夜が更けるにつれ次第に強くなり始めた風に、古瓦がかたかたと音を立てている。今にも屋根から頭の上に降ってきそうだ、というような懸念を頭の片隅に抱きながら、政宗は三成の説明を聞いていた。
三成と名乗った子狐の言い分は、ざっくばらんに説明すれば、「妲妃という禍をなす九尾が伊達に入り込んでいる。その調伏を手伝え。」ということらしかった。世が乱れ、下克上の風潮が広がっているのも、元凶をたどればその狐が世に放たれたためであるという。
ではその不祥事に対し神仙たちはどうしているのか、と政宗が問えば、三成は途端に言葉を濁した。どこの世も、下々につけが巡ってくるのは変らないらしい。
そもそも助けてくれという割に、三成の態度は奢ったような点が見られた。居丈高なのだ。神に近い存在であるという自負が「人間如き。」にという蔑視を向けさせるのだろう。政宗は伊達当主に着任してからたびたびそのような目を向けられているので、すぐさま三成の中の燻りを悟ることが出来た。話を聞けば大陸では、神仙と人間の差を明確にするため封神なる恐ろしい計画が実行に移されたそうだから、それを生き延びた三成が、神仙に連なるものとして生きることを許された存在、という選民意識を強くしたのも致し方ない話ではあった。
しかし、それは日ノ本で生きていくには大変な障害となっただろう。日ノ本では、妖と人と神との境があやふやだ。狐を母に持つと呼ばれる陰陽師や、鬼とされる猛将。天皇は神の血筋という触れ込みで、今隆盛を誇る武将はそれぞれ神の生れ変りを名乗りあっている。
実際どれだけの者があちらのものなのか、政宗は真偽のほどがわからない。だが、日ノ本では、大いにありうることだ。実際、今政宗の城にも幾匹か妖が入り込んでいる。
ちらりと政宗が視線を向けると、三成は小さな手で扇子をいじっていた。緊張しているのか、苛立っているのか落ち着かない様子だ。
「それで、何故わしなのじゃ。わしがその妲妃でない道理はないであろう。」
「…貴様からは嫌な臭いがする。」
三成は嫌そうに顔をしかめた。
「犬の臭いだ。犬に近づけるのならば、貴様は妲妃ではないのだろう。狐は犬が何より嫌いだからな。だが、貴様のところには確かに狐がいると妖たちが騒いでいた。」
何故犬の匂いがするのか、政宗には原因に見当がついた。しかし、今日初めて会ったばかりの狐に知らせる道理もない。第一、三成こそが伊達に害をなそうとしている狐で、邪魔な犬を取り払うために政宗を利用しているのでないとも限らない。政宗は「そうか。」と答えるに留めた。
だが、三成が言う災禍には、政宗は嫌というほど覚えがあった。そして、それらは全て己のせいで引き起こされた惨劇なのだと思っていただけに、三成の話は政宗にとって意外なものだった。
「それで、貴様はわしに何を望むのじゃ。陰陽師でもあるまいし、わしに何が出来るわけでもあるまい。」
「伊達家の現状を教えろ。」
三成の要求に政宗はしばらく言いあぐねた後、言葉を探すように話し始めた。
悪狐が原因だとするならば、そもそものはじまりはどこなのか。政宗にはわからない。実際、政宗は、嫡子の病と戦国の世という二つの要素が交じり合った結果発生した必然なのだと思っていた。だが、それがどうあれ、伊達家に数多くの悲劇が起こったのは事実である。
政宗にとってのはじまりは、五つのとき、痘瘡を患ったことだった。三日三晩政宗は寝付いたが、母の看護と祈祷の甲斐あってか、一命はどうにか取りとめた。
無論、五体満足ではなかった。痘瘡は政宗から右目や母義姫の寵愛を奪っていった。また、家督も奪いかけていった。隻眼の子に家は任せられないと、母の強固な反対に合い、それに同調した家臣によっても政宗は苦しめられることになった。
政宗の味方は、父輝宗と守り役小十郎、乳母喜多、従兄弟の成実くらいのものだった。しかし、彼らも政宗を構ってばかりいられるわけでもない。招かれた虎哉禅師の教えがない日は、政宗は専ら、森の外れにある人食い蔵で妖たちと時を過ごした。とりわけ、親交を深めたのが、猫又の猫である。
生まれた頃から妖が傍にいたので、妖を見たり会話をすることが普通ではないのだと、政宗は全く思わなかった。だが、それがなおさら母や家臣に疎まれる原因らしいと悟ってからは、理解を示してくれる小十郎の前以外では、政宗もそのような言動をおいおい控えるようになった。その頃には政宗も、己がどうやら異端らしい、と理解していた。乳母の喜多は理解を示してくれるが、政宗のように見えたりするわけではないようで、ふっとした瞬間、政宗は言いようのない孤独に襲われた。
