芒と満月の描かれた大杯がある。武蔵野と呼ばれ、「野見尽くせぬ」と「呑み尽くせぬ」をかけて、大酒飲み大会で利用される杯である。江戸では、大酒飲み大会は頻繁に開かれていた。
それを唇につけると傾け、瞬く間に空にする政宗の姿に、左近は何故このようなことになったのだろうと思っていた。
寿司でも食いに行かないか、と誘ったのが発端だった。初物の鰹を奢るから、と左近にしては、一歩間違えれば男として政宗を口説いていると取られかねない拙い誘いだったが、政宗はそれに気付かなかったようで、はいと素直に頷いた。それから、ねた晴らしで若旦那も来るからというと、政宗は頬を赤らめた。
「わ、若旦那もいらっしゃるんですか。」
非常に初々しい反応だ。あまりに、初々しすぎる。ねねにせっつかれる身としては、既成事実でも何でも良いから出来上がって欲しいところだ。
そういう打算もあって誘ったので、左近は二人が席に着くと当然のように酒を頼んだ。酔った勢いで性別や素性を洩らすことを恐れているのか、左近が知る限りでは、政宗が呑んだことはなかった。
だからこそ、不慣れで酒にも弱いだろう。酔った勢いで――というのを左近は狙ったわけである。
政宗は固辞したが、上司の手前ということもあり、これ以上は野暮だと諦めたのか杯を受け取った。
丁度傍では大酒飲み大会が始まろうとしていた。
「若旦那、はじめのつまみが刺身ってのは野暮ですよ。西なら良いですが、ここは江戸なんですから。ほら、はじめは寿司じゃないと。」
「うるさい。どうしようと俺の勝手だろう。」
「そんなことばっか片意地張ってるから、駄目なんですよ。」
左近は三成に気を取られていて、三成の向こう側に座った政宗にどのような変化が訪れているのか、気付かなかった。常は雪のように白い貌が赤味を帯び、潤んだ瞳は悩ましい色香に溢れ――ここまでは、左近の期待通りだったと言える。これならば今宵、三成とも色めいた関係を築けよう。
しかし、更に下戸であれば良いとは思ったが、まさか、酒癖が悪いなどとは思うまい。その上、政宗は上戸だった。
その潔いほどの呑みっぷりに、大酒飲み大会の常連である慶次に見止められ、飛び込み参加。気がつけば、政宗と慶次の一騎討ちだ。日本酒、焼酎、アラキ。度数の強いアラキがあれだけ大量に消費されるところを、左近は生まれてはじめて見た。
「左近、政宗は酒が強いな。」
何故か自分のことのように嬉しそうに、刺身を突きながら三成は言った。
翌朝、政宗は何も覚えていなかった。ただ猛烈に酒臭くなっている事実と、慶次との親交が深まっていた事実からおおよそのことは察したらしく、申し訳ないと深く頭を下げられた。国許にいたときからこうだったらしい。考えてみれば、政宗の郷里は北国である。道理で酒に強いわけだ。
左近は苦笑して頭をかいた。
まだまだ先は長いようである。
初掲載 2007年12月31日