俺の殿がこんなにかわいいわけがない 第二話


 その日、区画整理で同意を得るため、三成は秀吉の許へ登城していた。三成にしてみれば、この半月かかりきりだった案件である。分厚い提案書によく目を通した上で意見をもらいたかったのだが、秀吉は上の空で三成をじろじろ見つめた。
 片意地で狭量なことで知られる三成は、当然のことながらむっとした。しかし、主君の不躾な視線を無視して、意見を求めた。三成と秀吉は数年来の付き合いになる。このような奇行にも慣れたものだった。
 秀吉が口を開いた。
 「三成、おみゃあさん、妻帯はしないんか?」
 「…何です、藪から棒に。」
 いまだ値踏みするような秀吉の視線が気に入らず、三成は身構えた。経験上、三成は知っていた。このように上の空で前触れなく話が切り出されるとき、秀吉はろくな話を寄越さないのである。
 実際、このときの話ほどろくでもないものもなかった。
 「実は、おみゃあさんと政宗の間に縁談が持ちあがっとるんさ。」
 正直、意味が解らなかった。また秀吉流の新手の冗句だろうか。三成は疑り深く秀吉の顔を窺った。
 「そうですか。」
 「そうですか、って、それだけなわけないじゃろ。他に何かないんか?」
 「未だ一揆を企むようなやつです。婚姻によって豊臣に取り込むのも手立ての一つでしょう。そう従順な女とも思えませんが。」
 実際、馬鹿げた話だった。いくら見目麗しいとはいえ、田舎育ちのじゃじゃ馬を嫁にもらうなど、お話にならなかった。噂によると、確かに政宗には、持ち前の美貌と血統の良さとも相俟って引く手あまただった時期もあったらしい。兼続と幸村の口の端に上っていたので、三成もよく覚えていた。しかし、大崎の一件が噂になってからは、伊達の婿取りが難航しているのは周知の事実だった。
 「ですが、実に、馬鹿馬鹿しい話です。」
 内心どう感じているのか、隠しもせず吐き捨てる三成に、今度は秀吉が探るような視線を向けた。
 そのとき、賑賑しい音を立ててねねが現れた。
 「お前さま、いる?」
 「ね、ねねっ!ど…どうしたんさ?」
 一瞬にして空気が華やいだ。秀吉は常にない妻の登城に浮気がばれでもしたのかと肝を潰した様子で顔を青くした。対照的に、三成は僅かに頬を綻ばせて、愛する北政所の登場を歓迎した。しかしそれも、ねねに手を引かれている政宗の姿を目にするまでだった。政宗は瀕死の呈だった。何か、嫌な予感がした。
 いっとき、眉間にしわを寄せた三成と政宗の視線が交わった。まるで親の敵を見るかのような眼差しに、秀吉は、室内の温度が冷えたかに思われた。
 だが、そんな状況を露とも知らない能天気な奥方は、かんらかんらと笑い声を立てた。
 「なあに?私が来たら、そんなにおかしいの?」
 満面の笑みながらも、どこか底冷えするような声だった。まさか、浮気がばれているのだろうか。これはまずいと感じた秀吉は、ごまを擦りながら、ねねの元へ向かった。
 「そんなことはないぞ!断じて、ないっ!よう来てくれたな、ねね!そ、それで…、どうしたんじゃ…?」
 「やあね、もちろん、決まってるじゃない。三成と政宗のことだよ、お前さま。」
 ねねは笑みをこぼしながら、消えてしまいたいとでもいうように自分の背後で身を縮こまらせている政宗を前に押し出した。他人の背に隠れているなど、政宗の自己顕示欲が強いことを考えれば、非常に珍しい事態だった。三成はますます嫌な予感を募らせた。
 あっけらかんとねねは言った。
 「それで、三成。政宗との祝言はいつにするの?私は早ければ早いほどいいと思うんだけど。」
 「…祝言、ですか?」
 「あっ、もちろん、花嫁衣装のこともあるから、無理して急がなくったって良いんだよ。でも…。」
 そこでねねは何を思ったのか、頬を赤らめ、ちらりと夫へ思わせぶりな視線をくれた。
 「ねえ、お前さま、早いに越したことはないよね?」
 「え?あ、何でじゃ?」
 「お前さまったら、忘れちゃったの?私たちのときは、…ほら、わかるでしょ?」
 「あ、ああ…!ああ、そういえば、そうじゃな。ああ、早いに越したことはないんさ!」
 傍目にわかる程落ち着きをなくしもじもじし始めた太閤夫妻を前に、三成は閉口した。悪夢でも見ているようだった。だが、これは現実なのだ。しかも、三成が敬愛して止まないねねは、この馬鹿馬鹿しいにも程がある縁組を信じて疑わないようである。
 三成は開いた扇の下から政宗を一瞥した。政宗は憤怒と絶望のどちらに傾けば良いのか決めかねて、顔を赤くするやら青くするやら忙しそうだった。常は狡知に長け、良く回る舌を持つ政宗も、今ばかりは使い物にならないようだった。
 三成は扇を閉じ、溜め息をついた。
 「おねねさまの話はわかりました。日時は俺と政宗で話し合って決めます。決定し次第正式に報告しますので、それまで口を挟まないでください。」
 「…っ!三成!」
 三成の不用意な発言に、政宗が血相を変えた。秀吉は首を傾げた。
 「じゃが三成、さっきは…。」
 そこまで言いかけた秀吉は、三成の冷たい眼差しに黙らされた。有無を言わせない眼差しだった。三成は感極まって眦を熱くさせているねねの手から政宗の手をもぎ取ると、噛んで含めるように、再び繰り返した。
 「日時は俺と政宗で話し合って決めます。決定し次第正式に報告しますので、くれぐれも、それまでは口を挟まないでください。」
 そうして部屋を出ていく間際まで、三成は秀吉を牽制するのを止めなかった。なにしろ、秀吉の口が軽いのは周知の事実だったのである。


