生まれて初めての恋だった。生涯一度きりの恋だった。
近江の観音寺に居た頃だ。秀吉に見出される前の三成は、寺の生活が嫌いだった。
幸い、三成の預けられた寺は小さく、坊主の数も少なかった。年老いた主に、幼い小姓。預けられる際父や兄に再々言われ、覚悟はしていたが、衆道が流行る様子もなかった。あるいは、父は三成の美貌を案じて、このような寺に入れたのかもしれない。石田家の身分を鑑みれば、それはあまりに小さな寺だった。
しかし、衆道は起こらないとは言え、三成の噂が流れたようで近隣の娘が寄ってきた。兄弟弟子は境遇を羨んだが、鳥が囀るように姦しく居られても、沈黙を尊ぶ三成には邪魔で堪らないだけだった。兄弟弟子の嫉妬、娘たちの恋慕。それらが厭わしくてならなかった。
その日も、三成は娘たちから逃げるようにして、寺の奥へ篭もっていた。書物と戯れる三成のことを僧は聡明だと称えたが、そのときは書の何たるかも知らず、ただ逃避の手段でしかなかった。外では雨が降っていた。
そこに来たのが、あの二人だった。
「――失礼だが、雨宿りさせて頂けないだろうか。」
三成は書から面を上げた。表からする声は、僅かに緊張を孕んでいる。その声に三成は覚えがあった。それは押し殺されていたが、父や兄が武芸の稽古や狩場で示す警戒心に似ていた。
客分に気付かれぬよう、三成が表を覗くとそこには男と娘が立っていた。父娘だろうか。巧く偽装されてはいたが、明らかに高い身分の者だった。身なりは旅の町人だ。しかし、町人はもっと薄汚れているはずだ。何より、警戒心が只者ではない。
男に寄り添う娘は、つりあがり気味の大きな目をしていた。抜けるような白い肌は、近江の生まれではないのだろうと思わせた。北の生まれか、あるいは町人でももっと格が上か、武家か公家。小さな手には安っぽい風車が握られていた。
ふっとそのとき、三成は娘と目があった。男はまだ僧と話をしており、三成に気付いた様子はない。
微かに、娘が笑った。幼さに反して、艶やかな花のような笑みだった。
それに、かあと顔に熱が集中して、眩暈がした。気がつけば、動揺もあらわに、三成はその場を後にしていた。
仏像裏の暗がりに座り込み、動悸と甘い疼きのする胸元を握り締めて、三成は強く唇を噛んだ。動転して、何が何だかわからなかった。それが恋であったと気付いたのは、一行が立ち去ってからのことだ。
後日、三成の元に秀吉がやって来た。三杯の茶を出すと、秀吉は嬉しそうに笑った。
「実はな、お前さんのことを教えてくれた娘がおるんさ。ありゃ、本当だったな。」
あの娘ではないか。三成の胸は高鳴った。しかし聞けば、その娘は秀吉の妾になったらしい。そもそも、閨での会話のことだった。その事実に、三成は心に洞が出来たような気になった。
後年会ったその妾は、三成の記憶の娘とはまるで違う女だった。
初掲載 2007年12月24日