第五話 司馬イ、脅される (※色モノです)


 星彩が幸村や孫市から追求を受けている頃。政宗、大喬、そして金鬼の三人は、現在遠呂智軍が拠点としている城への帰路に着いていた。
 慌てて街から逃げ出したので、着替える余裕などなかった政宗の服装は、いまだ苗人の女物である。これで知り合いの大勢いる場所への帰還を果たすなど、「自分には女装癖があるのだ。」と喧伝する以外の何ものでもない。だが、政宗の連れには、まやかしを得意とする金鬼がいるのだ。現に今も、政宗は金鬼の術で、隻眼や猫耳といった特徴を誤魔化しているのである。何も不安がることはあるまい、と、政宗は努めて明るい未来を思い描こうとした。
 途中、その巨体ゆえ滝のような汗をかきつつ、金鬼がへばった様子で休憩を求めたが、二刻の馬で駆けるくらい、戦での行進に比べれば何でもない。それより、金鬼に跨られている馬の方がよっぽど疲労しているはずだ。政宗はそう言って、金鬼の要望を切り捨てた。そのときの政宗は、幸村や星彩のせいで気が立っていたし、疲れきっていた。何より、自分が四面楚歌の状況にあったとき、呑気に、屋台を囃して楽しんでいた大喬たちに勝手な苛立ちを覚えていた。
 半妖と化したころから降り気味であった政宗の運気に、本格的にけちがつき始めたのは、金鬼の頼みを蹴ったときだろう。
 金鬼の術で侍女の姿をとった政宗は、大喬のお付として城門を通り抜けた後、いささか急ぎ足で、根城である大喬の部屋へと向かった。政宗が侍女の姿であったのは、人目も気にならないほど政宗が急いていたので、平素の姿でそのまま人妻の部屋に入ろうものなら何という噂が流れるかわからない、という大喬の非難からであった。
 一見、上手くいくと思われたこの作戦が失敗したのは、大喬の人質という身分ゆえだった。金鬼が人間姿のままでいたのも悪かった。常識的に考えても、人質が、侍女と、護衛らしき大男だけを共に外出をするのはおかしいのだ。あまりにも当然のことを失念していたのは、みながみな、気が急いていたためだった。もしかすると、金鬼は元からそのような考えなどなかったのかもしれない。
 ともあれ、政宗たち一行は、「もしや、大喬は外から反乱軍の密偵なりを連れ込んだのではないか?」と疑った司馬イによって、引き止められてしまった。大喬の部屋まで残すところ数尺という場所での詰問だったので、本当に、運が悪いとしか言いようがない。政宗は動揺の走る頭を必死に宥めて、どうにか、解決策を捻り出そうとした。大喬も同じ思いであったのだろう。妻がいるにもかかわらず、他の女の部屋の前までやって来た司馬イの軽挙をたしなめ、話を逸らそうと試みていた。
 「それに、あなたの後ろに立っていらっしゃる方はどなたなのです?ここがどこか、わかっていらっしゃるのですか?忍んで来たと誤解されても、知りませんよ。」
 そう言って、大喬は、司馬イの背後にいるものを一瞥した。大喬の言うとおり、ここは捕らえられた女性ばかりで成り立つ棟である。いくら捕虜の囚われた棟であるからといっても、男の司馬イが存在して良い場所ではない。大喬はそれを知らしめた上で、暗に、後ろに立っている愛人を訪ねてきたのではないか、奥方に黙っていて欲しければ、そちらもそれ相応に目こぼししてくれなくては、と脅迫しているのである。惨い最後通牒の突きつけ方だった。そのやり口には、思わず、政宗も同じ男として司馬イに同情した。
 司馬イという男は、居丈高な態度ばかり目に付くが、これでいて、張コウなどに慕われていることからもわかるように、基本的には良い奴で、妻も大事にしている。子煩悩でもあるようだ。ただ、理想像を変なところに置いていること、また、中間管理職という身分や好敵手に負け続けているために生じた精神的疲労が原因で、どこか吹っ切れてしまった変人軍師という印象が強い。そのため、時代を考慮すればそれが普通にもかかわらず、人前に妻を出そうとしないので、夫婦仲に関しては、面に似合わない愛妻家なのだという冗談から、恐妻で尻に敷かれておるのだという悪口、果ては、妻のいる諸葛亮に対抗した司馬イの虚栄に違いない、という妻不在説まで諸説噂が飛び交っていた。
 「私は侍女と護衛と、気晴らしに、少し出かけてきただけなのです。納得したならば、そこを退いてください。」
 引く気がないので、俄然、大喬の言葉も強くなる。だが、本当に後ろのものは忍んで会いに来た愛人なのか、司馬イはやり返そうともせず、小娘にしてやられた怒りに身を震わせていた。しばしの間、睨み合いが続いた。十数秒にも満たない対決を前に、政宗は、数刻の時間そうしていたような錯覚を覚えた。
 この出来事が、止めを刺した。
 根負けしたのか、司馬イが捨て台詞を吐こうとしたのと、ばたんと大きな音がしたのとは、ほぼ同時のことだった。みなが驚いてそちらに目をやると、床の上で、妖魔特有の青い肌をした金鬼が伸びている。金鬼は、これまで何度も政宗に休憩を促していたとおり、本当にぎりぎりまで疲労困憊の身であったので、大喬と司馬イの対決に精神がもたなかったのだ。
 政宗が己の置かれた状況を理解するまでに要した時間は、一瞬だった。だが、司馬イも、その背後の人物も、政宗や大喬の後ろに倒れている金鬼を見ているのだ。当然、侍女がもはや侍女ではないことにも、耳が猫のそれと同形であることにも気づいている。
