第一話 政宗、猫になる (※色モノです)


 政宗が、初めて清盛と対面したのは、船上から仙人共を追い払ったときのことだった。政宗はそれまで清盛については噂を聞くくらいで、いっぺんたりとも見たことがなかった。それもそのはず、陰で暗躍する仙人共の相手をさせられていたので、表立って活躍する機会が皆無だったらしい。清盛は、遠呂智の脇に立っている政宗を見て、嘲るように、ふんと鼻を鳴らした。それだけで、政宗には十分だった。こいつは敵だ、と判断したのである。しかし、遠呂智軍はいまだ取り込んだ軍勢を吸収しきれず、揺れ動いている。そして、どれだけ気に喰わなくとも、政宗もこの眼前の男も、そして妲妃も、心は一つだ。すなわち、遠呂智に心酔しているのである。ここで喧嘩を吹っ掛けるのは得策ではない、と、こみあげる反感は飲み込んで、政宗はどうにかぎこちなくも笑みを浮かべた。政宗も馬鹿ではないので、平氏の全盛を築いた清盛の逸話くらい知っていたのである。敵に回すには、惜しい。
 清盛という男はまったく珍妙な姿かたちをしていた。老人であるのに筋肉隆々で、元々筋肉がつきにくい体質なのか、どれだけ鍛えても貧相な体つきの政宗からしてみれば羨ましいことこの上ない体型をしており、明らかに肉弾戦主流だろうに、僧侶を騙っている不届きな変人である。脇に猿を従えている点一つとってみても、尋常ではない。だが、政宗のいる時代も、そして、三国志の英雄たちの時代も、引けを取らない珍奇なものたちが揃っている。なので、額に角が生えていようが、肌の色が土気色だろうが、胸元に変なものが埋まっていようが、政宗はまったく意に介さなかった。瞳の色が遠呂智とお揃いで良いな、と、妬ましく思ったくらいだ。
 そんなわけで、その夜行われた祝勝会で、政宗は清盛と一緒に呑まねばならなくなったとき、己同様、平安時代から呼び出されでもしたのかと勝手に想像をつけていた。だが、話してみるとどうも違うらしい。一度は死した身、とのことだ。死人が甦るなど、冗談でもない。怪談の類に弱い政宗は頭ごなしに否定したが、そう言われてみれば、額に角が生えているのも、肌の色が土気色をしているのも、胸元に変なものが埋まっているのも、どう鑑みてもおかしい。こうしてまじまじ見てみれば、背中の平家蟹のような代物も、鎧ではなく甲羅らしい。正直、気持ち悪い。
 政宗の顔色から、それを読み取ったのだろう。清盛は、また、あの嘲るような態度で酒を呷った。
 「我輩は、遠呂智様の魔を吹き込まれ半妖と化したのよ。一度は冥府へ堕ちた身。今一度、遠呂智様のために咲かせんと老体に鞭打ったところで、無駄ではあるまい。卿のような若輩にはわかるまいが。」
 清盛の言いようにかちんと来たが、それ以上に、気になる事柄がある。政宗は清盛の空になった杯に酒を注いでやり、機嫌を取ってやった。
 政宗は遠呂智に心酔していた。人では登ることの出来ない高みにいる存在、それが遠呂智だ。そして、政宗は複雑な半面、妲妃が評したとおり年相応に真っ直ぐな人間でもあったので、遠呂智のようになりたかった。遠呂智のことを深く敬愛していたので、遠呂智と同じ視線に立って、遠呂智の見る世界を窺い知りたかった。
 不幸にも、政宗は、今宵の祝勝会の序幕で、遠呂智の本当に欲しているものが天下ではないと知ってしまった。もっとも、敏い政宗のことである。薄々察しつつも、目を逸らしていた事実でもあった。遠呂智は、滅びを欲している。そのことを、妲妃も清盛も、慶次も、知っているのだ。政宗には、遠呂智が滅びを欲していることはわかっても、何故欲するのかが理解できない。だから、理解するためにも、遠呂智と同じものに――妖魔になりたかった。
