春を待つ人 第一話   現代パラレル


 雑賀孫市には無二の親友が二人いる。
 もうかれこれ十数年の付き合いになる一人は、すでに妻帯者であり、恐妻家な上立場もあるので、つるむことも少なくなった親友だ。名を豊臣秀吉、という。孫市から見ると、土建屋の社長などやってそれなりに儲かっているようで、秀吉に言わせれば、地元では名を知らぬ者のいない名士ということらしい。「また法螺なんて吹いちゃって。うちの人の大言壮語にも困っちゃうわ。」などという妻の不安は他所事とばかりに、来年あたり、政治家に立候補するらしい。当地の選挙権を持っていないので何ともいえないが、親友としては、大こけしないことを願うばかりだ。
 もう一人の親友は最近出来たばかりなのだが、密度の深い付き合いであるためか、前者に匹敵するくらい仲が良い。名は伊達政宗、という。こちらは秀吉とは違い、本当に地元では名を知らぬ者のいない名士というやつで、試しに尋ねると、某時代の将軍が名を下賜していたり、本陣だったり、大臣を輩出していたりとすさまじいお歴々である。耳にした情報の半分以上は、孫市の頭を右から左に抜けていったが、それでもなお、それだけの情報は残る名家だ。成り上がりの豊臣ならまだしも、ちょっと、すごすぎて自分には不釣合いなんじゃないか、と孫市が不安になるのも仕方ないもので、自慢げに告げる政宗に圧倒されてしまうことも多々だ。
 しかも、政宗は高校生なのだ。県下では知らぬ者のない名門に通う、御年十八才の御当主。
 十八歳。改めて考えると、その字面に孫市は愕然とする。孫市が三十路であることを考慮するならば、何故知り合ったのかも謎な年齢差だ。先生と生徒。それならありえるかもしれない。だが、その間柄が親友になるのは、一般に少し難しいだろう。実際、孫市も政宗とそのように出会ったわけではない。
 出会いは、政宗の罰ゲームだった。


 出会いは三年前に遡る。
 当時、今と変らずフリーターだった孫市は、コンビニのレジでぼんやり立っていた。週刊誌の紐解きも終え、新商品の配列も完璧。店内では、数人の客が立ち読みに励んでいるのみで、孫市は暇でたまらなかった。これでもう少し時間が経てば通勤ラッシュに重なるのだが、少し早めの電車はすでに発車し、見る影もない。駅から徒歩十分の立地条件にあるエスカレーター式の名門校は、今日から学園祭とのことだが、それでも、登校するには些か早い。
 だらだら述べてきたが、要は、孫市は暇なのだった。
 レジにいるのもつまらないので、孫市が奥に引っ込もうとしたときだ。そこに、政宗はやって来た。
 政宗はパリッと糊の利いたブレザーを着こなし、ダッフルコートをなびかせやって来た。十一月の早朝のことで、コートにマフラーは欠かせなかった。漲る若さゆえの傲慢というのか、それとも、名家ゆえの自慢というのか、失敗など一つもしたことのなさそうな真っ直ぐで明るい瞳をしていた。
 はじめ、政宗に対し、孫市はまったく興味がなかった。年齢からいっても手を出せば犯罪になること必須で、しかも、いくら愛らしいとはいえ男。美少女ならまだしも、美少年に孫市の食指は動かない。第一、少年でオッケーならば、孫市の知り合いには美しさで更に上を行く森蘭丸という知り合いもいる。一応記しておくと、少女でオッケーならば、ダチのガラシャがいる。ガラシャは政宗と同年になるが、孫市の食指の埒外である。
 何にせよ、孫市は政宗に興味を持たず、ただ、客が来たなあとぼんやり見ていた。
 そして、びっくりして、眠気が吹き飛んだ。
 それはおそらく、周囲の客たちも同様だったろう。政宗は真っ直ぐ雑誌コーナーへ向かい、際どすぎるエロ雑誌を手に取った。制服で買うような代物ではない。孫市は政宗がまとう制服が中学のものであることを知っていた。十八禁雑誌を売れるわけもない。
 唖然とする周囲の空気を意に介さず、政宗は真っ直ぐレジへやって来ると、手の中のメモに視線を落とした。
 「これを。…あと、温めてくれ。領収書も頼む。」
 「…罰ゲームか?」
 思わず敬語も忘れた孫市に、政宗はむっつり顔で頷いた。それに、これまた思わず、孫市は年齢も考えずにその商品を売ってしまった。
 「頑張れよ、少年。」
 レンジが雑誌を温めている間、孫市はにやにや笑いながら、保温器からペッドボトルのレモネードを出して、政宗に手渡した。
 「少年ではない。わしには伊達政宗という立派な名がある。…何じゃこれは。」
 「罰ゲームやらされてる政宗に差し入れ。おごりだから、素直に取っとけよ。」
 「…すまんな。」
 煩わしそうながら素直に受け取り礼を告げる辺り、育ちの良さが覗える対応だ。孫市は思わずにやにや笑った。
 「政宗のクラス、何すんだ?今日から学祭だろ?あ、領収書の名義は?」
 「…男女逆転喫茶。名義は、そうじゃな。自分で書くから、空欄にしてくれ。」
 そこでチンとレンジが音を立てたので、孫市が温めた雑誌と領収書を手渡すと、政宗は嘆息交じりに立ち去った。
 「迷惑をかけた。すまんな。」