 司馬イはとっさに判断がつかなかったのであろう。猫耳を生やした同僚が、女装すがたで、現在捕虜の身である人妻の部屋に立ち入ろうとしているのだ。政宗が同じ立場でも、理解に苦しんで、頭が真っ白になってしまうに違いない。呆気に取られた様子で、政宗と大喬と金鬼を順繰りに見やった。
 どわっはっはっと笑い声が響いたのは、そのときだった。政宗はびくりと肩を揺らして、司馬イの後ろに立っている人物を警戒心も露に睨んだ。聞き覚えのない声である。もしや、反乱軍の間諜を内部に入れようとしていたのは、司馬イの方ではないのか。どうにかして晒した醜態を有耶無耶にしなければ、と焦る政宗を前に、その人物はひとしきり笑い声をあげてから、司馬イの制止も振り切り、布で覆い隠されていた姿を曝け出した。政宗も大喬も、驚きに目を見張った。その怪人物は、蜀で絶大なる人気を誇る国主、劉備だったのだ。
 諸葛亮や関羽といった仁徳を第一に考える蜀の面子が、慙愧の思いで遠呂智軍に味方しているのは、劉備が人質として捕らえられているためである。他勢力を取り込んだ遠呂智軍が、今まで瓦解せず、辛うじて一つの形であることができたのは、大事な質草がいたからだ。それゆえ、大喬も本心では夫の後を追いたいだろうに、この場所へ留まっているのである。
 その、何にもまして大事な捕虜が何故、このような場所にいるのか。もしや、司馬イは逃がす腹積もりなのか。政宗は今の自分の格好もそれまでの状況も一切忘れて、真剣な面持ちで、司馬イを詰問した。司馬イは、まさか、ふざけた姿をしているものに説教されるとは思ってもみなかったのだろう。
 「貴様、劉備を逃がそうとするなど、ふざけておるのか!」
 「ふざけているのは貴様の格好だ、馬鹿め。」
 面食らっているらしく、政宗の激怒に返す言葉も、いまいち覇気がない。しばらくすると、こうなってしまっては仕方ないと諦めたのか、何故、劉備と己が女子棟にいるのか、司馬イはわけを語って聞かせた。
 農民から国主にまで上り詰めたほどの強い運気を持つ劉備は、遠呂智軍にとって、計り知れない脅威である。その配下には、民思いの劉備に惹かれただけあって、関羽や趙雲という仁に篤いものばかりおり、これが無能ならまだしも有能ぞろいなので、下手に敵に回すわけにもいかない。そういう理由から、遠呂智軍は、劉備を生かさず殺さずという状況にいさせなければならないのだが、敵軍に寝返ったように見せて、あの諸葛亮までもが虎視眈々と劉備の身柄を狙っている。司馬イも、決して、諸葛亮に引けを取るわけではないと自負はしているのだ。しかし、そう言ってみたところで誰も信じようとせず、仕方がないので、司馬イは妲妃の指示で、劉備の居場所を特定されないようあちこちに移しているのだという。
 説明の終わりに、妲妃に指図されることが本当に我慢ならない様子で、司馬イは顔をしかめた。
 「だから、私はこんな場所に来るのは嫌だったのだ。あの女狐、曲がりなりにも女なのだから、自分で来れば良いものを、「怪我しちゃってていけないのよ。」などと…。」
 どうも、妲妃は成都での敗戦をいまだに引き摺っているらしい。この様子では、かえって、自らが敗走したことを利用しているのかもしれない。政宗も双方とそれなりに付き合いがあるので、妲妃におちょくられる司馬イの姿を、まるで見たかのように、鮮明に思い描くことができた。
 司馬イはしばらく愚痴をこぼした後、何か裏のある様子で政宗へ一瞥投げかけた。政宗ははっとした。失念していたが、今の政宗は女装すがたである。大喬が司馬イに最後通牒を突きつけた仕返しで「ばらしてやる。」と脅されるものと思って、政宗が身を竦ませると、司馬イは、何かに満足した様子で劉備の腕を取った。おそらく、劉備を女子棟から移動させるのだろう。劉備の居場所が大喬にばれてしまったし、いつ、大喬が諸葛亮に漏らすともわからない。諸葛亮も大喬も、遠呂智軍に属しているのは本意からではない。遠呂智をいつ裏切るとも知れない身である。
 政宗の一見した限り、劉備は、万全とは言いかねるものの、十分健康そうな様子だった。それは、大喬も同感だったのだろう。僅かに潤んだ瞳で、連れ去られようとする劉備を見ている。その目が、他の人物の影を投影していることに気づいたのか、呉に属する大喬に義理などないであろうに、劉備は安堵させるように頷いてみせた。
 その背中が視界から消えるまで、大喬は劉備の姿を目で追っていた。政宗もただ黙って、大喬の隣に立っていた。政宗は、大喬などとは比較にならないほど厳重に囚われている身である劉備が見せた思いやりに、いたく感心していた。劉備という男の器に接したことで、劉備を国主にいただく蜀のものたちを見てみたくなった。その想いはまだ漠然としたものであったが、これから、こらえようもなく大きくなるであろうことは、政宗自身にも何となく察せられた。しかし、政宗は、遠呂智に対する盲目的な敬愛でもって、その関心を握り潰した。人間の器など、神の器に及ぶはずもないという思い込みがあった。
 希望と不安に翳る隻眼を、大喬が見透かすように見上げたまま、沈黙が流れた。何となく、気まずい雰囲気になった。まるでその空気から逃れるように二人が競って、いまだ倒れている金鬼にいたわりを見せたのは、その後のことだ。
 結局、この束の間の対面で自分がどんな後押しをしてみせたのか、劉備自身が知ることはなかった。










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初掲載 2009年6月16日