俺の殿がこんなにかわいいわけがない 第一話


 それはとある梅雨の日。天からはさめざめと雨が降りしきっていた。
 政宗は大きく溜め息をこぼした。大坂という土地は地形柄熱がこもりやすいため、気温を下げる雨の存在は願ったり叶ったりだったが、連日雨では手放しに喜ぶ気も失せようというものだ。
 故郷へ置いてきた乳母へ文を認める政宗の隣では、暇を持て余した真田のくのいちが出された菓子に舌鼓を打ちながらあやとりをしていた。
 「こう雨ばかりでは気鬱になって構わん。」
 愚痴る政宗に、くのいちが話しかけた。
 「ほふなほほひっへふと、またわはへっていわひぇひゃうよー?」
 「…喋るなら口の中を空にしてからにせぬか、馬鹿め。何を言っておるのかさっぱりわからぬ。」
 政宗の苦言にくのいちはむっと顔をしかめてから、口を動かし始めた。神出鬼没の忍びが何をわざわざ姿を現して他家の執務室で菓子を頬張っているのか、理解に困るが、伊達の大坂屋敷ではたびたび見られる光景だった。知っておれば詫びを入れに来るはずだから、幸村は部下の不始末を与り知らぬのだろう。
 「そんなこと言ってると、また笑えって言われちゃうよー?」
 くのいちは笑声をあげつつごろりと寝転がった。猫のような女だ。しかも、この忍び、恐れを知らぬことに、独眼竜の眼帯の飾り紐であやとりに興じていた。その上、名家の主相手にため口である。本来ならば叱責モノだが、政宗は特段気にしていないらしい。相手にしても仕様がないと端から諦めているようだった。
 そのくのいちは、政宗の菓子にまで手をつけようとしていた。政宗はつくづく奔放な忍びだと呆れかえりながら、硯に筆を置いた。どたばた近付いて来る足音は、配下にして親友の孫市のものだろう。政宗が視線を向けた先で、勢い良く襖が開かれた。登場したのは、予想通り、孫市である。
 「ずいぶん慌ただしい登場よな、どうした孫市?」
 「いや、それが…。」
 問い質す政宗に応えず、孫市は頬を掻きながら天井を見上げた。政宗は眼を眇めた。こういうとき、孫市はろくな話を寄越さないのである。
 実際、このときの話ほどろくでもないものもなかった。
 孫市はばっと正座するなり、両手を合わせた。合わせる顔がないようだった。
 「すまん政宗っ、嫁入れしてくれ!この通りだ!」
 畳みに寝そべったままのくのいちが、睫毛を瞬かせた。どうやら咀嚼することも忘れているらしい。なるほど、冷静沈着を旨とすべき忍びが呆然自失するなどよほどのことだろう。珍しい物を見たと思いながら、政宗は大きく息を吸い込んだ。
 大坂屋敷に罵声が轟いた。


 さて、逃げ回る孫市をくのいちに掴まえさせ、灸を据えて問い質したところによれば、話はこうである。
 連日の雨に孫市は暇だった。しかし、政宗と違って、孫市には諸大名たちが集まる大坂だからこそ集う仲間がいた。時の太閤秀吉しかり、兼続に仕える慶次しかり、である。
 稽古に暮れるでも、茶を嗜むでもなし。ただ話をするのも芸がない。面子が揃えば自然と酒の席になり、色に弱い秀吉と孫市がいるせいもあって、美しい花を愛でんと花街に繰り出すのがお定まりの流れだった。
 とはいえ、出席者は太閤である。まかり間違って暗殺などないように、と、当番制でお供がついてくるのだが、この日は、三成に同伴を命じられた左近がついてきていた。清正や正則が当番のときは、当人たちが顔を出すのだが、潔癖な三成は花街に行くことを拒んでいた。秀吉にしても、それを喜んでいた節がある。北政所に肩入れしている三成はひどく口やかましい一方、左近は花街にも詳しく大人だったからだ。
 そういうわけで、秀吉・孫市・慶次・左近の四名で繰り出すと、遊女たち相手に話が弾み場が湧いたこともあって、みなぐでんぐでんに酔ってしまった。すると、どうしても下世話な方に話題が転じるのは、酔っぱらった男の悲しい性で、気付けば、孫市らの仕える若い武将の恋話になっていた。
 「確か、兼続は妻帯したんだろ?美人な後家さんなんて、俺が嫁に欲しいくらいだよ。」
 「あれはあれで大変さ。しっかり尻に敷かれているから、見ていて飽きないがねえ。」
 「兼続も哀れにのう。それじゃ、浮気も出来んじゃろ。」
 「端から浮気する気もないとは思うがねえ。まあ、しようったって、嫁さんが目を光らせてるから無理だろう。」
 孫市はにやにや笑いながら、難を逃れようと無言で酒を呑んでいる左近に話の矛先を向けた。
 「で、そちらさんはどうなんだ?」
 左近が嘆息した。
 「孫市さんもお人が悪い。うちの殿がどういう人か、わかってるでしょうに。」
 「しかし、いくらそのつもりがないとはいっても、三成も二四じゃろ?そろそろ身を固めたらどうなんさ。ちっっっっとも候補がいないんか?まさか…不能なんじゃないじゃろ?それとも、衆道の気があるんか?」
 いくらとんでもない失言とはいえ、相手は太閤である。左近は主に対する誹謗中傷をさらりと受け流した。
 「候補でもいれば、また話も違うんでしょうがね。まあ、殿に釣り合うような姫様を根気よく探しますよ。」
 秀吉はまだ根深く疑っているようだ。孫市は三成に心から同情した。まさか、女相手では勃たないと疑われるとは。男の恥である。しかし、元々性に淡白すぎると言われていた三成が主役では、この猜疑を晴らすのはだいぶ骨が折れることだろう。
 「そういうそちらはどうなんです?天下の独眼竜に浮いた話一つないというのも情けない話じゃないですか。」
 急に孫市に鉢が回って来たのは、左近が三成から話を遠ざけたかったからに違いない。孫市は返答に窮した。確かに、政宗には浮いた話一つなかった。天下への強すぎる野望が足枷となっているのだろう。そう思いはするものの、流石に…。
 孫市は声を荒げて話題を流す作戦に出た。
 「…あ、あいつは良いんだよ!」
 「とはいっても、政宗さん今おいくつでしたっけ?確か…?」
 女と見れば眼の色が変わる秀吉が答えた。
 「一九じゃ。」
 慶次がぼやいた。
 「…あれまあ、そりゃ、完全嫁き遅れだねえ。」
 作戦の失敗に、孫市は肩を落とした。どれだけ国主として素晴らしい業績をあげようと、小悪魔系美女だろうと、世間の評価などそんなものである。実際、孫市だってそう思ってしまっている。そう、政宗は嫁き遅れなのだ。その事実は如何ともしがたかった。
 落胆する孫市とは対照的に、隣の秀吉が目を輝かせた。
 「どうじゃ、孫市。ここはひとつ、政宗にわしの妾になるよう打診してくれやせんか?」
 「ふざけんな。」
 「ふざけてなどおらん!嫁の貰い手がないなら、わしが」
 孫市は秀吉にみなまで言わせなかった。嫁の貰い手がないわけではない、嫁に行く気がないだけなのだ。それこそ、引く手あまただった時期もあった。それも、大崎での一件が噂になってからはとんとなくなったが。
 頭を抱える孫市の許へ、左近がにじり寄って来た。二人の目が合った。言葉にせずとも伝わる思いはあるのだ。左近が頷いた。
 「…孫市さん、ここは一つ、どうです?」
 考えてみれば、政宗と三成は大崎でやりあっている。甲斐や幸村の言動あってこそではあるだろうが、三成の発言に政宗も少なからず思うところがあったようだ。政宗が三成のことを評価していないわけがない、と思う。…思いたい。
 「そうだな。俺もすごい良い話と思うぜ。」
 孫市と左近は固く握手した。酔っ払った上での酒の席の発言、そのうえ主の許しを得てすらない勝手なものとはいえ、互いに約束を違えるつもりはなかった。なぜなら、このままでは、太閤の魔の手で三成も政宗も不幸になることが目に見えていたからである。
 後の朝鮮出兵といい、秀吉の思いつきは迷惑なことこの上なかった。


