた。詳しいことは尋ねていないが、どうも、政宗が述べたようにガラシャの成績は芳しくないらしい。孫市は苦笑して、その場を立った。
「しっかし。あいつに彼氏がねえ…そりゃ、俺も老けるわけだわ。」
そのときの孫市は、娘を嫁に出す心境だった。
以来、ガラシャや政宗からそれなりに情報はもたらされたのだが、どうも、他人の惚気話は聞く気がしない。政宗の場合、話す方からしてどうでも良さそうな雰囲気だったので、孫市は尚更聞く気になれなかった。しかし、どうでも良いなりに、政宗も孫市もガラシャの恋愛を暖かい目で見守っていた。なるべく、知り合いには幸せになってもらいたいものだ。
そんな風にして若干放置されていたガラシャと彼氏の色恋沙汰が、どうも、放置できないレベルに達したのは、ガラシャが十六歳になる月のことだった。
ガラシャは喜びいっぱいという顔で、孫市のアパートへやって来た。満面の笑み、喜色を浮かべた顔、そういうのはこれを指すに違いない。後になっても、孫市の中で「満面の笑み」はそのときのガラシャを指す言葉である。そのガラシャに引きずられるようにして、渋面の政宗がやって来た。
あまりに対照的な二人に、出迎えた孫市は不安を覚えた。ガラシャは大いに天然の気があり、かなりの頻度でどこかへ突っ走る。一方の政宗は、若さゆえかそれなりにネタに走りやすいものの、年齢からすれば考えられないほど常識的だ。常識的すぎて、その真っ当さに呆れるほどだ。だから、二人がこのような顔でいるとき、ガラシャが何らかの暴走をしており、政宗が呆れ返っているというのは帰納法を用いずともすぐさま出てくる結論だった。
すこぶる残念なことではあったが、孫市の推理は見事に当たった。
「孫、喜べ!妾はお嫁さんになるのじゃ!」
「………………オヨメサン?劇のヒロインか何かか?」
昨年高校へ進学してから、ガラシャはミュージカル部に所属しており、歌は中々の腕前らしい。いわゆる、期待の新星である。夢はかなり大きくブロードウェイとのことで、孫市も政宗も呆れているが、実力も伴っている大願なのでそれほど荒唐無稽ではないのかもしれない。
ともあれそういうわけなので、まだ高校一年ではあるが、実力を測るため主役をまかされたりしたのかもしれない。少女の役目が多いソプラノとしては、そういうこともあるだろう。あるいは、喜劇でも演ずるのかもしれない。喜劇で良くあるパターンとしては、女好きの年老いた主人が女中に手を出そうとしたが失敗して奥さんに叱られ、女中も意中の人と結婚して幸せになりましたとさ、というものがある。薄々事実は察していたが、孫市はそれでも必死に目を背けた。オヨメサン、という単語はそれだけの破壊力を秘めたものだった。
しかし、重苦しい現実を知らせるように、眉間に深いしわを刻んだ政宗が呻き声をあげた。
「十六で結婚なぞ、まだ早すぎるであろう。高校生じゃぞ!?まだ何があるかわからぬというのに。いくら惚れたはれたとはいえ…、孫市からも何か言うてくれ!ガラシャの父上も、わしに泣きつくくらい参っておるのじゃ!結婚を認めぬなら、駆け落ちするとまで言い出しておって!」
やはり、結婚するらしい。
「そりゃ、まあ。未成年の結婚は親の許可が必要だしなあ。って、そうじゃねえよ!マジで嫁さんになるつもりか、ガラシャ!」
「そうなのじゃ!孫は妾の門出を祝ってくれるであろう?ダチ、じゃものな!」
「ま、待て待て待て待て。まだ早いっつか。お前、十六になるところだろ?え?相手は?」
「今年十八になったところじゃ。それでな、信長の叔父と濃姫様が賛成してくれて、結婚することになったのじゃ!」
それは、単に、光秀の胃に穴を開けようと遊んでいるだけではないのだろうか。孫市は脳裏に心底楽しそうな織田夫婦を思い浮かべ、いやいやと慌てて首を左右に振った。父親に対する嫌がらせだけで、娘が結婚する云われはない。
しかし、先ほどとは一転、政宗が己の無力さを呪うかのように呻いた。
「あの夫婦、マジでガラシャの結婚を応援しとるのじゃ。嫌がらせ、ではないぞ?楽しんでおるわけでもないぞ?いや、確かに楽しんではおるが、気に入りの娘が気に入りの男と結婚するから、今から行く末が楽しみだ、という意味で楽しんでおるのじゃ!」
末尾は叫びとなってアパートの玄関に響き渡り、孫市はそこでようやく、まだ玄関に立っていたことに気付いた。
結局、あの後、孫市と政宗と光秀らによる決死の説得の甲斐もあって、ガラシャはしぶしぶ結婚を諦めた。その代わりといっては何だが、自分が高校を卒業すると同時に父親公認の結婚式を挙げる約束を取り付けて、ガラシャとしても満更でもないようだった。ガラシャは反抗期で父と仲が悪い。それでも、やはり、父に己の好いた人を認めてもらいたい気持ちはあるのだろう。
ガラシャの説得に全精力を注いだ一週間で、孫市はすっかり己が老け込んだ気がしてならず、一方政宗も、しばらくは死んだように静かだった。
ふっとあるとき、孫市は気付いた。
「俺、新婦の知り合いだけど、式出れんのか?新婦側って、男NGじゃないか?」
「ただでさえ嫉妬深い新郎じゃものなあ。それで、お主がガラシャといちゃついてみい。殺されるぞ。結婚式が血の雨じゃ。」
テーブルに突っ伏した政宗に指摘され、孫市はざっと青褪めた。
「まあ、三月二十二日日曜日。空けておいて損はなかろう。何じゃったら、わしの知り合いということで呼んでやる。」
政宗はおかしそうにけらけら笑った。ガラシャ騒動以来初めての笑顔に、孫市は微妙な心境だった。
初掲載 2008年3月23日