空中庭園 / 川原由美子 第一話   観用少女パラレル


 最上階へ向かうためエレベーターに乗り込み、その窓から外を眺めて、政宗は思わず嘆息した。住んでいる街はまるでミニチュアのように小さくごみごみとしている。改めて建物の高さを思い知り、そうして政宗は新しいバイトをちゃんとこなせるのだろうかと僅かに不安になった。
 この街で名前を知らない者のいない豊臣一族の本社ビルの天辺に空中庭園があるという噂は有名だった。大学進学を機にこの街へ越してきた政宗も、豊臣家がかつて総理大臣を輩出していたこともあって当然のように知っていた。しかし、そこは先日亡くなった元総理のプライベートスペースだったそうなので、まさか政宗は自身がそこに関わることになるとは思わなかった。教科書に載るような偉人と関わるなど、夢にも思わず生きてきた。ただ、ああいつ見ても高い建物だなあと政宗は近くを通るたび、地上から見上げて苦笑した。地震大国の日本にこんな高い建物を作るなど狂気の沙汰だな、と教科書で見た総理の顔を思い出しては笑ったものだ。
 だから、自分が足を踏み入れることになるなど想像もしていなかった。
 ガードマンに許可を貰い、危険物を所持していないかチェックを受け、所持品を預け、政宗は庭園へ通じる扉を開けた。
 高度の関係で固く閉ざされた窓を透かして、陽光が明るく照らしている。冬枯れた木々に足元を舞っていく落葉を眇めて見やり、政宗はきっと正面を見上げた。幾らか高くなった足場に、青年が少女と向かい合って座り新聞を広げて眺めていた。きっとあれが雇用主だろう。その美しい横顔に人を寄せ付けない冷たさを感じて、政宗は内心嘆息した。割の良いバイトと選んだだけで、ややこしい話はごめんだった。
 寒さを蹴散らすように颯爽と近付いていくと、青年はようやく政宗の来訪に気付いたように新聞紙から顔を上げた。白い吐息が上っている。寒くないのだろうかと寒さに痛くなる耳を意識し、努めてそれを気にせぬように政宗は言った。
 「お早うございます。今日からこちらでお世話になります、伊達政宗と申します。」
 随分久しぶりに使用するので忘れたかと心配したが、案外忘れていなかったようで敬語はすんなり舌先に乗った。これならきっと大丈夫だろう。第一印象が肝心だ、気難しそうな人なら尚更。人好きのする猫被った笑みを浮かべて政宗がにっこり笑いかけると、青年は僅かに眉をひそめて新聞を閉じた。
 「…おかしいな。」
 「はい?」
 「美人を、と言っておいたはずだ。それに貴様は男ではないか。」
 早速嫌味かと引き攣りそうになる頬を政宗はどうにか隠し切り、行儀良く素直に頭を下げた。
 「申し訳ございません。お気に召さないようでしたら、私はこれで。」
 単なる色魔かと内心呆れ踵を返し去ろうと思えば、「いや、」と青年は少女を見やった。
 「雇用主は俺ではない。あれに訊いてやってくれ。あれに気に入られるようであれば、俺の意見は関係ない。」
 「…はい。“お嬢様”のお名前は?」
 「ガラシャだ。」
 青年に続くようにちらりと少女へ目を向けて、政宗は内心苦笑した。日差しを浴びて赤く輝く毛髪に、夕日のような色合いの美しい瞳。そんな色彩を持つ十二、三歳の見た目を持つ少女といえば、思いつくものは一つしかない。大体それを知っていて雇われたものの、いざそれを目の前にすると僅かながらに腰が引けた。本物の観用少女が素知らぬ顔で遠くを見ていた。購入するにも維持をするにも莫大な金銭がかかる人形が愛でられるためだけに存在するなど、これだから金持ちは酔狂なのだと政宗は失笑したくなった。ミルクと砂糖菓子とたっぷりの愛情で育つお人形さん遊びなど、酔狂の極みだろう。
 それでも、その人形のお陰でバイトがあるのだと思えば文句も出るはずもない。政宗は石田三成と名乗った青年に連れられ、台所へと移動した。政宗の仕事は一日三回の少女への食事、台所のことは知らねばならない。
 「食事を取らねば枯れるというのに、あの見た目で人の好き嫌いが激しくてな。中々家政婦も決まらない。――まあ来たのは男だったが。」
 「…申し訳ありません。」
 どうにも一言多い男だ。政宗は自分の心のメモ帳の三成の欄に、『一言多い』と記しておいた。それに、『いけすかない男』とも。そんな政宗の胸中も知らず、三成は茶をカップに注ぎながら尋ねた。
 「観用少女の世話をしたことは?」
 「お世話係ではありませんでしたが、以前いたお宅で少しだけ…。」
 「では世話の仕方はわかっているな。」
 「はい。…あの、お茶でしたら私が。」
 「貴様の世話はあれの世話だ。俺のことは良い。」
 「しかし、…朝食がお済でなければ何かお作りしますが。お好みはございますか?」
 政宗の言葉に三成はカップから顔を上げ、口端に笑みを浮かべた。
 「貴様は気が利くな。だが、毒を盛る人間は得てして表面上は善人と相場が決まっている。」
 「…は?」
 「だから俺のことは構わなくて良い。」
 言い捨て、三成は再びカップへ視線を戻した。
 三成の言い草に呆気に取られていた政宗は数度睫毛を瞬かせてから、後ろを向いている三成に見えないことを承知の上で盛大に顔を顰め睨みつけた。石田三成、『口も性格も悪い』。そうメモに記すのも忘れなかった。割が良い仕事と応募してみたが、初っ端これでは先が思いやられるものだ。