 さて、大阪城の一角。三成のために設けられた執務室に着いた途端、政宗は感情を露わにした。
 「貴様は類を見ぬほどの愚か者じゃ!血迷ったのかっ?!何故かような言質を取らせる真似をした!馬鹿め!」
 政宗は地団太踏んで悔しがった。憤慨するあまり、目には涙すら浮かべていた。
 三成は政宗がこれほどまでに感情的になって動揺するのを初めて見た。傍から見物できる立場にあれば、実に面白い見物だったろう。しかし、実際は、三成は当事者だった。三成は政宗の喚き声に嫌気がさして、文句を言った。
 「少し黙ったらどうだ…お前の金切り声は頭に響く。」
 「誰が金切り声じゃ…!馬鹿めっ!」
 ますます、政宗が激高した。当然の結果だった。事態は先ほどよりいっそう悪くなった。
 三成は結婚後の生活を考えて、憂鬱になった。だが、これが最善の策なのだ。第一、無理をして同居する必要性はないのだ。
 三成は己の愚挙を棚に上げて、怒りのあまり部屋の破壊に乗り出そうとしている政宗へ我慢強く説明した。
 「政宗、俺の話を聞け。貴様とて、これが一番の方策だったとわかるはずだ。」
 「戯言を申すな!」
 「戯言を言うつもりはない。だが、この機会を逃せば、婚期を逃したお前が伊達に世継ぎを残せる機会は先延ばしになるはずだ。お前は、亡き父に恩義を感じていないのか?まさか忘恩したわけではあるまい。それに、痴れ者でもないだろう。政宗、お前は疾うに伊達のため何を為すべきか承知しているはずだ。」
 「そ…それは…確かに…。」
 父の亡霊に憑かれていると噂されるほど亡き輝宗への過剰な愛を貫く政宗は、父を話題に出されてにわかに口ごもったが、ここで言い包められては拙いと思ったらしく、三成に噛みついた。
 「しかし、それとこれとは話が別じゃ…!それに、貴様には一体どういう利点があるというのじゃ!」
 「…俺か?」
 「そうじゃ!」
 三成は押し黙って、案外律儀に答を待つ政宗をまじまじと観察した。
 つり上がり気味の眼は大きく、感情が豊かで、多くの武将たちが心服されるのも仕方ないと思えるような魅力にあふれていた。幼さの残る面立ちは多分に愛らしさを留めていたが、それも間もなく、過分な艶に取って代わられるのは目に見えていた。豊満とは言い難いものの均整のとれた肢体からは、貴族特有の上品な色香が漂っていた。
 これまで格別の興味も持たなかったので、三成がこうして政宗をちゃんと見るのは初めてのことだった。驚くべきことに、政宗はまずまずの整った顔立ちだった。いや、政宗のために公正を期すならば、まずまずどころではない。三成は政宗が世評通りの物言う花であることを認めた。
 だが、認めただけだった。他の娘たち同様、政宗に特別の興味はわかなかった。
 三成は詰らなさそうな口ぶりで、本心を吐露した。
 「俺は、おねね様の喜ぶ顔を見ることが出来る。」
 心からの台詞だった。
 政宗は呆気にとられたように瞬きを繰り返していた。やがて、心底納得したものと見えて笑い始めた。あまりに長く続く笑声に気分を害して、三成は憮然と頬を膨らませた。
 「それで、お前は納得したのか。」
 苦々しげに問い質す三成へ、政宗は眦に浮かんだ涙を指先で拭いながら返した。
 「ああ、ああ、すっかり腑に落ちて問うのも馬鹿らしゅうなるくらい納得してしもうたわ。ふふ、そうよな。貴様はおねねさまに甘すぎるほど甘い男じゃった。失念しておったわ。」
 それから、政宗は三成へ手を差し出した。意図をわかりかね、三成は視線で問うた。政宗は言った。
 「宜しく頼むぞ、共犯者。」
 三成は差し出された政宗の手を取った。
 「…良い比喩ではないが、気に入った。こちらこそ頼む、共犯者よ。」
 共犯者というよりは、同じ穴の狢、あるいは、同類相憐れむ、とでもいった方が適切な表現だったに違いない。ともあれ、三成と政宗は固く握手した。愚にもつかない婚姻の成立だった。










>「第三話」へ


初掲載 2012年9月9日