第十二話 遠呂智、死す (※色モノです)


 遠呂智との決戦は、江戸攻めから十日後のことだった。
 つい先ほどまで縄目についていた妲妃は、隙を見て、遠呂智の元へ逃げ帰っている。政宗は、主君の奪還を固く誓う趙雲や孫策、何故か生きていた曹操、いつもどおり最後に良いところを攫っていく信長たちから離れて、一人、古志城を睨みつけていた。溶岩で堀を埋め尽くされた城は、橋を落とさせねば崩すことができない。はたして、この城をいかようにして諸葛亮たちは落とすのか。そして自軍の策に対して、遠呂智軍はどのように出るのか。
 「遠呂智よ…大詰めじゃ…。」
 唸るように呟き、一度、政宗は唇を噛み締めた。口内に血の味が広がったが、それ以上に心は血を流している。そのときにはすでに、政宗は、遠呂智が敵軍を増強するためにこうして政宗や司馬イを裏切らせたことを悟っていたのであった。妲妃は、遠呂智直々の命だと嗤って、伊達軍を街亭へ送り出した。あれは、妲妃の嘯きではなく、単なる事実だったのだろう。だが、同じく離反への道を敷かれたのであろう慶次や呂布は、遠呂智に反旗を翻すでもなく、いまだその傍らに存在している。一体何が、政宗には足りなかったというのか。だが、今更悔いても詮無きこと。理由がどうあれ、政宗は遠呂智に逆らい、こうして刃を向けている。死児の齢を数えたところで、悲しみややるせなさばかり募るばかりで、どうにも為にならない。
 「ならばせめて、この政宗の手で送ってやるわ!」
 吼える政宗に同調するように、赤い空から雷が注いだ。


 煩悶の末この戦に臨んだ政宗とは対照的に、久方ぶりに再会を果たした慶次は、晴れがましい顔つきをしていた。古今東西歴史に名を連ねる強者たちとの戦は、遠呂智でなくとも、武士であれば心踊る事態ということだろう。この決戦に際して、四方に配された砦の一つの防衛を任されていたはずの慶次は、常のように打って出てきた。慶次は、強いか弱いか、生きるか死ぬか、面白くて楽しいか、そのようなことしか頭にない。そして、慶次は遠呂智の望みを知る数少ないものであり、この騒乱が一時の夢でしかないことも承知の上である。猛将たちとの闘争を今のうちに楽しまねば損とばかりに、単身、突出してくる。慶次の気性を知らない星彩などは、不審がって行軍を止めたが、罠も仕掛けもあるはずがなかった。政宗は意に介さず、同じく慶次のことを良く知る孫市と共に、戦場を駆け抜けた。
 「天下御免の傾奇者、前田慶次が相手になるぜ!」
 豪槍を振り回し大立ち回りを繰り広げている慶次の姿に、孫市が得物を構えた。
 「楽しそうだな、慶次。こっちは必死だってのにさ。」
 「お?孫市、お前さんが相手してくれるのかい!嬉しいねえ!」
 敵であるときも、味方であるときも変わらない。慶次があまりに晴れやかに笑うので、つられて孫市も笑い声を立てた。慶次も孫市も、ぴりぴり神経を尖らせている政宗がここで足を止めないことを百も承知だ。二人とも、政宗の目的を知っていた。遠呂智だ。それでも、声をかけずにいられなかったのだろう。慶次はからから笑いながら、久しぶりに再会した元同僚に話しかけた。
 「おっ!いつもながら、政宗も元気と野心があっていいねえ!」
 その台詞に、政宗は内心ひやりとした。慶次は何を知っているのか。それとも、何も知らないのか。だが、政宗は動揺を完全に押し殺すと、慶次に向かって気丈に笑い返した。
 「ふん、馬鹿め!すなおに器が大きいと言って褒めぬか!何だったら、わしが貴様の身柄を貰い受けても構わんぞ?」
 政宗の本心からの吐露を流すように、かんらかんらと慶次が笑う。そして、これ以上は埒が明かないと、大将の離れた砦を落としに向かう政宗の背に投げかけた。
 「なあ、政宗!覚えてるかい!いつか、風魔との会話を話したことがあったっけねえ!」
 一瞥投げかけた先では、慶次が孫市の銃撃を槍で跳ね返していた。相も変わらず、無茶苦茶な戦い方をする。一時悲痛に顔を歪ませた政宗は、問いかけた男に背を向けると、赤兎馬の手綱を引いた。
 『こうやって天下は秩序へと近づいていく。金と権力と数が支配する秩序へとな…。我は混沌の風、うぬは天衣無縫の雲…。我らは秩序の中では生きられぬ…。』
 『だからあんたには死んでほしくないのさ。』
 政宗は金と権力と数で支配された世界を知っている。その秩序は不覚にも心地良いものだったが、政宗の望む天下でも、政宗に許された天下でもなかった。金と権力と数で負けるがゆえに、従う道しか残されておらなかった。
 政宗は再び、あの道を甘受するつもりはなかった。それは、慶次も同様なのだろう。折角、世界が生まれ変わったのだ。あれはもう御免だと声高に叫びながら、慶次は、この遠呂智から与えられた機会を楽しんでいる。だから、政宗も慶次と同じ風に振舞って何が悪い。この機会を最大限に活用させてもらうつもりだ。一体どれだけ、あと十年早く生まれていればと涙を呑んだことだろう。だが、この世界では、全てが無に帰している。十年も何もない。遠呂智を斃れたとき、初めて、全てが始まる。
 そのとき、独眼竜は天に昇るのだ。


