第一話   現代パラレル


 政宗が住んでいるアパートはおんぼろ荘と呼ばれている。実のところ藤見ヶ丘荘などというご大層な名前があるのだが、何か正式な書類に住所を記載する必要性が生じない限り、おんぼろ荘でみんな通している。郵便配達の人も、おんぼろ荘と書かれた手紙を届けてくれるほどだ。むしろ、藤見ヶ丘荘などと行ったところで通じないのがオチだ。
 そのアパートは呼び名がそのまま態を現している。すなわち、古ぼけた築十数年の木造建築なのだ。風が吹けば飛ぶような風体だが、今のところはまだ建っている。しかし、地震が来たならば一貫の終わりだろう。


 何故そのようなアパートに政宗が住んでいるのかと言えば、恋人である兼続が住んでいるからなのだ。春先から同棲しているのである。
 貧乏学生用の激安物件だ。就職を機に引っ越せば良いものを、兼続は愛着があると言って引っ越したがらなかった。何より書生らしくて恰好良いではないか、などとお得意の持論をのたまった。そのくせ、春先から仕事で会える時間が少なくなるのだし、どうせなら同棲しようなどと言い始めたのだ。
 当然、政宗は抵抗した。死に物狂いで反対した。四畳半など、マンションに住んでいる政宗にしてみれば、正気の沙汰ではない狭さだ。
 しかし、伊達に長い付き合いではない。兼続は政宗の痛いところを熟知していた。犬猿というか凸凹コンビというか、二人で互いに足りない部分を補うどころか何かがあまり余ってしまうようなすれちがいまくりの二人だったが、政宗にとってはそのときばかりは不幸なことに、体の相性はばっちりだった。
 流され絆され約束をさせられて、翌朝。またやってしまったと政宗は大いに後悔した。また、というのは前例があるということで、それは4年前、同じ地方の大学に進学することを同じように約束させられたのだ。日常での大体の主導権は政宗が握っているが、政宗にとって最悪なことに、いざというときに限って兼続の方が強いのだった。兼続が電波で意思疎通が難しいのも、政宗の敗因の一つかもしれない。


 ともあれ、その荘の1階、隣人は三成と幸村という部屋で、政宗と兼続は暮らしている。
 この荘の住人は大らかというか何というか、政宗と兼続が男同士というのは一切気にしない性質だった。たぶん、1階に住む阿国が影響しているのだろう。この阿国という人物は男でも女でも気にいった人物はすぐさま自室に連れ込もうとするので有名な女で、政宗も一度お持ち帰りされそうになった。幸い、お国が兼続のことを哀れんでいたので、「ああ、あの顔はええのにかわいそうな人の…それは取っちゃかわいそうだわ。」と難を逃れたが、誰彼構わず見目が良ければモーションをかけている人物に恋人をそのように評されて、正直微妙な心境だった。


 そして、この荘は安さに比例してぼろく、狭く、当然のように、壁も透けるほど薄かった。音が駄々漏れだ。
 なのに、と政宗は思う。なのに、目の前の男は「山犬に捧げる愛のバラードだ!」などと言って、三味線をかき鳴らしているのだ。
 三味線の腕前は、実家の女性陣がみな師範代の腕前だけあって、兼続もすこぶる高い。しかしこの男、見た目も声も頭も良いのに、残念ながらおつむが弱いのだ。若干電波が入っているというか、常識が欠けていると表現するにはあまりにも並外れた思考の持ち主なのだ。――三味線で、恋人に愛のバラードを演奏する程度には。
 政宗は猛烈に恥ずかしかった。耳が火照るように熱く、俯かせた頬も赤く染まっていた。正座した膝の上の握りこぶしはぶるぶると震えていた。しかし残念なことに恥ずかしさゆえのそれを感動ゆえと勘違いするのが兼続という男なので、政宗はいつも通り見事なまでに勘違いされていた。
 これだけ恥ずかしい上に勘違いされるという不本意な嵌めに陥っているのだから、政宗も止めれば良いのだ。だが、それを敢えてしないのは、自分が止めると色々面倒臭い状況に陥るということを十二分に承知しているためだ。なにせ四畳半。双方手を伸ばせば相手にすぐ届く距離、兼続の射程範囲内に政宗はいるのだ。電波で思考回路がいまひとつ理解できない男にまた勘違いで盛られでもしたら、三味線どころの非ではない。夕食や番組観賞に支障が出る。
 どちらにせよ、あと十秒もすれば――。


 「うるさいぞ、兼続!俺は今勉強をしているのだよっ!」


 靴を履きいつものように窓から現われた三成が、窓に背を向け自分の唄に酔いしれていた兼続に向かって辞典を投げつけた。厚さ15センチもある方言辞典だ。三成は国語学で大学院に進んだのだから、邪魔された勉強はおそらく国語学、方言の類なのだろう。その参考書を投げつけるのは、よほど、兼続の唄が耳障りだったからに違いない。
 「ぐむう!」
 兼続は悲鳴をあげて、辞典の当たった後頭部を抑えた。普通の人間であれば脳震盪でも起こして下手をすればあの世行きだ。頭蓋骨が陥没しても不思議ではない。何故こんな人間としてありえないくらい無駄に頑丈なのだろう。もしかしたら人間ではないのかもしれない。
 付き合う前に押し倒されてその気になられて本気で貞操を危ぶんだとき、政宗は近くにあった鉄パイプで思い切り、それこそ過剰防衛で少年院に入れられることを覚悟して力の限り殴りつけたが、生きていたような男だ。少しだけその前後の記憶が飛んでいたが、兼続は翌日学校にぴんぴんした姿を現した。
 やはり、人間ではないのだろう。
 「三成!親友に辞典を投げるとは不義だぞ!」
 「うるさい!貴様らいちゃつくなら外でやれ!」
 「外で…?!そっ、…、それは不義だっ!不埒だぞ!!」
 「待て。兼続貴様何を妄想しおった。しかもその不穏な間は何じゃ。」
 思わずつっこんだ政宗に、兼続が何か言おうとした後、ぽっと頬を赤らめた。
 「…私の口から言わせるつもりか?破廉恥だぞ!この、山犬めっ。」
 「頼むから死んでくれ。」
 つんと指先で額を突かれて、本気で背筋を怖気が走った。兼続が変なのはいつものことだが、やはりいつもどおり予想外の方向へ進んで行った兼続の恥じらいに、三成も大いに引いて顔が引き攣っていた。
 「と、ともかく。貴様はもう黙れ。…政宗、頼りにしている。」
 「無理じゃ。」
 世の中、頼りにされてもどうにもならないこともあるのだ。
 はっきりきっぱり答えた政宗に、三成も納得したようだった。というか、納得せざるを、得ない。もはや予定調和の恒例になっているやりとりなのだ。つまり、兼続はどれだけ注意されようとも懲りずに三味線をかき鳴らすのであり、また、三成も物を投げつけるのだ。
 「では気を取り直して、最初から行くぞ!…こほんっ。一番、山犬に捧げる愛のバラードっ!」
 「…一番ってまだ続くのか。」


 そういうわけで、おんぼろ荘では今日も唄が流れている。
 風が吹いたわけでも地震が起きたわけでもないのだが、内側から大声によって、おんぼろ荘が崩壊する日も近いかもしれない。











>「第二話」へ


初掲載 2007年12月2日