第三話 小太郎、混沌を呼ぶ (※色モノです)


 あくる日、政宗が執務室で日常と化した昼寝を貪っていると、妲妃に貸してやった成実が負傷して帰って来るという事態に相成った。妲妃が、成都で高みの見物でも決め込んでくるというので、政宗は詳細を訊こうともせずに要請されるがまま、何の気なしに成実を貸してやったのだった。政宗は伊達軍でも一等血気盛んな従兄弟の実力を、心から信頼していたのだ。
 幸い、成実は腕の骨を折っただけで、大事には至らなかったが、このようなことが度々あっては困る。政宗は文句の一つでも言ってやろうと、成都で指揮に当たっていた妲妃の部屋へ向かった。
 「だって、しょうがないじゃない。何よ、文句でもあんの?」
 妲妃はよほど作戦が上手くいかなかったことが不満であったらしく、ぎろりと政宗のことを睨み付けた。そのお門違いの怒りに、政宗は思わずかちんと来たが、どうも、妲妃が本気で落ち込んでいるようだったのでそれ以上追求することも躊躇われて、一旦はその場を後にしたのだった。
 しかし、執務室に戻った政宗を、それでは生温いと嗜めたものがいる。大喬だ。妲妃に当たれなかったこともあって、書類を持って来た大喬を相手に愚痴をこぼすと、相槌を打ちつつ静聴していた大喬は「甘やかすとつけあがりますよ。」と、顔に似合わない辛辣な言葉を吐いた。どうも、またぞろ、精神的疲労が溜まっているらしい。心に色々溜まった状態の大喬は、これでもかというくらい辛辣な台詞をさらっと吐いたり、反乱軍相手に容赦なく攻撃を仕掛けたりと、好き勝手なことを仕出かすのだった。そして、挙句は、些細なことでぷつんと精神の緒が切れて、政宗に女装を強いるのである。その時点で巻き込まれて被害者確定となるため、政宗にとっても大喬の暴走は他人事ではない。それゆえ、政宗はどうにかして、孫策を遠呂智軍に連れ戻すなり、大喬を孫策の元へ送り出すなりしなければなるまい、と頭を悩ませる日々を送っていた。
 そんな大喬の言葉に、政宗は内心戦々恐々しながら、好奇心もないではなかったので、「では、お主ならばどうする?」と問いかけた。大喬はにっこり花のような笑みをこぼした。
 「政宗様も、部下をお借りになれば良いのです。金鬼を借りてきてください。」
 確かに、妲妃の手下には、金鬼という妖魔がいる。この妖魔、何かと手品のような術が使えて便利なので、重宝がられているのだ。つい先日、成都と時同じくして大阪城でも戦闘があったのだが、この戦闘に参加していた金鬼は、捕らえられていた孫堅を逃がした咎で、妲妃に傾国でさんざん殴られていた。妲妃も、司馬イや諸葛亮といった軍師たち相手に大見得切った手前、部下ごときの失態で失脚するわけにはいかないのである。その上、呉の国主である人質など逃がそうものなら、呉軍は足並み揃えて、遠呂智軍から離反してしまうだろう。金鬼はあちこちに痣を作るやら、妲妃の金切り声が城内に響き渡るやらで、他人事の政宗にとっては面白い見世物だった。
 現在、金鬼は謹慎中の身――というより、妲妃の攻撃が祟って静養中の身であるので、借りたところで支障はないだろうが。
 「大喬。」
 「何ですか、政宗様。」
 どうもこのとき、政宗は嫌な予感がしたのである。率直に言えば、ぞっとした。一つには、大喬の台詞はすでに提案ではなく、口調こそ柔らかであったものの命令であったし、もう一つには、大喬の眼がさも楽しいことを見つけたと輝く一方で、据わっていたからである。そういうわけで、政宗は本心では全力で拒んでいたものの、妲妃から金鬼を借りざるをえなかったのだ。勿論、妲妃はそんなことでこの借りをなしにできるのならば、と、喜び勇んで金鬼を貸してくれた。