 半妖となっても、やはり老人でしかないのか、清盛は昨今の若者はと長々愚痴りつつも、政宗が固唾を呑んで求める本題に入った。
 「血を受けたのよ。」
 「血?」
 「そうよ、遠呂智様の血をこの身に受け、我輩は冥府より舞い戻ったのだ。かつて一度、我輩は遠呂智様に挑んだことがあってな、それを遠呂智様は覚えておいてくださったらしい。」
 そう言って、茶でも飲むようにしみじみと清盛は酒を口にした。
 流石に清盛も甦った当初は、角は生えているし、肌の色は土気色をしているし、胸元に変なものまで埋まっているので、驚いたらしい。
 「極めつけに、背には憤怒の形相の蟹までおる。我輩は、現世を修羅とできる喜びと、我が身に降りかかった変容とに、深く悩んだものよ。」
 それは、政宗も深く共感できたので、心の中で先ほど気持ち悪いと思ったことを謝罪しておいた。だが、これでわかったことがある。遠呂智の血を受ければ、政宗も、半分とはいえ妖魔になれるのだ。政宗は清盛の相手を孫悟空に任せると、心躍らせて、遠呂智の元へ急いだ。
 しかし、途中、話を盗み聞きしていたのか、政宗は妲妃に道を阻まれることとなる。
 「なあに、政宗さん。妖魔になりたいの?私の血をあげようか?」
 とはいえ、今の政宗は遠呂智しか目に入っていない。にっこり笑う妲妃を押しのけて、政宗は、慶次と何か話し込んでいる遠呂智の元へ向かった。背後では、妲妃が「もう、意地悪!そんな意地悪さんは、どんな目にあっても知らないから!」と喚いていたが、聞く耳持たない。政宗は期待に胸を膨らませ、希望に目を輝かせて、遠呂智に歩み寄った。
 「遠呂智、わしに血をくれ!」
 遠呂智は、己の血を欲する政宗に、常の無表情で相対した。突如、血が欲しい、と要求されて微動だにしないとは、流石遠呂智である。政宗は妙な感銘を受けた。慶次は面白い見世物が始まるものと思って、楽しそうにこのやり取りを眺めている。政宗は、遠呂智の袖を引っ張った。
 「わしは、遠呂智に少しでも近づきたい。半分でも良いから、妖魔になりたい。だから、血が欲しいのじゃ。頼む。」
 流石の遠呂智もここまで健気に、そして、真摯に慕われると無碍にはできないらしい。幾度か瞬きをした後、中身のない酒盃を手に取ると、その上でざっくり手首を切った。思い切りの良い行動に、政宗は、流石は遠呂智と再び感銘を受けたが、周囲はここまで盲目ではない。上座で行われている異様なやりとりに気づいた幾人かは、ぎょっと目を剥いていた。
 「そんな急いで人間止めることもないと思うけどねえ。」
 慶次はせっかちに結論を急ぐ政宗に一言ぼやいてから、酒盃に半分ほど注がれた青い血を覗き込んだ。ちらりと目を向ければ、遠呂智の傷はすでに再生している。便利なものだ。慶次は頭を掻いた。
 「それで、どうすりゃ良いんだい?血を受けるって、こりゃ、呑めってことかい。」
 どうでも良さそうに遠呂智が頷く。それを確認してから、政宗は緊張に咽喉を鳴らしてから、酒盃に唇をつけた。まさか、生き血を――それも魔王のものを――啜ることになろうとは。この世に生を受けてからこの方、政宗はそんな可能性を検討したことはなかった。もっとも、普通に生きていれば、そして、普通に生きていけば、検討する羽目に陥ることもなかろう。鼻腔を血の生臭さがくすぐる。政宗はぎゅっと目を固く閉じて、そのまま、酒盃を傾けた。
 そうして、そのまま勢い良く、後方へ倒れた。