 半刻もしないうちに、古志城へ至る橋は降ろされた。各軍の奮戦の結果である。
 趙雲たちに続いて政宗が足を踏み入れた先で、遠呂智はその到来を待ち受けるように玉座に腰をかけていた。遠呂智が待つのは、己ではない。政宗はそれを痛いほど認識しながら、遠呂智に銃を突きつけた。
 かつて、孫市は政宗に、遠呂智の器を外から眺めてみろと嘆息した。遠呂智に心酔していた政宗はむきになって孫市に噛み付いたものだが、こうして、敵として対峙して初めてわかったことがある。遠呂智の眼は終わりなど見据えていない。ただ、眼前に蔓延と広がる退屈を、茫洋と続き続ける生を厭うているだけだ。その解決策が死であることすら気づこうとせぬ傲慢さ、強大な力。政宗は改めて、手放そうとしているものの大きさに胸を打たれ、目の眩む思いだった。
 だが、もう道は分かたれてしまっている。政宗にとって至極残念なことだが、遠呂智はその力を天下統一に使うつもりはないのだ。これ以上、政宗の勝手な願望を押し付けても仕方あるまい。遠呂智の望みが終わりだというならば、この手で幕引くまでだ。
 その後に続く死闘は苛烈なものであった。覚悟こそあったものの、想像以上を行く遠呂智の強さに眩暈すら覚える。政宗は肩で息つきながら、遠呂智相手に善戦している幸村と趙雲の両雄を見やった。壁際には、遠呂智の放つ気に吹き飛ばされた小喬が屍のように転がっている。体重が軽い分良く飛んだというのもあるが、得物である双扇が気に流され、勢い良く背を壁に叩きつけられたのだ。現在、周瑜が容態を確かめている。ここから見て取る範囲では、息はあるようだ。大事はあるまい。しかし、と、政宗は落とした剣を拾い上げ、ようよう立ち上がった。しかし、その遠呂智の独特の攻撃方法を知っていた政宗ですら、この有様だ。兜は吹き飛んでいるし、まともに喰らった左肩も上がらなくなっている。その点を考慮すれば、小喬はあの程度ですんで幸いだった。かえって、下手に気を殺そうとしなかったのが良かったのかもしれない。
 だが、どういうわけだ。政宗同様正面から衝撃波を浴びながら、ああして遠呂智相手に善戦を繰り広げるとは。その戦いぶりにかつて大坂で見た姿を見出し、やはり日の本一の兵は侮れんわ、と口端を歪めて、政宗は嗤った。足がふらつく。こうして、立っているのもやっとだ。
 だが、根性で何とかなる。
 そのときの政宗は、己が伊達当主であることも、その後天下を狙っていることも、頭から消えていた。ただ、我武者羅に、足を踏ん張って立ち続けることしか頭にはなかった。
 幸村の薙ぎ払った槍が遠呂智の腹を割く。しかし、その程度では遠呂智にとって痛手にはならない。傷はつけられた端から再生していく。だが、僅かながら、遠呂智の気が逸れたのは紛うことなき事実だった。青い飛沫が上がる中、その機会をひたすら窺っていたのだろう、信長が駆け寄り様飛び上がり、勢い良く、振り被った刀を振り下ろした。
 その瞬間、全てが終わったことを政宗は悟った。そして、ここから全てが始まるのだ。
 政宗は己の手で遠呂智を斃せなかったことに、失望のような、安堵のような、何とも言い難い感傷を抱いた。思わず、声にならない声をこぼす政宗の前で、遠呂智の微かに見開かれた双眸が翳を映す。その眼に走ったものを見て、政宗は今更ながら、遠呂智を手放すことを惜しんだ。強い痛みが胸を刺す。
 まだ戦い足りない、まだ強者と戦いたい、これが終わりであって良いはずがない。
 遠呂智の眼は、そう叫んでいた。遠呂智は最期の瞬間にようやく、滅び以外を望んだのだ。だが、本当に、今更の切望だった。政宗は、遠呂智がこのような最期に至る前に気づかせてやれなかった己の不甲斐なさをひどく責めた。










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初掲載 2009年6月28日