俺の殿がこんなにかわいいわけがない 第三話


 三成と政宗の祝言が執り行われたのは、秋口のことだった。紅葉の美しい時期で、山々は黄金に色づき、神仏でさえも二人の婚姻を祝福しているかのようだった。
 人々は新しい夫婦の誕生を、口を極めて褒めそやした。実際、類稀な美男美女の夫婦だった。その上、飛ぶ鳥を落とす勢いの家が縁づいたのだ。太閤の手によって乱世が幕引きされようとしている事実を考慮すれば、その隆盛は永劫続くかに思われた。
 もう命を危ぶまずとも良いと判断したのだろう。数カ月ぶりに雇い主の前へ姿を見せた孫市は、我がことのように政宗の嫁入りを喜び、酒を浴びるように呑んでべろんべろんに酔っぱらった。伊達と豊臣の縁組を内心快く思っていない家康や、これが政略婚である事実を承知しているがゆえに親友の婚姻を祝うべきなのか判断に苦しんでいる兼続を掴まえては、この縁組のきっかけになったのは自分なのだと得意げにしゃべりまくった。
 そんな孫市の立ち振る舞いに、政宗は赤面した。政宗としても、この婚姻は自分の判断によるものなので、今更孫市にどうこう文句を垂れるつもりはない。しかし、まさか、娘の嫁入りに涙する父親ではあるまいし、こうも手放しに喜ばれては恥入ろうというものだった。
 恥をかき捨てようと祝い酒を呷る政宗の隣では、三成が面白くなさそうな顔つきで、敬愛するねねにしつこく絡まれている清正や正則を見ていた。
 ねねは三成と政宗の縁組を心の底から喜んだ。どういう理由によるものか、ねねは三成と政宗の結婚を恋愛結婚だと固く信じていた。三成と政宗の婚姻の噂が広まってからは、終始ご機嫌状態が続いた。三成が政宗を伴い、祝言の日取りを正式に報告しに行った際には、堪え切れなかったらしく涙声が嗚咽になり、わんわん泣きじゃくって夫に慰められる始末だった。ただねねを喜ばせたい一心で結婚した三成にとっては、実に好都合な展開だった。
 閉口したのは、ねねが政宗に気兼ねして、三成の世話を焼くのを止めたことだ。代わりにねねはいまだ未婚の清正や正則に関心を移し、将来の義理の娘の肩を持つようになり、なにかと口実を作っては伊達の大坂屋敷へ行くようになった。その甲斐あって、政宗はねねと、三成が内心妬ましく思うくらい親交を深めたようだった。
 祝宴は夜を徹して行われた。太閤夫妻がこの婚姻の後ろ盾であることもあり、常は酒宴を敬遠している者でさえやはり席は外しにくいらしく、夜の帳が落ちた闇には、大阪城の煌々たる灯りがいつまでも輝いていた。
 これでは、いつまで経っても終わらないと判じたのだろう。心配したねねに耳打ちされた左近が、三成を促しに来た。しぶしぶ、三成は政宗の手を掴んだ。
 「……行くぞ、政宗。」
 酔っ払い特有の、だらりと力ない手だった。足元では、並々と酒の注がれた盃が脇に押しやられていた。もともと、酒癖はあまりよろしくない政宗のことだ。慣れない状況に苛立ち、呑むうちに、目的を忘れて酒に溺れてしまったのだろう。
 酒精で顔の赤らんだ政宗は、いささか焦点の定まらない眼で三成を見つめ、間の抜けた質問をした。
 「…行く?どこにじゃ?」
 三成は嘆息した。
 「むろん決まっている。寝所だ。」
 政宗の手を引いて立ち上がらせた三成は、乱痴気騒ぎを後にした。退室間際、ちらりと一瞥した室内では、秀吉と孫市が肩を組んで歌い始め、やんややんやの喝采を浴びていた。


 寝所の設けられている離れは、宴会場の騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
 三成は無事寝所に辿り着いたことを確認すると、政宗の手を離し、寝所と廊下を隔てる障子を開けた。政宗はまだいくぶんぼーっとしていたが、夜風に当たったことで少しは酔いも醒めたらしい。まだ足元はおぼつかないながら、おっかなびっくり、寝所を覗き込んだ。
 しばらくしてから、政宗の怖気づくような呻き声が届いた。三成はまんじりともせず、政宗の呻き声の原因となった眼下の布団を睨みつけていた。
