レチノールパルミチン酸エステル 第一話   R18


 太閤夫妻のせいで、政宗が三成と婚姻したのは、昨年のことである。ここで一つ、政宗が、「太閤夫妻のせいで」と言ったことに着目してもらいたい。そう、政宗にしてみれば、何も好き好んで結婚したわけではないのだ。
 その頃の政宗は、三成に売られた喧嘩を片端から買っていた。住み慣れた米沢城からを追われる、出兵で前線に送られそうになる、等々、燦々たる喧嘩を吹っ掛けられれば、誰でも政宗と同様の行為に走るだろう。相手が太閤の気に入りだからといって、臆すのはもう止めだ。こちらが気を遣ってやればあの野郎つけあがりやがって、と、甚だ政宗は気分を害したのである。勿論、穏便派の小十郎は反対したし、逆に、血気盛んな成実などは反撃が生温いと激励したりもしたのだが、ともあれそういう事態に陥っていたわけである。
 それを見かけたのが、太閤夫妻だ。太閤は、すでに、己の命が長くないことを悟っていたのだろう。だから、せめて、最期くらい安心して死にたかったのかもしれない。この件に関して、太閤は北の政所や、当事者である三成ともよくよく話し合いを設けもしたらしい。だが、元々が呑気で楽観主義の夫婦である。二人は三成の異見をものともせずに、そして、もう一方の当事者である政宗の意見など取り入れもせずに、政宗と三成の婚姻を定めたのである。
 こうして、夫婦になれば殺伐とした陰惨な謀略を互いに張り巡らすこともあるまい、という、何とも短慮で理不尽な理屈によって、政宗は三成と婚姻するはめになったわけだ。
 三成にも政宗にもそれぞれ継いだ家があり、治めるべき領地があり、守るべき民がある。一体どうするおつもりなのでございまする、と突如もたらされた命に政宗が粟食って問えば、何とかなるじゃろ、などと太閤は悪びれもせず笑っている。政宗は激怒した。激怒したが、何せ、相手は太閤だ。三成如きの比ではない権力がある。政宗は内心歯噛みしながら、その命を受け入れた。
 結局、婚姻は、伊達一同の断固たる反対もあって、住まう場所こそ大坂であるものの三成が伊達へ婿入りする形で決着がついたのだが、正直、そんなことは政宗にとってどうでも良い。政宗は、相手を見るだけで顔が引きつるような嫌いな男を夫にもらうはめになったのである。夫とは、跡継ぎの父親だ。跡継ぎは、共に寝なければもたらされない。
 いくら名家の姫君とはいえ、海千山千の戦場を渡り歩いてきた政宗である。そういう場になれば、戦で疲れ果てた部下たちを労うため商売女を入れたり、そういう話に猥談になったりするわけである。いくら小十郎が目を吊り上げて見せまい聞かせまいとしても、防ぎきれるものでもない。そのようなわけで、政宗も、天に祈れば子を授かれるなどという御伽噺は嘘だと知っている。寝所で、夫婦仲良く横に並んで寝れば良いだけではないことも知っている。
 昼は、まだ良い。三成も自分の所領の案件で忙しくて、政宗どころではあるまい。だが、夜は。夜はどうするのだ。
 何分、喘いで腰を振るような商売女の猥談ばかり耳にしてきた政宗の不確かな知識によれば、初めての娘は血を流して痛がるということで、それがどのような事態なのかさっぱりわからぬものの、普通の色恋に関しては無知な政宗の恐怖を呷るには十分である。血はどれほど流れるのか。月のものぐらいか。痛みとはどのようなものだ。悲鳴をあげる類か、吐き気を催す類か。考えれば考えるほど、恐ろしくなってくる。
 喜多などは、悲嘆に暮れる主君を哀れに思ったのか、宥めすかそうとしてくれたが、政宗だってこういうとき喜多の立場であったなら実態がどうあれそれが些末であるかのように話すとわかっているから、いっこう為にならない。相手が、まだ、己の気に入りの男であったならましであったかもしれない。だが、相手はあろうことかあの三成だ。政宗は取り柄と言えば顔ぐらいの酷薄な男に屈服しなければならないのかと思うと、身の毛がよだつを通り越して眩暈を覚えるのだった。