 それから四半刻後、政宗が半ば押し付けられた金鬼を連れて執務室へ戻ると、大喬はあの柔らかな笑みを浮かべて、二人の帰還を待っていた。てっきり政宗は、また女装でもさせられるものと思っていたのだが、大喬はどこかに出かける心積もりらしい。手には、外泊できそうなほど大きな鞄を三つ持っていた。その鞄を金鬼に持たせると、大喬はいかにも楽しそうに恋歌など口ずさみながら歩き出した。政宗は、自分同様ことの次第が読めないでいる金鬼と顔を見合わせた後、のろのろと大喬を追いかけるしかなかった。
 その途中、政宗は小十郎とすれ違った。政宗は執務を放り出して、外出――下手をすれば外泊しようとしている身である。てっきり何か小言でも言われるものと思ったが、小十郎はにこにこ笑ったまま、「大喬様がいるので大丈夫とは思いますが、軽率な行動は避けて、くれぐれも気をつけて、行ってきてください。」などと言う。そのまま何事もなく送り出されてしまったことから察するに、政宗が妲妃の元へ金鬼を借りに行っていた間に、大喬が話をつけておいたのだろう。用意周到なことである。そうなれば、もはや腹をくくるしかない。政宗はどうとでもなれ、と半ば捨て鉢な思いで、この小旅行を迎えることとなった。


 それから馬に乗り、二刻ほどかけて政宗たちが辿り着いた場所は、成都と南中の境にある街だった。そこは、反乱軍勢力と遠呂智軍勢力が混成していているので、些か危険な場所でもある。
 真っ先に政宗が思ったのは、もし大喬が姿をくらませたらどうする、という懸念ではなく、もし大喬が怪我でもしたら面目が立たない、という不安だった。今は敵対しているが、政宗は大喬の夫である孫策と仲が良いのである。思わず顔をしかめる政宗の隣で、金鬼はどこか項垂れた様子で、南中の方を眺めている。今度、司馬イの指揮の下、戦があるらしいから、そのことを思って憂鬱になっているのだろう。下っ端というものは例に漏れず、扱き使われる運命だ。もっと上司に恵まれれば生きるのも楽であろうに、と、お人よしな政宗は我知らず金鬼に同情を寄せて、せめてこの旅行の間だけでも楽をさせてやろうと心に決めるのだった。
 そんな政宗の胸のうちも知らず、大喬はさっさと宿を取ると、金鬼に命じて鞄を下ろさせた。深窓の姫君にしてはどうも手馴れた様子なので、政宗が訝って尋ねると、曹操に追われた際身に着けたのだという。あの、二喬を並べたいというやつである。その顛末に関しては、孫策からも大喬からも散々惚気られて知っていたので、政宗は、それ以上は墓穴だと口を閉ざした。しかし、大喬はいっこう気にした様子もない。それもそのはず、今日は金鬼という聞き手がいるのだから、当然だ。大喬は金鬼相手に、孫策と出会ったときのことを、恋するもの特有のうっとりとどこか間抜けな声調で語り出した。その間にも、寝台の上に衣装を並べている。政宗は頭を抱えた。やはり、この旅先でも女装させられるものらしい。
 政宗が大喬に女装させられるようになってから、四ヶ月が経っている。決して好き好んでしているわけでもないその女装は、大喬が、他人に服を着せて化粧を施す、という侍女のような真似に慣れるにしたがって、どんどん向上していった。最初は飯事のような出来だったことを思えば、どれほど大喬の精神的疲労を発散するのに政宗が付き合わされているのか、知れるというものだ。
 今日、大喬が選んだのは、いつも大喬の部屋でまとわされる衣装に比べれば、ずいぶん質素で落ち着いた代物だった。とはいえ、このような不安定な街で、いかにもお姫様でございという格好をするわけにもいかないから、当然なのかもしれない。その衣装を前にぼんやりしていた政宗は、大喬の言葉に驚いた。帽子を取れと言うのだ。