 これが夫婦の初夜である。だから、布団が二組あればおかしいことは承知していた。だが、寝所で存在を主張する一組だけの布団を前にすると、否応なしに現実味が帯び、緊張感が高まってきた。三成は舌打ちをこぼすと、寝所に入っていった。
 政宗もすっかり素面に戻ったようだ。政宗は薄ら寒そうに二の腕を擦りながら、三成の後に続いて寝所に足を踏み入れた。
 「それでどうする。」
 三成の一声に、政宗が怪訝そうに眉根を寄せた。
 「どうするも何も…その、夫婦がすべきことをするしかあるまい。」
 「お前はそれで良いのか。」
 「そもそも、世継ぎを作るのが目的なのじゃ。今更躊躇ってどうする。」
 高慢そうにつんと顎を持ちあげた政宗の態度は、やはり、どこか物おじしているようだった。酒精で赤らんでいた顔はすっかり白くなっていた。だが、わざわざ他人から指摘されたいことでもないだろう。三成は珍しく気を利かせ、あえてそれを指摘せず、開け放されたままの障子を閉めに向かった。
 室内が闇に閉ざされると、いよいよ緊張してきた。
 三成が障子を閉めている間に灯りをともした政宗は、腹立ち紛れに角隠しを床に放り出した。たかだ政略婚だ。三成を意識しているなど、死んでも、三成には知られたくなかった。髪を結わえていた紐を解くと、政宗は恥じらいを憤怒で押し隠し、さっさと着物も脱いでいった。あっぱれな脱ぎざまだった。
 とても花嫁とは思えぬ険しい顔つきの政宗に、三成は苦笑してみせた。しかし、感傷を引きずるような娘であったなら、三成も婚姻を取り決めなかっただろう。三成も政宗にならって、着物を脱ぎ始めた。
 沈黙が重かった。
 流石に、襦袢に手をかけたところで躊躇いを見せたものの、政宗は恥入ることこそ恥じと捉えているような素早さで脱ぎ捨て、布団を胸元まで引き寄せて肌を隠した。灯りの落とす影の黒さと柔肌の白さが対照的だった。
 知らず、三成は嘆声をこぼしていた。
 可能な限り、肌の露出を控えている政宗のことだ。失礼ながら、三成は、均整のとれた肢体を持つと評される政宗も脱げば大したことがないのだろうと考えていた。なぜならば、厚く着物を着こんでいては、真実見て取れる身体の部分は手首足首から先くらいしかないからだ。それに、戦場に立つ女性たちの間で、姫らしからぬ、肌を晒し女らしい肉つきを見せる風潮があることを念頭に置けば、三成の詮索も不思議ではなかった。
 しかし、実際は、三成の想像と真逆だった。
 「流行に過敏なお前が、戦場で、ああまで重厚な鎧をまとう理由がわからんな。」
 思わず感想を漏らす三成の視線に、政宗が居心地悪そうに身動ぎした。
 「…あまり見るな、さっさと済ませるぞ。見て楽しいものでもあるまい。」
 「俺は、十分鑑賞に堪えるものだと思うが。」
 「わしはそうは思わん。」
 「なぜだ。」
 「……痘痕がある。」
 屈辱から眦を紅く染めあげ、うろたえてみせる政宗に、初めて、三成は心底興味を抱いた。
 政宗は憤怒から錯乱し、酒に溺れて見境なく暴れることはあったが、けっして、動揺を見せるような女ではなかった。常に毅然とした態度を保ち、憎らしいほど厚顔で賢しい名門の当主だった。婚姻を交わし、共犯者となっても、あくまで、その実体は政敵だった。
 女ではなく。
 なぜかちくりと胸が疼いた。三成は唇を噛んだ。
 「くだらんな。」
 「く、くだらぬ…じゃと!」
 吐き捨てた三成に、政宗が血相を変えて噛みついた。痘瘡で諸々のものを失った政宗が痘痕を辛かった過去の象徴と捉えていることは、想像に難くなかった。三成は鼻を鳴らした。
 「見て取れぬほどでないか。それに比べれば、俺のとても武士とは思えぬような貧相な身体こそ恥じて隠すべきだろうな。」
 「…それほどでもないと思うが。それに、貴様の専門は武より文ではないか。」
 「うるさい。清正や正則に馬鹿にされる俺の身になってから言うのだな。」
