街亭で下らせた伊達軍を伴って、孫市は凱旋を果した。完全勝利とは言いがたい満身創痍ではあったが、親友を気に喰わない遠呂智軍から引き離すことが出来たということで、孫市は幸せだった。
それに反して、政宗は浮かない顔をしていた。
星彩に小僧と言われたことがずっと気にかかっているのだろうか。孫市は内心首を捻った。政宗は確かに、己の童顔を気にしている。しかし、政宗は戦時とそれ以外を混同するような真似はあまりしない。あまり、なのは兼続に対しては例外だからだが、少なくとも孫市は兼続相手以外、政宗が常時色々引き摺っている様を見たことがなかった。あの最上に対してさえ、長谷堂では確執を捨てて手助けしたのだ。外で散々言われているが、政宗は実は懐が広い。孫市はそれを知っていた。
それとも、自分に負けたことがそんなに矜持を傷付けたのだろうか。しかし、政宗は孫市の決死の策を清々しいと笑いこそすれ、悔しがったりしなかった。第一、政宗が傷付くようなことであれば、孫市もそんな策を採ったりはしない。
では、一体何が政宗にこんな顔をさせるのだろうか。
まず孫市が思ったのは、政宗が心酔していると言って憚らない遠呂智のことだった。聞いた当初は孫市も、それほど遠呂智のことが、と呆気に取られると同時に嫉妬も催したほどの愛情だ。
そのときの苦い想いを思い出し内心顔をしかめてから、孫市は、しかし、と思った。しかし、政宗は残してきてしまったものではなく、この先に憂いを抱いている気がする。孫市も伊達に政宗の親友であるわけではないのだ。全てを知るには、政宗はあまりに複雑すぎる人間だが、心の機微を多少は察することが出来る。
それは何なのだろう。
首を捻りながら歩いていると、間もなく、蜀の本拠地へ着いた。
「お、幸村。迎えか?ご苦労なことだな。」
いえとか何とか、入り口にいた幸村が口篭もった。政宗のことが気になっていて、思わず出迎えてしまったのだろう。一方的でしかも胸に秘めたものではあったが、幸村が政宗を好いているのを孫市は知っていた。目が違うのだ。違うと言うより、語るとでも言えば良いのだろうか。
幸村は誰に対しても真摯で誠実だ。優しくて恰好良い。その実直さは同性にすら好まれるもので、これでもう少し奥手でなければ女を漁り放題なのだろうなと下世話なことも孫市は内心思ったりする。幸村に思慕の念を抱く娘は数多くいた。だが、生憎、その実直ゆえに幸村は政宗だけを目で追い続け、結局、西軍の将として果てた。その清々しさに政宗は初心を思い出し、その後再び天下を狙うことを決意した。
三方ヶ原で戦う寸前、この世界に来てしまった。しかし政宗を変えたのは、そして同時に、間接的に孫市を変えたのは幸村だ。
そういうわけで、孫市は幸村にいくら感謝しても足りないほど感謝していて、恋の応援くらいしてやろうと決め込んでいる。勿論、孫市にとって幸村以上に大切なのは政宗なので、政宗が嫌がれば孫市も止めるが。
(おぼこなところも可愛いじゃねえか。愚鈍、だっけ?けど、利根っつわれたお前にはこれくらいのやつが似合うって、政宗。)
そう思って横へ目線を向けると、政宗の姿が消えていた。
「…あれ?政宗は?」
「小僧ならどこかへ走り去っていったわ。配下武将がいるから逃げたわけではないだろうけど…道、わかるのかしら。」
遠呂智軍に居場所が知られないようにと、蜀の本拠地は入り組んだ地形を理由に選ばれていた。
戸惑う孫市に、星彩が言った。
「責任持って探してきて。あなたの首でしょ。」
「確かにあのときから、変だなあとは思ってたんだよな。」
納得して大きく頷いた孫市に、幸村が泣きそうな顔つきになった。日の本一の兵と呼ばれた勇ましい男が、まさか、こんなことで泣きかかっているなど。おかしいやら情けないやら、判然としないまま孫市は尋ねた。
「で、結局まだ政宗と話せてねえの?あれから?」
「はい…。」
「一月も経ったのに?」
「…やはり、嫌われているのでしょうか。」
「いや、そりゃねえんじゃねえの。たぶん。」
首を傾げて、孫市は答えた。
政宗が蜀に来てから一月が経った。政宗自身、元々社交的で懐の広い人間だ。その上、蜀にはあまり些細なことに拘るような人間がいないのも幸いした。何より、蜀の仮長である趙雲やあの魏延が、早々に政宗と親しんだことも理由にはあった。今ではすっかり蜀に打ち解けたようで、孫市なしでもやっていけるほどだ。実際、孫市にはつっけんどんな態度を取り続ける星彩でさえ、政宗のことは弟のように可愛がっている。
そんな中、何故か、政宗は幸村にだけは近寄らないのだ。会話をするどころではない。幸村が政宗を視界に捉えた次の瞬間には、政宗は姿を消している。
政宗は前々から幸村のことを気に入っていたこともあるし、現在も幸村に良く似た趙雲を清々しい男だと認めているので、孫市にしてみれば、政宗が幸村を嫌う理由が見当たらない。それは周囲も同じ意見のようで、困惑するばかりだった。もっとも、義弘などは何か勘付いたのか笑うばかりで答えようとせず、ァ千代に非難されている。
(あれは…夏侯惇が政宗にすんのと一緒で、認めてるからこその軽口だよなちくしょう。ァ千代、そんな戦屋じゃなくてもっと良い男がここにいるだろ?)
