遠く、手毬歌が聞こえる。童女が鞠つきを再開したのだろう。
出された茶を前に、ァ千代は政宗の顔を窺った。かつて小田原で見た覇気はない。お淑やかで女らしい姿だ。無理をしているな、とァ千代は思った。ァ千代も夫が居た折、戦士であるより夫の望む妻であろうと無理を重ねた覚えがあった。
初めに、三成が居たところで話が進まないと察して帰したが、この分では当たりだったようだ。ァ千代は茶に口をつけて、尋ねた。
「いつもここはこうなのか?殺風景だ。」
「そうじゃろうか。花もあるし、鳥もいる。あの娘もおるし、不自由はない。」
「聞くが、それは三成からの贈物か。」
「左近が持ってきたが、あやつの話では、そうらしい。」
左近が気を利かせて、三成からだと贈ったのだろう。降嫁してから今日まで、一度も顔を合わせず居たらしいので、その程度の嘘、ァ千代でもわかる。ァ千代の眉間にしわが増えた。
「左近は何と言っているのだ。」
「…三成様はお忙しいから、その埋め合わせにという話じゃが。」
「それで、政宗は納得したのか。」
沈黙が降りた。当然だ、納得するわけもない。しかし、敗軍の将として降嫁したという事実が、政宗の念頭にはあるのだろう。ますます気難しくなっていくァ千代に、政宗は困り顔で茶菓子を勧めた。花を模った砂糖菓子だ。訊けば、左近が持ってきたのだという。尚更機嫌が悪くなるァ千代に地雷を踏んだことを察して、政宗がとうとう黙り込んだ。
突然、ァ千代が立ち上がった。
「すまないが、失礼する。立花は女の味方だ。やはり、三成を殴らねば気が済まない。」
後半の言葉が聞き捨てならない。
「ま、待て。ァ千代。頼むから止めてくれ。」
「政宗、何故止める!」
立ち去ろうとするァ千代の裾を掴み、政宗は必死で制止した。かつてない大声の飛び交う室内に、童女が目を丸くしておろおろしている。やがて童女は、誰か止めてくれる者が居ないものかと辺りを見回していたが、ほっとしたように入り口へ走った。大騒ぎしているァ千代と政宗は、童女が消えたことに気付かなかった。
背中に怯える童女を隠し、左近は室内の様子に呆れ顔で言った。
「…何してるんですか。二人とも。」
「さ、左近。ァ千代を止めてくれ!」
「止めてくれるな、左近!立花として三成を殴らねば!」
状況を察したらしい。そもそも、今回は三成に言われ様子を見に来ただけに、飲み込むのも早かった。溜め息を吐いて、左近は痛む頭を押さえた。
執務の手を休め、三成は窓の外へ視線を向けた。
考えれば自分も二十四、女の何たるかを知らず、実務に時間を割き過ぎた気がする。無論、女に現を抜かしすぎて秀吉のようになるのも問題だが、それを理由に、加藤清正や福島正則に馬鹿にされてきたのも事実だ。
治部少輔は潔癖ゆえ、遊女相手は軽蔑に値することだと思うてらっしゃる。
実際、遊び女相手に、と蔑視していたことは否定しない。だが、三成を繋ぎ止めるのは在りし日に見た初恋の娘の凛とした姿、鳶のような警戒心の強さを滲ませた気の強い美しさ、それが後年会った時、見る影もないものに落ちぶれていた事実なのだ。太閤の側室を落ちぶれると形容することは必ずしも正しくないだろう。しかし、清廉さを失った女は、三成には落ちぶれたとしか思えなかった。
はしかのようなものだ。あれほど胸が熱くなった過去でさえ、恋は攫って消えてしまう。そのようなものを求めるくらいなら、三成は友情を大切にしたかった。
ふうと息を吐き、三成は眉間のしわを伸ばした。
「…何が、ァ千代の気に障ったのか。」
それは左近が聞き出して来てくれるだろう。ともあれ、自分に何か過失があり、それにァ千代が怒っていることは確かだ。それがどうやら、政宗関連らしいであるのもわかっている。詳細が判明した後、改めれば良い。
とりあえず今日会いに行くかと決めた後、ふと先ほど見た政宗の頼りない様子に変わってしまった女を思い出し、三成は苛立ちに舌打ちをした。ァ千代は別だが、結局、女は変わる生き物だ。それが苛立たしい。
ぴーひょろろろ。窓の外で鳶が鳴き声を上げた。
初掲載 2007年12月24日