 「何じゃ、気にしておるのか。」
 政宗はまじまじと三成の体つきを見てから、無頓着に白い手を伸べて、三成の肌に触った。
 「貴様は着痩せするだけで、別に、筋肉がないとは思わんぞ。筋肉馬鹿と比べる方が間違っておる。ちゃんとしっかりついておるではないか。」
 政宗は小さく溜め息をこぼし、自分の胸元へ視線を落とした。
 「わしの胸も…、着痩せであったらどれほど良かったかわからんな。」
 三成は布団を押し上げている僅かな膨らみを見て、首を傾げた。布団越しでは、良くわからなかったのだ。
 「別に気にするほどではないだろう。」
 そう言いながら、三成が無分別に布団を払い除けると、政宗はうろたえて胸を片手で覆い隠した。だが、それでも、政宗の乳房がそれほどない事実は明白だった。政宗は頬を赤らめて、三成に言い返した。
 「ば、馬鹿は休み休み申せ。甲斐やおねね様の胸を目の当たりにしても、貴様は同じことが言えるかっ?」
 「…そっくりそのまま前言を返してやる。そもそも、あれと比べるのが間違っているとは思わないのか?」
 「うるさい…っ!」
 睨みつけた政宗と三成の眼がかち合った。
 まるで申し合わせたように、同時に、二人は吹き出した。おかしな話だが、政宗も三成も、妙に打ち解けた気分になっていた。元々は、古来からよくある政略婚のはずだった。それが、気付けば、胸が苦しくてどぎまぎしていた。見目良いことは承知していたものの、ただそれだけだったはずの政宗の外見が、妙に三成の心をざわめかせた。
 三成は眦に浮かんだ涙を拭っている政宗を抱き締め、笑い交じりにうそぶいた。
 「胸がでかければ良いというものでもあるまい。俺はこれくらいで十分だ。抱き心地も良いしな。」
 実際、抱き締めた肢体は凹凸が少ない分、三成の身体にしっくり馴染んだ。ぴたりと寄せあった肌から体温が伝わり、好ましかった。
 政宗がささやいた。
 「わしも、暑苦しいよりは貴様のように涼しげな方が好ましいな。それに、」
 「…何だ、言ってみろ。」
 三成に促された政宗が小さく笑声をこぼした。はにかみに似た、決して作りものではない笑い声だった。政宗の腕が自分の判断を受け入れるように三成の背へ回された。肩口へ顎をのせて、政宗がこぼした。
 「圧殺される危険も冒さずに済む。」
 それはそうだと三成も笑った。


 翌朝、宴会場で秀吉と共にだらしなく寝ていた孫市は、政宗に呼び出され、じきじきに礼の言葉を賜った。褒美も出すという。孫市はこれを手放しに喜ぶ気になれなかった。もちろん、自分の判断を誉められて悪い気はしなかったが、いっときは身の危険を感じ、行方を眩ませていた事実があるだけに、孫市はひどい二日酔いの頭で、何か裏があるのではないかと勘繰った。
 だが、まともに回らない頭では、いっかな答が出ない。やけに陽気な政宗の様子が気になりはしたものの、孫市は痛む頭を押さえて、適当に政宗の発言を流していた。
 孫市がしかと眼を見開いていれば、政宗を取り巻く空気がお花畑と化していたことに気づけただろう。しかし、肝心なときに使えないからこそ、孫市なのである。
 結局、孫市が、己の浅慮な決断が類稀なる英断であったと知るのは、主馬鹿の左近が来て、事情を語るうちに感極まっておいおい泣きだしてからのことだった。孫市はしばらく左近を宥めすかしていたが、やがて、自分も感極まって泣き出してしまった。信じられないことに、三成も政宗もこれ以上ないくらい幸せだというのだ。
 その晩、二人は肩を抱き合って、夜の街へ繰り出した。途中から呼び付けられた太閤は、これ幸いと宴席に向かったが、二人の陽気さと泥酔っぷりに閉口したという。
 翌日のことである。自分の眼で新婚夫婦の様子を観察した孫市は、石田の大坂屋敷へすっ飛んで行き、左近に感想を漏らした。
 「俺の殿さまがこんなに可愛いわけがない。」
 それには左近も心から同感だった。











初掲載 2012年9月17日