そんなことばかり口に出して言うから女性陣に軽蔑されてしまうのだが、不幸なことに孫市はそれに気付いていない。これからもおそらく気付かないだろう。
ともかく、政宗が幸村に対してそんな態度を取るので、政宗のことが大好きな幸村は意気消沈しているのだった。
政宗の態度に、幸村が傷付く。幸村の様子に、部下が動揺する。士気が下がれば、軍が瓦解する。
蜀はいまだ国ではないが、これぞまさに傾国ではないか。
「仕方ねえ。俺が一肌脱ぐか。」
これ以上は軍の士気に関わりそうだ。そう判断して、孫市は軽い腰を上げた。
「ってわけで、幸村のやつが傷付いてたぜ?なんでお前、あんな良いやつのことを嫌ってんだよ?」
酒でも呑もうぜと部屋に押しかけ手当たり次第酒を呑ませ、政宗の口が軽くなった頃。酒に飲まれるかと己を叱咤し、孫市はようやく本題に入った。孫市よりも政宗の方が酒に強いので、政宗を酔わせた頃には孫市はいつも泥酔なのだ。
孫市の問いに政宗は大きく目を見開いた。元々政宗は男にしては目が大きい方なので、孫市は目玉がこぼれるのではないかと酒の回った頭で思った。
「な、何ゆえ…。…。幸村はそう思うておるのか…?」
「あのなー政宗。誰だってあからさまに避けられてるとわかりゃ、そりゃ、それなりに傷付くもんだぜ?」
想い人であれば尚更だというのは寸でのところで飲み込んで、孫市は諭すように言い切った。勿論、孫市は政宗が幸村のことを嫌っているとは思っていない。ただ、単純に避けている理由を訊いただけでは政宗も答えないと思っただけだ。
それに対し、政宗は茫然自失の様子で、それから明らかに動揺を見せた後、神妙な態度で居住まいを正した。
「し、しかし仕方ないのじゃ。嫌ってなどおらぬ!」
「つっても、何が仕方ねえってんだよ。ええ?」
面白いくらい視線を泳がせて政宗が押し黙り、長い沈黙が続いた。
「…う。」
理由を聞くことに失敗したのだと思った孫市は、そのとき注意が逸れていた。その上、そうでなくとも聞こえないような極々小さい囁き声だ。巧く聞き取れずもう一度と促すように政宗を見ると、政宗は面を俯かせて震えていた。
何となく、その姿には見覚えがあった。あれはガラシャと旅をしていたときのことだ。ガラシャは正座をしていたわけでもなく、膝の上で拳を握り締めていたわけでもなかったが、大体こんな感じだった。
「お前、まさか泣い」
「どう対峙したら良いのかわからぬのだから仕方なかろう!」
呆気にとられた孫市が確認するため手を伸ばすと同時に、政宗が勢い良く面を上げた。ぽろりと涙が零れ落ちた。
「考えてもみよ!あやつに止めを刺したのはわしじゃぞ!そ、それがかようなとんでも世界でっ、突然再び引き合わされてっ、笑って対峙できると思う、のかっ!」
泣きじゃくりながら叫ぶ政宗に、深夜だからもう少し小声でとたしなめる余裕すらなかった。孫市としても、これほどまでに大泣きの政宗は初めてだったのだ。酒のせいだろうか。それとも、溜まりに溜まっていた想いが一気に堰を切って溢れたのだろうか。年相応、いや、むしろ幼時退行すら起こしているような子供っぽさだ。旅をしていた頃のガラシャもこんな感じだった。
ともかく、対応に困り考えあぐね、幸村はそんなこと気にしてないからと孫市は慰めようとした。一気に酔いは冷めた心地だが、それしか案が思い浮かばなかった。
話は、死んでから気付いたが、という内容になっていた。政宗が一際大声で叫んだ。
「幸村のことが、好きでっ、も、もうっ、どうしたら良いのかわしにも全然わからぬのじゃっ!」
止めとばかりにわっと顔を覆って泣く政宗に、困った末、孫市は入り口へ視線を向けた。
「…だってよ、幸村。良かったな。」
そこには幸村が耳まで赤く染めて絶句していた。隣室の大騒ぎに何があったのか不安になったのだろう。刃傷沙汰なら、それこそ軍の士気に関わる。止めねばならないと幸村が部屋の戸を開けたのは、政宗が告白したときだった。
脱力して孫市は酒瓶とつまみを取った。まだ大広間で張飛辺りが呑んでいるだろう。男と呑むのは華がないが、酔いが冷めてしまったこともあるし、今はそれ以上に呑みたかった。
「俺、退散するから後は頼むわ。…結局、俺だけが一人身かよ。」
あの顔で、張飛も実は妻帯者だ。星彩という可愛い娘からすると、腹が立つくらいの美人な妻だろう。
孫市は大きく溜め息を吐いて、趙雲か魏延辺りに絡むかねとぼやき扉を閉じた。
初掲載 2007年12月10日