その穴を埋めたのは、妖たちだった。家を顧みるのであれば、妖との接触は避けるべきだ。しかし、政宗は悪循環に陥っている事実に気付きながらも、妖との交流を絶てなかった。それには、年を経るにつれ強くなり、衰える様子が微塵たりもない政宗の能力も影響していた。
その間にも、政宗を推す輝宗と弟小次郎を推す義姫との対立は激しさを増し、先年、父による強引な政宗への家督譲渡を契機に、父母との仲は険悪なものとなった。
しかしとりわけ身につまされたのは、当事者である政宗だ。父を立てるか、母を立てるか。正直に言ってしまえば、政宗は家督にはあまり興味がなかった。唯一欲しかったものは、在りし日に失った母からの愛情だったが、望んだところで、それはもはや手にすることは出来そうにない彼方にあった。
そんな最中、畠山義継に人質に取られて、輝宗が無残な死を遂げた。「敵諸共撃て!」という父の命令に従った結果で、政宗が奪ったも同様の死だった。その後、人取り橋の戦いと呼ばれることになる戦で、政宗は激情に駆られて戦に臨み、結果、惨敗した。
だが、政宗の命も危ぶまれたとき、敵方連合軍の総帥佐竹義政が謎の死を遂げた。何があったのか、定かではない。表向きは部下に視察されたのだと情報が出回った怪死は、伊達の有する忍軍黒はばきの仕業なのだと噂が立ち、周辺諸国で恐れられた。
しかし実際は、政宗に命じた覚えはなかった。また周囲に尋ねても、采配を振るった覚えはないという。結局、誰が何の目的で義政を殺めたのか。中には、連合軍に味方していたが、元々は伊達の配下武将である岩城親隆と石川昭光が土壇場で寝返るのではないか、と佐竹義重が危ぶんだためという説もあったが、信憑性はあまりなかった。
父の無残な死に母は激怒したようだった。政宗の処遇を巡って父と仲違いしているとはいえ、政宗の話題さえ持ち出さなければ、本来仲睦まじい夫婦だった。帰還した日、母は父の亡骸を運んできた政宗を一瞥すると、厭うように姿を消した。
それから、母に忌避されるまま時は過ぎ、二月前のことだ。伊達に急な客が訪れた。二人連れの客で、男は真田幸村、女はくのいちと名乗った。くのいちなどという名前はないので、本当の名は他にあるのだろうが、もしかしたら「くのいち」ゆえ本当に名がないのかもしれない。
政宗は二人が兼続からの招待状を持参したので、人外であることにはすぐさま気付いた。しかし、犬猿の仲である兼続も「山城守」などというえらそうな身分を口にしては、三傑相手に碁を指しにふらりとやって来ることがあったので、さして気にせず私的な客として招き入れた。幸村はしきりに恐縮していた。何か目的があるようだったが、相手が妖では尋ねたところで詮無きこと、と政宗は尋ねようとも思わなかった。
それから間を置かず、母から食事の誘いが来た。母からの愛情に飢えていた政宗は、一も二もなく馳せ参じた。美しい母は装いも華やかで、微笑むとそこにはまるで花が咲いたようだった。痘瘡を患って以来恋い慕う母がかつてないほど身近にあるので、政宗の心もつられて弾んだ。
一服盛られたらしい、と気付いたのは、食事を粗方片付けてからのことだった。
母は元々家督問題で、政宗を強く憎んでいた。そこへ、夫の死が油を注ぐ形で、政宗への憎悪を募らせたのだろう。毒を盛られた政宗としても、それはわからない話ではなかった。
一命を取り留めた政宗は、新たな問題に向かうことになった。暗殺されかけておきながら何も処罰を下さないのでは、周囲に対して示しがつかないというのだ。一部の家臣の言い分も尤もなものだったが、かといって、政宗としても母を斬るわけにはいかなかった。そもそもの原因は家督争いにあると言い、全責任を弟に擦りつけ斬りつけるつもりにもなれなかった。
結局、政宗は家督を捨てるつもりで、まげを落とし、髪を伸ばしている。家臣は躍起になって、引退を表明した政宗を説得しようと画策し、内々で解決できるまで当主の奇行を隠す心積もりらしいが、周辺諸国に漏れ出るのも最早時間の問題だろう。
「こうして話を整理してみると、やはり、全ての元凶はわしではないか。」
皮肉そうに笑う政宗を、三成は肯定も否定もしなかった。
政宗の話は主観が入っているが、それでも、一連の出来事が政宗を中心に起こっているという感は否めない。だが、政宗が妲妃であるはずがないのだ。第一に、狐の厭う犬の臭いがする。第二に、政宗が妲妃であるならば、政宗の振りをする可能性はあっても、己の正体を知らないはずがない。妲妃であるという自覚があるはずだ。
「ともあれ、その二人の客人とやらに会わせろ。毒殺騒動間際に来るなど、いかにも怪しい。」
何処か自暴自棄な声だ、と政宗は思いながら首肯し、ふと何かの助けになればと妲妃の特徴を尋ねた。三成は首を傾げ、しばらく考え込んだ後答えた。
「何か特殊な頬紅を塗って、いつも桃の香りを漂わせていたな。」