 この外出にあたって、まさか鎧姿で出かけるわけにもいかないので、政宗は商人のような格好をして、耳は帽子で隠していた。化粧を施すにも、この衣装を着せるにも邪魔なので、大喬は帽子を取れと言う。だが、金鬼に知られたいものでもない。政宗はふるふると頭を振った。
 「政宗様、大丈夫です。」
 何が大丈夫なのか。決して政宗には理解できない理屈でもって、大喬は力強く頷いた。
 「今回、金鬼さんには手伝ってもらう目的で来ていただいたのです。だから、帽子を取りましょう?ね、金鬼さん。ここで見たことは口外しないって、約束できますよね?」
 突然話を降られた金鬼は、悲しい下っ端の性か、わからないながらも大きく頷いた。もしかしたら、大喬の眼が据わっていることに気づいたのかもしれない。これ以上ごねていて、大喬の機嫌が悪化しても困る。仕方なしに、政宗もしぶしぶ帽子を外した。
 そうして、女装をし終えた政宗の肩を掴んで金鬼に向き合わせると、大喬はここからが本番と口元を引き締めた。
 「さあ、金鬼さん。出番です。その幻術で、政宗様の耳を隠してください。」
 この時点で、何となく大喬の考えがわかった政宗は、それならいっそ何もかも幻術で覆い隠してもらいたいものだと思った。しかし、そんなことをしようものなら、大喬の機嫌が下降することはまず間違いない。政宗は一言だけ、付け足した。
 「隻眼なぞ、いつばれるともわからぬ。どうせなら、右目も付け足せ。」
 捨て鉢な口調の政宗の提案を、素直に大喬が誉めてくる。政宗はいよいよ、大喬と孫策を引き合わせる策を真剣に練るのだった。
 こうして出来上がった「女の子」は、大喬が巧くできたので見せて回りたいと思うのも当然のような美少女だった。鏡に映る成果を前に、大喬は目を輝かせているが、女装させられている政宗はたまったものではない。美少女だろうが、醜女だろうが、女装は女装。そんなことより、足元がすうすうして落ち着かない。そわそわする政宗を気に留めず、大喬はにっこり宣言した。
 「それでは、猫さん。外に行きましょう。」
 猫の半妖だから、猫という名前なのか。呼びかけられた政宗は、一瞬、言葉を失った。もうちょっと捻りは効かせられないものだろうか。しかし、命名者は大喬なので、逆らうことも出来ない。政宗は吐いて出そうになる溜め息を飲み込んだ。せめて、中国読みで「マオ」だったのが幸いだろうか。金鬼はそんなこと思いもしないのだろう。能天気そうな顔で、とても良い名だと誉めている。「本当にそうか?」と、政宗は思わず金鬼に疑いの眼差しを向けるのだった。


 そういう経緯で、その姿を披露する目的で街を練り歩くことになった「猫さん」こと政宗は、危機的状況に陥っていた。こういうときに限って、大喬も金鬼もいない。いたところで、これまた七面倒な事態になることは重々わかっていても、助けを求めたい気持ちに変わりはない。
 政宗の前には、風魔小太郎がいた。北条の忍びである。どれほど巧く化けようと、まやかしを得意とする忍びには無駄ということか、不機嫌も露に中通りを歩いていた政宗は、偶然行き交った小太郎にあっさりと正体を見破られてしまった。政宗はどうすれば大喬に孫策の後を追わせることができるのかあまりにも真剣に思い詰めていたので、その手を掴まれるまで、小太郎とすれ違いかけたことにすら気づかない有様だった。そういうわけで、政宗には、どうして小太郎がこのような場所にいるのかもわからないし、どうしたらこの事態から逃れられるのかもわからない。混沌を好む小太郎のこと、面白そうであれば、躊躇いなく政宗の正体をばらすであろうし、つまらなさそうならば、そのまま捨て置くだろう。今回は後者であってくれ、と、政宗は切に願った。ただでさえ、政宗の人生は、妖魔になることに失敗したせいでややこしいことになっているのだ。これ以上、無茶苦茶にされても困る。
