第一話

　粉塵が舞う戦場で吹きすさぶ風に煽られ、�ｧ千代は僅かに目を眇めた。
　眼前に広がるのは関ヶ原――これから決戦の行われる場所だ。天下分け目の関ヶ原、と小さく口内で呟き、�ｧ千代は隣の総大将を仰いだ。
　「それで三成。策は立ててあるのだろうな。敵は大筒を用いるという話だが。」
　「無論だ。こちらとて、大筒は用意してある。敵方のものはすぐさま奪取してしまえば良い。それで数の利は覆せるだろう。」
　はらりと三成が扇子を開いた。
　「逆に言えば、奪取できなかった場合、戦闘はそれだけ困難なものとなる。当然、負けるつもりなど毛頭ないが。」
　「そうか。そうなっても立花は怯まない。――むしろ楽しそうだ。そうは思わないか、戦屋。」
　義弘が笑った。
　「お主も変わったものだな。愛いものだ。」
　「おいおい。楽しそうだからっていい加減にしてくれよ。こっちは命賭けてるんだ。」
　「わしらとてそうよ。賭けは命を張らねば詰まらん。」
　「凄絶だな。それでこそ、上等。」
　ぴーひょろろろと声がした。見れば、雲が一筋棚引く中天に鳶がくるりと飛んでいる。戦場とは思えぬ長閑さだ。
　これを不滅のものにしたい。義によって立つ天下の下に。
　三成は視線を地上に戻し、仲間を一人ひとり確認した。左近、�ｧ千代、義弘、元親。ここまで付いてきてくれた、無二の仲間だ。兼続は奥州で伊達を相手取り、幸村は秀忠の足止めをしている。
　「これで天下が決まる。覚悟は良いか。」
　応えるように、中天で鳶が啼いた。




　馬上の政宗は難しい顔で大坂への道を上っていた。
　天下は三成のものとなった。敵総大将だった徳川は世から姿を消し、真田家は幸村の取り計らいで残ることになった。しかし、結縁があるとはいえ、本多までは取り潰しを免れなかった。
　徳川に味方した伊達家はどうなるのだろう。
　側近たちは声を揃えて、政宗の上京に反対した。これまで散々目の敵にされており、様々な手管を弄して伊達を失脚しようとしてきた三成の元に、政宗が行く必要はない。行けば、伊達家当主は生きて戻ることは出来ないだろう。
　そのとき政宗は、徳川方への味方は己の独断であり、伊達は関係ないと言うつもりだった。既に命乞いは豊臣政権化で一度している。再び、あの手は使えまい。元より、あのような手に片意地と評される三成が引っ掛かるようにも思えなかった。
　己が死ぬことで伊達が存続するならば、それだけで良いと思っていた。高望みをするには、遅すぎた。三成に誘いをかけられもしたが、政宗は結局家康を取った。全て読みを誤ったのだ。
　何かあっては遅いゆえ、と、綱元と成実には国を任せてある。景綱は付いてくると言って聞かないので好きにさせたが、内心政宗は不満だった。
　「のう、小十郎。」
　「何でございましょう。帰れとは申されますな。」
　先手を打たれた。しかし、既に何度もした言い合いだ。言っても無駄だと、流石の政宗もわかってはいた。
　「父上が亡くなられた際を覚えておるか。あのとき、伊達の重鎮が大勢追い腹して大変じゃった。」
　返事はない。
　「出てくる際、わしは追い腹を禁じた。とはいえ、死人に口なし。わしに止めることなど出来ぬじゃろう。…不甲斐無いが、わしにはまだ跡継ぎもおらぬ。あちらや最上が口を出さねば、伊達は成実が継ぐであろう。あれを支えてやってはくれまいか？」
　僅かに遅れて付いてくる景綱は黙したまま返さない。わしも意固地じゃが、これも変わらんな。政宗は小さく溜め息を吐いた。
　ふと、景綱が生まれたばかりの息子を斬り殺そうとしたことを思い出し、政宗は中天を仰いだ。あれは主より先に子を設けるなど、不遜だという主張だった。
　「次代の担い手は必要じゃ。」
　まだ若いからと事実を遠ざけず、誰かに抱かれれば良かったのだ。


　幼い頃から、政宗は己が人と違うことを知っていた。
　母は弱い人だった。最上の打ち出した策略を手伝い、多額の布施で買収した寺院の僧侶を巻き込み、いずれ腹から生まれ出でる子は当地で有名な上人の生れ変りだと口にした。元々敬神だった父は、それを疑うことなく信じた。
　このとき、男児が生まれれば何事も問題なかった。策は成り、母は伊達の跡取りを攫って、最上へ帰還したのだろう。しかし、皮肉なことに、生まれたのは女児だった。
　困惑する父に、母は頑なに夢の内容を繰り返した。これは何かの間違いだと、天は性別を誤ったのだと。流石の父も半信半疑だったが、愛する妻を動揺させないように信じた振りをし続けた。だが、それを察して、母は尚更意固地になって政宗を男として育てた。
　それも、本来ならば、弟が生まれたことで過去の出来事になるはずだった。政宗も女としての名を与えられ、女として育てられ、女として嫁ぎ、女として死ぬはずだったのだ。しかし、政宗は痘瘡に罹った。幼児にとって死亡率の高い病は政宗の左目を奪っていった。隻眼など、政略婚を控える武家の女としては致命的だ。
　だが、父は違った。政宗が隻眼になったこのとき、母の夢を信じたのだ。政宗は隻眼の僧の再来であり、誤って女の身であるのだと。それまでそう言い続けた母には、訂正のしようもなかった。むしろ、母は虚言が実になったことで政宗を恐れるようになった。嫡男である弟は無視され、政宗が嫡子に取り立てられた。父は政宗に、中興の祖である「政宗」の名を与えた。
　幼い頃、政宗は己が女だと知らなかった。大きくなれば、成実や景綱のような男の体に成れるのだと信じていた。
　そうではないと知ったのは、七歳のときだった。痘瘡を患ってから、二年後のことになる。


　政宗は緩く首を振った。仮に女であることがこの身を生かし、蟄居あるいは降嫁で済ませても、それは「伊達政宗」の死でしかない。「政宗」の名しか持たない政宗に、「政宗」以外の生は存在の否定だ。それ以外の生き方は知らない。――もう、捨ててしまった。
　「考えても仕方ない、か。」
　何に増しても、伊達に跡継ぎを設けられなかったこと、それだけが悔やまれてならなかった。

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初掲載　２００７年１２月２４日