政宗の江戸での生活もこれでようよう二年目になるが、まだまだわからないことがある。町人と武家との違い、地方と上方と江戸との違い、それらが激しいためだろう。
例えば、江戸では基本女が男を誘うものだ。男には恋文を書くことと満月の晩に夜這う程度の権利しかない。それらにしたところで、女が拒めば何も出来ない。参勤交代や江戸店で男が飽和状態であることが原因だろうが、奥羽ではまずありえない。
また、未婚のうちはどれだけ男とねんごろになろうが、女は罰されることがない。先の狂った男女比が要因だろうが、傷物という概念はないらしい。これも武家ではありえないことだ。
言ってしまえば、政宗は江戸での恋愛に不慣れだった。
そしてそれは、上方育ちの三成も同様だった。
若旦那から笹色紅を貰ったのだと左近の元へ報告に来た政宗は、ぱっと見た限り困惑していた。男として生きてきたため、女として贈物をされた経験がないのだろう。それが女としての象徴であり、男から女への贈物で一等人気の紅であるとくれば、言わずもがなである。
その上、玉虫色に光る笹色紅は紅の中でも最高級品だ。政宗は誰かからそれを聞き及んだのだろう。
矜持の高い政宗が左近の元へ恋愛相談に来ることも異例だが、泣きそうな顔でどうしたものか問われれば、左近も答えないわけにはいかない。若旦那と可愛い部下の恋の行方がかかっている。先日、ねねにも二人のことは重々宜しくと頼まれたばかりだ。
ここはいっちょうやりますか。左近はふむと腕を組み、閃いたことを言ってみた。
「丁度、土用の丑の日だ。鰻でも誘って食いに行って来たらどうだい。」
土用の丑の日、と言ったのは平賀源内だ。それ以来何かと土用に好んで食べられるようになったが、元々、鰻といえば蒲焼が焼きあがるまでの小一時間、個室でしっぽりするのが通例だ。もう少し金子に余裕があれば、不忍池に蓮飯を食いに行っても良い。金がなければ若いうちは野外でも普通であるが、仮にも、大店の若旦那が外で逢引は問題だろう。
鰻が一杯六百文、蓮飯の席料が一分。鰻は庶民の店であるから、三成は蓮飯に変更するかもしれない。どちらにせよ、足りない分は三成が補うだろう。そう思い、これを使えと幾らか金子を渡してやると、政宗はすみませんと受け取り、三成の元へ駆け寄った。まるで子供の使いである。
そんな二人もこれで男女の仲になるのか、と左近はどこかしみじみと寂寥のような喜悦のような何とも言えない感情を抱いて、二人の背中を見送った。
政宗と三成の二人とも、江戸の恋愛に関していろはのいの字も知らないことを、生憎、左近は失念していた。
その日の夕方、明智から使いがやって来た。何でも、岡っ引きの孫市ともども鰻を馳走になったそうで、そのことをガラシャが心底喜んでいるというのである。多目に渡しておいた金子の余った分は、どうやら二人の連れの御代に消えたらしい。
使いは何故か自分のことのように、申し訳ないと頭を下げた。それを上げてやりながら、左近は若干遠い目になった。
まだまだ先は長いようである。
初掲載 2007年12月31日