「三成、政宗は元気か。」
久方ぶりに四国からやって来たァ千代の言葉に、三成は書類から面を上げた。
「あれはもう「政宗」ではない。」
「しかし、政宗しか名はないだろう。」
「関係ない。俺は呼ばぬし、他はお方様で済ませている。」
その返答に、ァ千代があからさまに眉をひそめた。
「立花はそのような振る舞いを好まない。」
「致し方あるまい。貴様の言うように、名がないのだから。――「政宗」は死んだのだ。」
三成の元に政宗が嫁いでから半年が経った。
関ヶ原での戦い後、伊達は西にあっさり下った。利に走る犬らしい、伊達と浅からぬ因縁のある兼続は感想を洩らしたが、仮に奥州に篭もり応戦しても、その先には伊達の衰退しか残らないことを伊達が理解していたためだった。
降伏してきた政宗は、全て己の独断である、伊達は一切関係ないとはっきり言った。無論、それで三成が承知するはずもない。博打好きの義弘などは政宗に共感を抱いたようだが、論外である。
初め、三成は政宗の首を貰うつもりだった。しかし、そこに横槍を入れたのが片腕の左近だ。未だ、奥州における伊達の勢力は侮れない。秀次に謀反の嫌疑がかけられ、政宗も処刑されようとした際、大坂屋敷に篭もった伊達が大量の銃を持ち込んで、大坂を焼き払うという噂が立った。実際はただの噂だったが、それを信じさせるほど、伊達は勢力を誇っている。何より、伊達家臣は信に篤く、主が斬首ともなれば黙っては居まい。
兼続は強固に処刑を欲したが、義弘は言うまでもなく、以前から政宗に敬意を払っている幸村などもそれに反対のようだった。そこに、左近の反対が加われば、三成に意見出来るはずもない。
では、どうするのか。
そのようなときに、政宗が女であることが判明した。常は厚い鎧や着物で覆われた身体は、薄い女のものでしかなかった。幼い顔立ちや低い身長は、単に女であるがゆえなのだ。
結論は早かった。誰かの元に降嫁させてしまえば良いのだ。それが蟄居よりも安心な道だった。しかし、では誰の元に嫁がせるのかという点で論議が巻き起こった。兼続はこれまた強固に嫌がり、幸村は身分違いだと辞退した。元親や義弘は既に妻帯しており、これ以上嫁は要らぬと言った。
「左近、どうだ。」
「冗談は止してくださいよ。身分違いってやつでしょう。」
「身分など関係あるまい。お前の身分は上がるし、あれは敗軍の将だぞ。」
だが左近は言っても聞かず、妻帯していないという点で、三成が政宗を引き受けることとなった。
望んだ婚姻であるわけでもない。そもそも、三成はさして女に興味がない。当然、夫婦の営みもない。お方様と呼ばれはするが、現在の政宗の実態は軟禁生活に過ぎないものだ。実際のところ、政宗がお方様と呼ばれているのかすら、三成は知らなかった。婚姻を結んでから、一度も顔を見ていない。三成の代役で左近が様子を見に行っているようだが、左近は「まあ、息災ではいますよ。」と言うに留まっていた。息災ならば、尚更、三成は政宗に会う必要を感じなかった。
その話を聞き、ァ千代が三成をきつく睨み付けた。
「立花もかつて夫を持っていた。貴様のように女をわからぬ男だった。」
「そうか。」
「片意地は変わらないが、貴様は変わったと思っていた。しかし、立花の見込み違いのようだな。」
三成も流石に眉をひそめた。
「何を言っている。何か、気に障ったのか。」
それには答えず、ァ千代は触れなば斬れそうな視線で言った。
「政宗に会わせてもらおう。」
何もかも左近に任せていたので、三成が屋敷の奥に行くのは初めてのことだった。
世話付の童女のものだろうか、少なくとも政宗のものではない。微かに手毬歌が聞こえ、三成は呑気なものだと内心思った。左近が言うように、元気にやっているようではないか。
しかし、隣のァ千代は肩を怒らせて、三成を放そうとはしなかった。執務があると文句を洩らせば、そのようなもの左近にでもやらせておけ、と目を吊り上げて三成を叱った。何かが、ァ千代の逆鱗に触れたらしい。ァ千代の姿は、在りし日のねねの姿に似ていた。問答無用だ。
政宗は縁側の日陰に腰をかけて、娘の鞠つきを眺めていた。
左目を隠すための布で覆われた横顔しか見えないせいもあるが、初め、三成はそれが政宗なのだとわからなかった。戦場に出なくなり日に焼けることもなくなったため、より白さを増した頬に、伸びた髪が一筋垂れている。左近が手配したのだろう。大きな花をあしらった着物を纏い、女に見えなかった過去が嘘のように形が変わっている。
驚きに目を見張る三成の手を引き、ァ千代が政宗へ近付いた。娘が鞠つきを止め、政宗がこちらを振り向いた。
「政宗、元気だったか!」
「三成様、ァ千代様…如何なされました。御連絡下されば、こちらから出迎えましたものを。」
他人行儀な言葉を口にして、政宗は立ち上がると頭を下げた。練習したのか、その立ち振る舞いは楚々として女そのものだった。
「様など付けなくて良い。今まで通りァ千代と呼んでくれ。」
「しかし、」
「立花も政宗と呼ばせてもらうのだから、相子だ。敬語も必要ない。」
戸惑うように政宗の目が揺らぎ、反論する前にァ千代は言った。
「それとも、三成が居てはし難いか。」
当人を目の前にして、反対し難い言い方をするものだ。非難の視線をァ千代に向けてから、三成は諦めて嘆息した。
「俺の事は気にするな。ァ千代の言う様にすれば良い。」
「――三成様がそう仰せになられるのでしたら。」
了承の意を込めて、政宗が頭を下げた。
そのとき初めて、三成は何かしくじりを犯した気がした。
初掲載 2007年12月24日