 血の気を失った顔で、それでも政宗が気丈に小太郎と睨みあっていると、流石に異様な光景であったのだろう。誰かが、役人でも呼んだらしい。どやどや近づいてくる音がする。役人に詰問されようものなら、騒動必至である。女装である点一つとってみても恥ずかしいが、政宗は遠呂智軍の高官である。もし、捕らえられでもしたら、とんでもないことになる。政宗はどうにか小太郎の手を振り払おうとしたが、元々の力が違う上に、半妖と化した政宗は筋力より俊敏さに特化してしまっている。思うように振りほどけない。そうこうするうちに、駆けつけた役人たちの中に面白い顔でも見つけたのか、小太郎は口端を歪めた。慌てて、政宗もそちらを見る。
 その瞬間、ぱっと小太郎に手を離されて、政宗は多々良を踏んだ。飛び込んだ先は、役人の胸だ。慌てて抱きとめられた政宗は、その人物の顔を見て大きく目を見開いた。
 「クク…うぬもこの混沌を愉しめ…。」
 このときになってようやく、政宗は小太郎の意図を悟って絶句した。楽しそうに、小太郎が風を呼んで消え去る。
 政宗が飛び込んだ先は、真田幸村の胸だった。
 政宗は、大坂での幸村の奮起に触発されて、徳川相手に軍を起こした過去がある。そういうわけで、今も敵対しているとはいえ、幸村とは決して知らぬ仲でもないのだ。
 その幸村に久しぶりに対面したと思えば、女装すがたである。己の人生を変えた男と対峙するには、あまりにも、愚かしい格好だ。他に逃げようもないので、政宗は死に物狂いで、大喬が作り上げた「猫さん」とやらを演じた。それが功を帰したのか、今、浮かべる愛らしい笑みに反してこの上なく緊張している政宗の前では、幸村が人好きする笑みを浮かべて相対している。旅先で何もかもが目新しく、注意力が散漫になっていたところ、ぶつかってしまったあの人に絡まれて困っていた、という政宗の説明に幸村が本当に納得したのか定かではない。だが、この様子から察するに、どうも煙に撒けたらしい。そうなれば、もう無理に会話を続ける必要性はない。政宗は礼を告げると、逃げるようにその場を後にしようとした。
 それを引き止めたのは、幸村だ。幸村は、とっさに掴んで引き止めてしまった政宗の手首を離すと、焦ったようにあちこちに視線を移した。
 「あの、この街にはいつまでご滞在の予定なのですか?」
 思わず、政宗も怪訝な面持ちになる。もしや、今までの納得した風な幸村の態度は全て演技で、遠呂智軍の高官である政宗を宿で捕縛しようとする腹積もりなのだろうか。しかし、愚鈍と自称する幸村にそんな腹芸ができるとも思えない。が、油断は禁物だ。この街を出るに越したことはない。
 「さあ、明日までかもしれませんし、明後日までかもしれません。連れて来られた身なので、日程なぞわからないのです。ではこれで。助けてくださって、ありがとう!」
 政宗は適当な答えを返すと、そそくさとその場を立ち去った。その小さな後姿を、視界から完全に消え去るまで、幸村が熱っぽく見送っていたことを、幸か不幸か、政宗は知らなかった。


 大慌てで政宗が宿屋に戻ると、寝台の上で大喬が座っていた。流石に文句の一つでも言ってやろうと思って帰って来た政宗は、大喬の様子に小さく嘆息した。どうやら泣いていたらしい。目元が腫れている。思えば、家族想いの娘である。政宗が騒動に巻き込まれていた間、金鬼から、夫や義父の様子を聞いていたのだろう。その心痛は察するにあまりあるので、政宗も今回ばかりはとやかく言うことを止めて、ただ、黙ってその頭を撫でてやった。
 それに対して、普段撫でる側である大喬は、小さな声で政宗に礼を述べたのだった。










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初掲載 2009年6月14日