第三話   現代パラレル


 それはクリスマスのこと、ちよちゃんの彼が唐突に仕事を辞めた。
 ちよちゃんの彼は、どうせ辞めるならクリスマスが良いだろうと主張した。いつ辞めたかわかりやすいから、というのだ。あっさり一言で片付けられてしまったが、本来なら浮かれて祝うべき恋人たちの聖夜クリスマスがこれで修羅場突入決定だ。
 正直、それを聞いていたお隣さんの三成と、兄が結婚して新婚さんとの同居がいたたまれずおんぼろ荘に越してきたばかりの幸村は、心の底から対処に困った。同じ状況に陥ったならば、誰だとてそうだろう。
 ちよちゃんの彼こと兼続と二人は親友関係にあったが、やはり今でも読めない男である。電波だからしょうがない。
 その、電波と付き合っている物好きなちよちゃんというのは、政宗の高校時代のあだ名である。元ネタは某漫画のキャラクターで、高校に編入してきた天才少女という設定だ。政宗は小学生ながら特別に高校へ編入したので、「あだ名はちよちゃんだな。」と当時の担任だった孫市が自己紹介で決め付けた。ちなみに孫市もおんぼろ荘の住人で、元はといえばこいつがいるから卒業生の兼続たちが引っ越してきたのだ。政宗の不幸の根源かもしれない。
 編入当時、若干11才だった政宗に「これは運命だ!」と一目惚れして、最終的に恋人の座にありついた兼続は、今でこそ大丈夫だが当時はショタコンでどんびきだった。年齢的に完全アウトだ。犯罪者予備軍として、警察に通報すべきだ。
 その、犯罪者予備軍で電波の兼続の発言はまさに爆弾を投下したようなもので、三成は内心政宗を哀れんだ。この夏、ようやく18歳になった政宗はただでさえ兼続に振り回されてこんなアパートに住まされているのに、その上、彼氏が無職とは。やりきれない思いだろう。やりきれないというか、今夜隣室で起ることが手に取るようにわかって、三成は思わず嘆息した。懇意にしている秀吉夫妻にクリスマスパーティーを誘われているから、別に何が起ころうとどうでも良いのだが。
 三成は扇子の下で無職だと決め付けていたが、優しい幸村は違った。
 「退職…転職でもされたんですか?今から私たち同様、院に進むとか…?」
 参考までに、三成は国語学で研究者を、幸村は教育学部で体育教師を目指している。
 「違う。作家になろうと思ってな!」
 予想外すぎる返答だ。
 「それは…あの、何か…目処でも?」
 「ない!」
 はっきり自信満々に胸を張って告げるようなことでもない。政宗は烈火のごとく怒るだろう。
 「…凡愚が。」
 扇子の下で三成が小さく舌打ちした。ただでさえ煩いお隣がこれからは毎日、昼間から部屋に居座るのだ。三成でなくとも、辟易したくなるものだろう。
 三味線を知り合いの左近か元親辺りに売り払うべきだろうな、と三成は密かに思った。


 そして、それから3時間後。
 まさかそんなことになっているとは露知らず、のこのこと帰宅してきた政宗は、殊勝な態度で出迎えた兼続になんだか嫌な予感を覚えた。このようなときは逃げるべきなのだが、同棲している今となっては、逃げ場などどこにもない。その上、ひとたび部屋に入れば四畳半のため、物理的にも逃げようがない。
 「…何をしでかしおった。」
 顔を大いにしかめ単刀直入に尋ねた政宗に、真面目な顔で兼続が答えた。おつむは弱いが頭は良いので、兼続は、政宗がその顔に弱いことを知っていたのだ。
 「実は、仕事を辞めたのだ。」
 しかし、顔の良さだけでは回避できない問題もある。
 カーンとどこかでゴングが鳴った。それは、惨絶たる修羅場の幕開けだった。


 幸村は意を決して扉を叩いた。あれだけ頑丈で人間なのかそれすら謎だが、万が一ということもある。兼続が生きているか、些か不安だったのだ。錯乱した政宗が包丁を手にしない保証もない。何せ四畳半。少し手を伸ばせばなんでも手に取れる距離なのだ。
 どたばたと怪しかった室内で一際大きな、何かを殴るような音が響き、慌てた様子で何かが戸を開けた。
 政宗だった。
 「あ、まさ…っ!」
 流石の幸村も何があったのか察しがついて、思わず言葉を失った。優しさが仇となるのが幸村という男で、仇にするのが主に兼続なのだ。てっきり殺されかけていると思いきや、いつも通り押し倒してうやむやにするつもりだったらしい。心配するだけ無駄というものだ、と鼻先で笑った三成の忠告が今更ながら身に沁みた。
 「ゆっ、幸村、か!どうした。」
 仕事帰りでまだスーツを着ていたのか、乱れきったワイシャツの前を掻き寄せた政宗は肩で息を吐いていた。汗で髪が張り付いた項がうろたえるほど艶かしい。
 当然、幸村はうろたえた。
 「いえ…、あの、そのっ、…すみません!何でもないです!失礼しましたっ!」
 言っても幸村は信じないだろうが、政宗は感謝していた。もう少しでまた流されてうやむやのまま約束させられてしまうところを、幸村が引き止めてくれたのだ。
 しかし、それも幸村が耳まで赤くし脱兎の如く逃げ出したため、幸村にとっても政宗にとっても不幸な結果に終わってしまった。つまり、幸村はその謝意を聞くことができなかったのであり、また政宗も結局流されてしまったのだ。
 引き止めるため政宗が伸ばした手も空しく空を掻き、そうこうする間に、後ろから伸びた兼続の腕に引き寄せられた。
 そして扉は哀れにも閉められ、施錠する音が無情に響いた。


 翌朝。世間的にはサンタクロースがプレゼントをくれたか否かはしゃぐ日だろうが、政宗は重き荷を背負ったようにどんより暗かった。いつも通り、自己嫌悪に浸っていたのだ。一方、兼続は天まで照らすほど満ち足りた様子だった。これもやはり、いつものことだ。
 越してきたばかりの幸村は不幸なことに知らなかったが、これが、修羅場になった翌日の常態なのだ。
 なお、幸村は恥ずかしさゆえ彼らを直視できない日々が続いたということである。











>「第四話」へ


初掲載 2007年12月4日