 「それで、貴様、軽々しくわしの婚姻をまとめてきたと申すか。」
 孫市が腫れあがった頬に手を当てながら、政宗の言葉に首肯した。
 米神に青筋を浮かべた政宗は、刀の柄をわなわな握り締めた。話はわかった。つまり、今回は孫市ばかりのせいではなく、太閤のせいで取り急ぎ婚姻せねばならぬというのである。
 まったく相手が太閤でなければ、侮辱罪で斬り殺しているところだ。
 政宗は歯軋りして立ち上がった。
 「お、おい、どこに行くんだよ?」
 「無論決まっておる、石田のところじゃ。この約定、破棄させてもらおう。」
 ところが、である。
 石田の大坂屋敷に向かう途中で、予想だにしないことが起こった。
 訪問着に着替えた政宗は、道中、にこにこ晴れがましい笑みを浮かべたねねに偶然出会った。雨の中、侍女を伴っての買い物の最中らしい。商人など城へ呼べば良かろうに、たいがい、変な御人である。
 とはいえ、相手は北政所だ。激しく憤ってこそいたものの、政宗も無言で通り過ぎることは躊躇われて、挨拶だけでもと思いねねに話しかけた。ぱっとねねの笑みがこぼれた。
 「あら、政宗じゃない。」
 「おねねさま、ご機嫌麗しゅう…買い物でございますか?」
 「ええ、そうなの。祝いの品は何が良いかしらね。」
 一体何事があったのか、ねねは満面の笑みである。政宗はいぶかしんで、背後の孫市を見やった。孫市は頬を掻きながら空を見上げていた。政宗の背筋を冷や汗が流れた。こういうとき、孫市はろくな話を寄越さないのである。よもや…。
 おねねは笑い交じりに言った。
 「もうこの子ったらいつからうちの三成といい仲だったの?一目惚れしたなんて噂もあるけど、本当なの?ふふふ、政宗には何色が似合うかしら。お披露目で纏う着物はもう決めたの?式には私もぜひ呼んでちょうだいね。」
 「…は?」
 「本当におめでとう。息子もとてもいいものだけど、前からね、私、娘が欲しかったのよ。三成たちには秘密よ?」
 政宗は引きつった笑みを浮かべた。だが、興奮気味にまくしたてるねねが政宗の異変に気付いた様子はない。ねねは目を潤ませ、震える声で続けた。
 「三成のこと、本当に宜しくね。あの子も悪い子じゃないのよ、ただ口がすぎるだけで…私が言わなくても政宗にはそんなことわかってるわよね…。ぐすっ。」
 鼻を啜られれば、まさかそれは嘘ですなどと言えるはずもない。政宗は強張った笑みのまま、しきりに話しかけて来るねねに頷き返した。ぎゅっと強く握られた両手首が痛かった。
 いつの間にか、孫市の姿は消えていた。どうやら、当人たちが拒むことを想定して外堀から埋められているらしかった。政宗は孫市を殺す決意を固めた。










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初掲載 2012年8月19日