 政宗が孫市のバイトするコンビニを訪れたのは、後にも先にもこれっきりだった。
 だが、そんな強烈な客は忘れようにも忘れられるわけもない。そのうち、孫市は政宗が当地で知らぬ者のない名家の嫡子なのだと知った。そして、孫市が知りたがり集めるまでもなく、政宗の噂はあちこちから大量に雪崩れ込んできた。それは孫市を辟易させるに十分な量で、結局、孫市はさわり程度のささやかな噂しか知らずに再会に至った。
 学園祭最終日のことだった。日曜である。
 向こう側から歩いてくる政宗の姿に、孫市はへらりと笑いながら手を振った。
 「よう、少年。学校帰りか?精が出るな。」
 「名を教えたのに、覚えとらんのか貴様は。」
 「え?もち、覚えてるぜ?政宗、だろ?あ。ちなみに俺は、」
 「雑賀孫市であろう?」
 「あれ?俺、言ったか?」
 「言わずとも、貴様のようなナンパな男。有名じゃ。馬鹿め。」
 政宗はそう言って大きな紙袋を漁ると、中から飲料を取り出し、孫市に放った。
 「昨日の礼じゃ。」
 「別に良いのに。」
 「こういうのは返さんと、わしがすっきりせん。素直に受け取っておけ。」
 ずいぶん、生意気な中学生があったものである。立ち振る舞い一つとっても、政宗は尊大で鼻持ちならなかったが、それがかえって孫市の興味を引いた。
 「なあ、政宗。暇なら、そこの公園で一服付き合えよ。俺が奢るから。今日の学祭の首尾でも話しながらさ。」
 「下手くそなナンパもあったものじゃな。第一、それでは、わしにまた一つ貸しが出来るではないか。」
 おかしくなって、孫市は笑った。
 「馬鹿言うなよ。いくら可愛くっても、お前をナンパするほど、俺は飢えちゃいないつもりだぜ?それに、借りなんざダチの間にはいらない。だろ?」
 何が気に触ったのか、政宗はきっと孫市を睨むと、呆れ帰った様子で笑った。
 「ダチ、か。仕方あるまい。一服、付き合うてやる。」


 以来、孫市と政宗の友情は育まれることになるのだが、こうしてみると、孫市は政宗のことをさして知らないことに気付かされる。地元の名士というだけあって、それこそ、政宗関係の噂は巷に溢れかえっていた。だからこそ、孫市は辟易して知ろうとも知りたいとも思わず、今日まで友情を続けてこられたことになるが、これだけ相手の素性を知らない友情も少し珍しいのではないか。
 孫市と秀吉は、相手の腹も裏も素性も事情も全て知っている。何せ、中学時代からの腐れ縁だ。それでは、相手のことを知らないという方がむしろ難しいのだが、このように、友情とは相手に関する知識が少なからず重要な面を担っているのも事実である。
 孫市が政宗について知っているのは、伊達家の歴史と政宗の名の由来、あとはガンゲーが好きだとか、勝負事には躍起になって自分が勝つまでゲームを止めないとか、アイスクリームに目がないとか、そういう付き合いの過程で自ずと見えてきた事柄だけだ。
 それだけわかっていれば、素性などとやかく言うべきではない。重要なのは、相手の人柄だ。
 孫市にしてみても、政宗に何か話したわけでもなく、そもそも、政宗に対して格別話したいような事柄もないのだ。秀吉と無茶をやって大阪まで自転車で旅に出たとか、補導されたとか、一時は非行に走って秀吉を困らせたとか、今にしてみれば恥ずかしい過去ばかりだ。何より、年齢差が年齢差である。話したところで、年齢差を尚更自覚して身につまされたり、「だから?」と返されたりするようでは、孫市としても心が痛む。
 そんな風に物事を捉えて、孫市は政宗とのらりくらりと「親友」をしていた。
 孫市の住む狭いアパートの一室は、政宗が持ち込んだゲーム機やクッションやCDに占領され、居心地の良い部屋と化している。次々に増えていく持ち物に孫市は咎めるわけでもなく、何をするでもなく背後で政宗が宿題やゲームをしている時間を大切に思ったりもしていた。消費した電気代などは払ってくれるので、文句など出るはずもない。
 孫市は政宗が持ち込んできた素っ気無いマグカップにオレンジペコーを淹れて、差し入れとして持っていってやった。まがりなりにも、政宗も受験生。孫市には及びも着かない学力の高さを誇る政宗の勉強の邪魔はせず、のんびりと見守るより他にない。
 テレビからは人気タレントが電撃結婚した報道が流れていた。
 「そうじゃ。孫市に言うとらんかったな。三月十五日日曜日。空けておいてくれ。」
 「ん?何かあるのか?」
 四ヶ月も先の話に孫市がいぶかしみ首を傾げると、政宗はノートから目も上げずに告げた。
 「結婚式がある。」
 「誰の?その翌週の間違い、じゃなくて?」
 「間違っとらん。」
 「じゃ、誰の?」
 「わしの。」
 これまでの付き合いでわかったことだが、実は、政宗にはかなり秘密主義の気がある。それは、「黙っておいた方がびっくりさせられるだろう。」という希望的観測の粋な計らいだ。だが、孫市はこれまで、この計らいにこれほど驚かされたことはなかった。
 二の句を告げずあんぐり口を開けて呆ける孫市を、政宗は指を差しけらけら笑った。










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初掲載 2008年3月23日