 政宗が戦々恐々するうちにも、時は流れて、式の日が訪れた。はたして、目出度いと口にする参列者のどれほどが、実際に、この婚姻を目出度いと思っているのか。花嫁衣裳をまとい、新婦に相応しい花のような笑みを表面上は浮かべながら、政宗は一人ひとり問い質して回りたい気持ちに駆られていた。それか、許されることならば、ここに集ったもの共を全員屠りたい。幸いなことに、嫁入り道具の一つに懐剣がある。夫以外のものに身を許さず、貞操を奪われそうになったら自害せよ、という趣旨の道具である。これでどこまでできるかは謎だが、少なくとも、三成ぐらいは仕留められるだろう。政宗は奇妙に爛々と光る目で、手を伸ばせば届く位置にある懐剣を見つめた。
 敏い綱元は、そんな政宗の思惑に気付いたらしい。さっと懐剣を取り去り己の懐へ仕舞うと、政宗へ緩く頭を振って見せた。勿論、政宗も理屈としてはわかる。さっさと諦めて、受け入れてしまえば楽だ。だが、それでは感情が納得しない。初夜の恐怖と嫌悪も相俟って、政宗は非常に混乱していた。
 そのようなわけで、政宗は嫁入り道具を一つ欠いたまま、三成と結婚した。初夜は、政宗の想像通り痛かったし、屈辱的だった。初めての政宗は三成に対する不満もあって、満足に濡れない。そのため、三成に陰間の薬を塗りこまれたが、それでも狭くて入らない。どうにかして身を繋げたものの、ちっとも気持ち良くなどならないので、嫌気も増した。初めてなどそんなものだと言われたところで、憤懣やるかたない政宗はすんなり納得も出来ない。せめて、三成が淡白だったことが幸いだろうか。
 もっとも政宗ばかり愚痴っているが、三成も政宗同様、太閤夫妻の短慮の被害者なのだ。何が面白くて、こんな育ちきっていない小娘を抱かねばならないのか、政宗が三成の立場でも不満に思うだろう。元々、潔癖で色恋の噂一つない男だから、こうしてやり遂げただけで賞賛に値する。だが、そんなことは政宗には関係ない。政宗は、男として育てられたために並みの姫君よりよほど矜持が高かった。三成の行為がどれだけ賞賛に値するとはいえ、男に組み敷かれる政宗にしてみればたまったものではない。
 政宗はもう出来うる限り、こんなことはしたくないと思った。懲り懲りだったのだ。痛いのも、気持ち良くないのも、血が出たのも厭う原因である。しかし、それ以上に、良いようにされるのが嫌だった。
 とはいえ、政宗がどれだけ拒もうとも、跡継ぎを設けるためには必要な行為である。政宗もそれがわかるからこそ、頑迷に拒めない。とうとう仕方がないので、成実をせっついて、知識を仕入れもした。それから一年の間に、両手の数で足りるほど三成とは関係を持ったが、何れも政宗が上に乗る形、いわゆる騎乗位だったのは、せめて、一番の不満の種である屈辱感だけでも取り払おうという政宗の努力である。


 ここまで来れば、わざわざまた改まって説明することもないだろうが、政宗は夫婦の営みが嫌いだった。しないで済むのなら、しないで済ませたい。しかし、互いに国主である以上、跡継ぎは設けなければならない。いや、政宗にとって、石田家の跡取りなど、どうでも良いのだ。三成が妾でも何でも囲って、それに産ませれば良いだけである。だが、女である政宗はそうも言っていられない。やらねばならないのである。
 何せ、政宗は、三成を抹殺するのを関が原で失敗している。ねねの登場で、有耶無耶のまま収束してしまったあの大戦を、政宗がどれほど惜しんだところで現状は変わらない。その上、亡き太閤とは異なり、まだ十二分に若いねねは、不養生もせず、誰よりも長生きすること請け合いである。下手をすれば、政宗が死んだ後も生きておるだろう。これはいけない。
 極力、しないで済ませる方法は何なのか。この一年――実質は大戦があったので半年ばかりはどうにか乗り切ったが、これからもこの調子でやっているわけにもいくまい。十月十日かけ命がけでようやく産んだ子供も、非力ゆえすぐに亡くなってしまう事実を政宗は知っている。産後死ぬ。風邪でも死ぬ。怪我でも死ぬ。幸い、政宗は一命取りとめたが、痘瘡で死ぬ子供も少なくはない。大きくなったとて、安堵はできない。暗殺で死ぬ。毒にあたって死ぬ。落馬して死ぬ。戦で死ぬ。病で死ぬ。伊達のためにも、少なくとも三、四人は産んでおかねばなるまい。だが、一体、どうやって。
 政宗は散々思いあぐねた挙句、ねねの助力を乞うことにした。太閤が亡くなるまでの長年を不妊の研究に捧げたねねは、こういうことに異常に詳しいのである。
 大阪城を訪ねてみると、ねねは諸手を挙げて政宗の訪問を歓迎した。どうも話を聞いてみると、ねねも、政宗がいっこう孕む気配がないので、気にかけていたらしい。正直、政宗にとってみれば迷惑な話だったが、相手がねねであるだけにそうも言っていられない。ねねは実質の権力こそ持たないものの、誰よりも権力というものの真髄に近い存在であった。未だかつて、政宗はねねに逆らえたものを見た験しがない。
 「妊娠しやすいのは、射精した精子が子宮に溜まりやすい体位だね。」
 朗らかな陽光が差し込む部屋で、まさか、こんな話をしているとは思うまい。だが、政宗は頬が赤らんでいくのを自覚した。男として育てられてきたので、こういう話に弱いのである。ねねはその反応を楽しそうに眺めてから、つらつらと説明した。
 「お薦めは、伏臥位(ふくがい)。それに、胸膝位(きょうしつい)かしらね。正常位の場合は、女性の腰の下に座布団なんかを挟んでおくと良いみたいよ。」
 そうは言われても、政宗には、専門用語で語られるそのフクガイやらキョウシツイがわからない。しかし、ねねはまるで普通のことのように言ってのけるので、問い質すことが出来ない。結局、為になったような為にならなかったような、とりあえず胎内に精子が溜まれば良いのか、という大まかな知識だけ手に入れて、政宗は帰ることになったのだった。ともあれ、わかったことが一つだけあった。いくら屈辱感が減るとはいえ、騎乗位、精子が流れ出てしまうあれは無駄だったということだ。










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初掲載 2009年6月13日
参考:インディゴの夜「チョコレートビースト」収録「返報者」