 遠呂智は、太古、ヤマタノオロチと呼ばれた蛇の妖魔である。陰のものである妖魔の血は何れも、陽のものである生者にとって毒物であるが、その中でも一等、遠呂智の血の毒性は強い。清盛が遠呂智の血を受けても平気だったのは、陰に属する死人であったからで、生者がひとたびその血を受ければ、大抵はそのまま帰らぬ身となるらしい。それを知らないはずがないのに、遠呂智が引き止めようとしなかったのは、政宗が死んだところで、清盛同様生き返らせて働かせれば良いだけだ、と思ったのか、単に面倒臭かったのか。
 「だから、忠告してあげたでしょ?素直に、私の血を受けておけば良かったのに。」
 布団に横たわる政宗に林檎を剥いてやりながら、妲妃は楽しそうに笑った。祝勝会の後、十日ほど生死の境を彷徨った政宗も、半月も経った今となっては健康体であるはずなのに、布団から出ようとしない。不貞腐れているのだ。
 「まあ、良かったじゃない。一命を取りとめて。遠呂智様の血を受けても死なないなんて、よほど、悪運が強かったんでしょうね。」
 そう言って、兎に剥いた林檎を無理矢理政宗の口に押し込むと、妲妃は政宗の頭部に目をくれた。
 「ねえ、政宗さん。それ。個体差はあるけど、毒蛇を捕食するんですって。耐性があるらしいわ。もしかして、知ってた?」
 勿論、妲妃も、政宗の返事を期待しているわけではない。妲妃は妲妃なりの善意から、剥いてやった林檎を食べることができるように政宗の口元を掌で覆ってやりながら、しみじみと溜め息をこぼした。
 「妖魔って大抵はもう外見が固定していて、よほどの力がなきゃ、私とか遠呂智様…癪だけど清盛さんみたいに特徴的な容姿にならないのよねえ。個体数の少ない妖魔ほど、特性も外見に左右されちゃうから良い点ばかりとも言いがたいし。」
 掌の下で、政宗が何事か言おうとしてもぐもぐやっている。妲妃は微笑ましさに心癒されるのを感じた。心の底から妲妃のことを警戒しているのか、こちらを注視している政宗は愛らしい。もっとも、これで懐かれて瞼を閉じられでもしたら、思わず唇を奪ってしまいそうだ。これで女の子だったら絶対美味しいのに、と、思いながら、妲妃は花のような笑みを浮かべた。
 「蛇、狐、蟹、猿。ちょっと私と被るけど、丁度、こういう系統が仲間に欲しかったのよ。よろしくね、迷子の子猫ちゃん?」
 その言いようが気に触ったのか、灰色の毛で覆われた耳が尖がった。おそらく、布団の中では同色の毛で覆われた短い尻尾が逆立っていることだろう。妲妃はまだ直接政宗に生えた尻尾を見ていないが、日ノ本の猫は尻尾が短いのが通例らしい。
 その一途さから犬辺りにでもなるものと予想していた政宗は、妲妃の想像を裏切り、猫に変化した。当初、まるで狙いすましたかのように耳と尻尾だけ生えた(らしい)政宗を、妲妃は「あざとすぎ。」と、今日まで様子を見に来ようともしなかったのだが、孫悟空に「哀れなくらい落ち込んでたぜ。」と教えられて、その哀れさ見たさに見舞いに来たのである。元々大きな猫眼がますます大きくなった政宗は、ともすれば、少女と見間違える愛らしさだ。ひげが生えなかったのも、幸いだった。
 これで、女の子だったら、と、悔しさを胸いっぱいに募らせつつ、
 「あとで、またたびも試してみましょうね。」
 妲妃は当人にとって迷惑以外の何ものでもない宣言を口にすると、ぎゅっと政宗に抱きついたのだった。










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初掲載 2009年6月14日