 「お待たせしました。」
 政宗が差し出したそれに、それまで文庫を読んでいた三成は一瞥くれて、面倒臭そうに嘆息した。
 「随分変わったミルクだな。」
 「粥でございます。宜しければ御一緒に食べて頂きたく存じまして。こういう形で毒を盛るのは余程の名人でも難しいとは思いませんか?」
 「貴様は余程の名人かもしれん。先に解毒剤を飲んでおくという手もあるしな。」
 「…。」
 政宗も思わず顔を引き攣らせ、固い口調で言い切った。
 「…失礼ですが、家政婦が決まらないのはガラシャ様のせいばかりとは言えないのではございませんか?」
 自分用に入れられたミルクのカップを両手で持ち、ガラシャが不安そうな目で政宗を見上げた。政宗の口調に篭る殺しきれない怒りに人形ながら気付いたのだろう。むしろ、愛情を糧とする観用少女だからこそ、ごく僅かなそれに気付いたのかもしれない。ガラシャの視線に気付いた政宗は雇用主に嫌われてはたまらないと安心させるように笑いかけた。すぐさま返って来た満面の笑みに、三成が珍しいものを見るような目で見た。
 「そうかもしれんが、俺だとて、これが俺の手からミルクを飲めば一々家政婦を雇ったりはせん。まあ、金はあいつらが出しているようだが。…これが枯れてしまっては、やつらとしても困るからだろう。ふん。幽閉の上、監視までつけるとはな。」
 「は?」
 意味がわからず眉をひそめた政宗を無視し、三成は、こちらのやり取りにもう問題がないと判断したのか素知らぬ顔でミルクを飲んでいるガラシャを見詰めて小さく告げた。
 「これがミルクを飲めば雇用成立だ。貴様の何が気に入ったのだろうな。秀吉様ともねね様とも違うのに。」
 「あの…。」
 秀吉は先日亡くなった会長の名前、ねねは確かその亡妻の名前だ。その名を口にする三成の声があまりに寂しそうなもので、政宗も思わず返答に詰まった。しかしそんな政宗の思いも知らず、三成は不躾に政宗を眺め納得したように呟いた。
 「美人ではないところか。そもそも男だし…ああ、年のころが近いからかもしれないな。」
 「…私はもう十八です。一応、大学も出ております。」
 「まだ学生ではなかったか?履歴書に書いてあった。」
 「今は休学中ですが、院に行っております。」
 「そうか。まあ、俺は自分のことは自分でするから気にかけなくて良い。以上だ。」
 「…はい。」
 再び文庫を読み始めた三成に政宗は辛うじて返事を絞り出し、手元の鍋に視線を落とした。これだけの粥を一人で食べられるだろうか。しかしそれにつけても一言多い男だと読書する三成を密かに見やり、政宗は心中嘆息した。三成は幽閉と言っていた。毒を盛られる可能性があり、幽閉されている上に監視役がつけられる身分。更には都会の真ん中の枯れた空中庭園に、懐く気配のまるでない観用少女と二人きりで生活している。一体何者なのだろう。











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初掲載 2007年10月21〜24日