第七話 星彩、脅迫者と化す (※色モノです)


 政宗が妲妃に召喚されたのは、半月後のことであった。それまで、半月続いた異様な小康状態に、政宗の我慢は磨り減っていた。いくら巧く処理しようとも、政宗が離反した孫策とかつて親友であり、大喬に同情的な立場を取っていた過去は否定できない。政宗はこの半月、妲妃に泳がされているのだ、とひしひし感じていた。そして、呼び出されるにいたり、やはり尻尾を掴まれたか、と、半ば諦めの入り混じった闘争心を胸に、政宗は妲妃の待つ執務室へと向かうのだった。
 政宗が着いたとき、妲妃は、自らの高位を示すかのような大きな椅子に腰をかけ、爪を弄っていた。常は紅く彩られている爪は、気分で色を変えてみたのか、仄暗い赤である。政宗はその目に一瞥投げかけてから、妲妃に己を呼んだ用件を尋ねた。
 「政宗さんも知ってるだろうけど、以前、うちは成都で蜀相手に負けちゃったじゃない?」
 妲妃は、本心では政宗のことを疑っているであろうに、本件には入らず、別のことに触れた。そして、その口調や台詞の端々に現われる、「遠呂智軍が負けたんであって、私が負けたんじゃあないもの。私は悪くないわ。」という態度があからさまであったので、政宗は、はたしてこれが罠なのか否か読み切れず、押し黙って続きを待った。妲妃は爪から目をあげようともせずに、置いてあった書類を政宗へ寄こした。政宗がさっと目を通すと、それは、街亭で行われる戦の資料だった。
 「蛆が湧いちゃって、困ったものよね。だから政宗さん、やっつけちゃってきて。」
 そこで初めて、妲妃は顔を上げると、にっこり政宗へと笑いかけた。
 街亭は、現在遠呂智軍が拠点としている城から二刻ほど向かった場所にあり、成都にも程近い。政宗が大喬に連れられて訪れた街より北方に位置し、商業の一端を担っている山道である。戦をするにあたっては、戦況を見渡すことのできる山上などを奪取した方が有利である。妲妃は、武将の端くれならば知らぬはずのない道理を説いて、政宗に、この場所に敵を引き込んで戦ってこい、と命じるのだった。
 伊達軍にはわざわざ教えてやらなければこんな道理もわからない愚か者しかいない、と言外に侮辱されたようで、政宗は妲妃を睨みつけた。だが、妲妃は相手にもしようとせず、扉を指し示して退室を促した。
 「さあ、遠呂智様直々のご命令よ。いってらっしゃい。」
 明らかに妲妃は、政宗が大喬の手助けをしたことをわかっているのだ。そして、政宗があの街で嫌な目に合ったことも承知した上で、大喬を逃した罰として、政宗に親友の首級を挙げさせようとしているのだった。


 一週間後。伊達軍が街亭に陣取ると、やって来たのは孫市率いる蜀の軍勢であった。
 山の頂上から敵勢の動向を窺っていた政宗は、その中に、幸村の姿が見えないので胸を撫で下ろした。政宗は可能な限り、幸村との接触を断ちたかった。それは、幸村の恋情に翳る眼差しを真正面から見せられたためでもあるし、幸村とこのように本意でない戦をしたくないためだった。政宗にとって、幸村との戦は、避けざるを得ない熱情的なものでしかるべきであって、他の介入によって引き起こされるものであってはならないのである。
 それは、親友である孫市相手でも当てはめることができた。孫市の命は、このような戦で失われて良いものではなく、もっと有効利用すべきなのだ。政宗はどうにかして孫市を手勢に引き込めないものかと懊悩した。そのため、大喬を逃がしてからというもの、あれほど好きだった昼寝も満足に取っていない有様だった。
 右腕である小十郎は、そんな政宗の苦悩を解すように、明るい声で主に号令を促した。それで、政宗はこの数ヶ月というもの、どうやら自分が部下たちに気を遣わせていたらしいことに気がついた。常は留守を司り戦に出ることのない綱元までもが、出陣しているのだ。政宗は立ち上がると、小十郎に手渡された剣を空へ掲げて、大きな声で伊達の勝利を約束した。政宗は孫市との決着が避けられないものであるならば、誰が何と言おうと、真正面からのぶつかり合いをすることにしたのだった。
 それは、孫市も同様であったらしい。しかし、唯一違う点があるとするならば、孫市は、政宗を説得する自信があったということだ。政宗には、それが歯痒かった。政宗は中央で暴れ回る孫市を眼下に、じりじりと戦況を見守っていた。竜の異名を持つ政宗には、所詮孫市たち中央部隊は陽動であり、本隊は両翼の軍勢であることが手に取るようにわかった。だが、政宗は目を瞑ってみせた。それが、自分の命を危険に晒して囮を務める孫市へのせめての礼儀でもあった。政宗の目的は、孫市たちを殲滅することではなく、正々堂々戦ったうえで勝つことだった。
 孫市の指揮に従って侵攻していた両翼の西軍から、一人の女が突出してきたのは、そのときだった。丁度、お互いの顔が見える距離に至ったときのことである。見覚えのある女は、何か策がある様子で頂上へと駆け上がって来た。一瞬何処で見た顔か思い出せなかった政宗も、その能面を見て、一体誰で、一体何処で見かけたのか、すぐさま思い返すことが出来た。星彩だ。星彩は、かつて、女装すがたの政宗に詰め寄った女だった。
 星彩は、とても女とは思われないような父譲りの馬鹿力で兵士たちを薙ぎ倒すと、一心不乱に政宗を目指した。それまで傍観に徹していた政宗も、まさかここでおめおめと、孫市以外のものに討たれるようなへまはできないので、剣を手に立ち上がった。
 「下がれ!小娘の出る幕ではないわ!」
 「…小僧は黙って。」
 敵総大将の攻撃を真っ向から受け止めた星彩は、ぎろりと政宗を睨みつけ、そのまま、力でもって押し返した。力負けした政宗は、その後の一連の出来事に咄嗟に対処できなかった。星彩はそのまま、よろめいた政宗に当身を食らわせると、地面へ転がった先へ馬乗りになった。そして、政宗の泣き所とも言える兜を剥いだのだった。
 いっとき、政宗も星彩も話そうとしないので、伊達軍本陣周辺には異様な沈黙が満ちた。今回、先の戦での負傷が原因で参加できなかったものの、陣まで様子を見にやってきていた成実は、大きく溜め息をこぼした。とうとう、遠呂智軍でも知るものの少ない政宗の秘密が、反乱軍にばれたのだ。成実は溜め息を吐いてみせる半面、これからどうなるのか、楽しみでしょうがなかった。元々、成実は口にこそ出さないものの、政宗が遠呂智軍に協力的であることに反対だった。
 成実の眼差しを一身に浴びる星彩は、何かに納得した風な様子で小さく頷くと、政宗の上から退いてみせた。そうして、青い顔をしている政宗に、「それをばらされたくなかったら…わかるわよね。」と、脅しをかけたのである。星彩の冷たい瞳から、それが、何から何までを指すのか容易く読み取った政宗は、青い顔をよりいっそう青くして、何度も首肯するしかなかった。
 どうせ負ければ首級を挙げられる身である。政宗は、兜だけならば剥がれようと問題なかった。問題は、星彩という女が、政宗の女装も知っていたことだった。政宗は、幸村とはあくまでも好敵手という立場でいたかったのだ。一方の星彩も、同性に惚れた同僚があまりに哀れであったので、本心では、幸村にばらすつもりなど毛頭ないのであった。










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初掲載 2009年6月19日