第六話 決戦は川中島で


 外に出るには良い天気だ。空は晴れ渡り、陽光はぽかぽかと暖かく、風はどこまでも爽やかだ。敷いた布の上に腰を下ろし酒を呑んでいた政宗は、だが、と頬を引き攣らせた。孫市の誕生日の席だ。無粋なので口に出しはしないが、何故、三成たちも居るのだろう。いや、孫市のことだから、皆で祝った方が楽しいだろうとかそんな理由なのだろう。分かっている。分かっているが、どうにも感情が納得しない。
 「大体、何故川中島なのじゃ。訳が分からん。」
 小さくぶつくさと呟いて、政宗は酒を呑み干した。じとりと視線を向けた先では、呑気に孫市が政宗と出会った経緯を語っている。
 「あいつ慶次の応援に来たくせに、上杉本陣の傍なもんだからすぐ危機に陥ってなあ。」
 「ああ、懐かしい。そんなこともあったねえ。」
 「懐かしわぁ。あんな豆みたいに小っさいかいらし子がええ男はんになって。」
 「豆みたいとはなんじゃ。」
 意外に小さくなった反論は、政宗が阿国の恐ろしさを知っているためだった。昔、小さいからと手を出されずに済んだだめ傍でずっと見ていたが、この岡惚れしやすい巫女は、これはと思った人物は男女問わず掻っ攫っていくのである。慶次に会ってからは一応慶次一筋なようだが、それでも、夏侯惇、凌統、関平とあちらこちらに目移りしている事実を政宗は知っている。
 腰が引けつつ一応突っ込んだ政宗に、阿国がにっこり花のように笑った。それが尚更恐怖を煽り、政宗は慌てて視線をそらした。
 政宗と阿国の攻防に気付かず、孫市は言葉を続けている。
 「しかも戦が終わったら、空気読まずに一人でさっさと帰ったしな。他の面子で祝宴したけど、やっぱ一人欠けるとなんか物足りないっーか。仕切り直しでやっぱもう一回ここで呑みたいって思ってたんだよ。」
 「それで今日というわけか…それは義だ!山犬など、義元と共に上杉に乗り込んできて本当に傍迷惑だった!あれは不義だ!」
 「煩い!わしとてあんな馬泥棒と居たかったわけではないわ!」
 政宗がばっと立ち上がり、酒盃を兼続に投げつけた。阿国の分までやつ当たりの篭った杯は見事に額に当たり、それにわっと歓声が上がった。酒が入っているせいもあったが、基本、ノリが良い連中なのだ。
 話題についていけず、幸村と左近に挟まれ沈黙を守っていた三成が、じっと見詰めていた酒盃から面を上げた。顔は酒精にほんのり赤い。
 「…そんなことがあったのか。…仲が良かったのだな。」
 初めて知った過去の出来事に、三成が驚きに目を瞬かせ、寂しそうにふっと笑った。
 「俺だけが除け者か、左近…。」
 あまり酒を呑まぬので知られていないが、この男、実は泣き上戸なのだ。
 「ほらほら、殿。もう酒は止めて下さい。」
 周囲に気付かれない内にと三成を宥め、終いには幸村に任せて、左近はちらりと政宗を見やった。ホウ統の予想通り政宗と接触することは出来たものの、このように馬鹿騒ぎの最中、しかも肝心の三成が緊張に耐え切れず酒に手を出し泣き上戸という状況で左近に何が出来るだろう。
 左近はふっと溜め息を吐いた。
 何も出来るわけがない。


 ところで、この宴会を遠くから見ている者達が居た。魏軍だ。曹操に引き連れられるようにして、斜め後ろに曹丕夫妻、反対側には股肱の臣である典韋の姿も見受けられた。これから何事が始められるのか定かでないが、何故か完全武装させられ連れてこられた黄蓋や夏侯惇、夏侯淵、許チョに張コウの姿まである。少し離れた場所で、何か嫌な予感をさせているのは、除晃と張遼の二人だった。
 「子垣よ、最近石田三成と親交を深めているな。恋を応援しているそうではないか。」
 「そうですが…父よ。それが今とどのような関係が?まさか、父自らあいつに恋を指南すると?」
 その問いに双眼鏡を下ろした曹操が、曹丕を振り向き、かっと目を見開いた。
 「それが本物であるというなら、見事、わしの侵攻を防いで見せよ!それでこそ真の友よ!」
 常識人の除晃と張遼が瞑目したが、基本ノリの良い武将たちだ。その上、主馬鹿が勢ぞろいで止める者が居ないときている。いや、除晃や張遼が窘めたところで、止まるような者たちでもない。それまで腕組をして目蓋を閉ざし、沈黙していた夏侯惇が、曹操の発言にふっと笑った。
 「流石、孟徳。息子の友情まで支援してやるとはな。…淵、行くぞ。」
 「で、でもよう。惇兄。」
 「孟徳のためだ。」
 それなりに常識はあるものの夏侯惇の言葉には基本従う夏侯淵が、しばし躊躇ってから、颯爽と歩いていく夏侯惇の後を追いかけた。これを微笑ましい光景と取るかどうかは人それぞれの感性によるが、いつの間にか巻き込まれている三成にしてみればたまったものではないだろう。しかも、ただでさえ三成は曹操派、特に夏侯惇の心象があまり良くない。そもそも夏侯惇に曹丕は嫌われており、そんな曹丕と三成が仲良くしている結果なのだが、それをこんな形で憂さ晴らしされて良い迷惑だ。
 その後をのたのたと許チョが追いかけた。
 「あ、待ってくれだあよお!おらも行くだあ!」
 「…では、私は、曹丕様の味方につきましょう。恋…そして友情。非常に美しいものです!」
 ああ恋!それは美しい!と言いながら鼻歌交じりに遠ざかっていく張コウを見やり、小さく嘆息して、張遼が除晃に尋ねた。
 「…貴公はどうする?」
 「拙者はあまり…、張遼殿こそ如何なされる?」
 「…。私は呂布殿の件で三成殿に借りがある。曹丕殿をお助けしよう。」
 返答に、除晃は顎に手を当て考えた。既に夏侯惇、夏侯淵、許チョが曹操側についている。更に考えるまでもなく、典韋も曹操側につくだろう。
 黄蓋はどちらに付くのだろう。ふと思い黄蓋を見ると、曹操がその襟首を掴み引き摺るように連れ去っていた。どうやら、曹操に味方させられるようである。
 「拙者も曹丕殿の味方をいたそう。」
 曹丕が笑った。
 「一人先走って何処かに消えたが…南中のときといい、張コウも懲りないな。ともかく、私たちも行くぞ――戦の幕開けだ。」
 普通、誕生日に戦は幕開けしないものである。しかし、口にしても無駄なことだろうと、賢明にも張遼と除晃は口をつぐんだ。


 初めに、どおおおおおんと大きな爆発音がした。
 「おい、凌統。花火なんか計画してたか?」
 「してない。独眼大蛇さん、あんたは何かした?」
 「…しとらんわ馬鹿め。」
 では一体誰が、と音の方角に目を向け話す主催者側の不安も知らず、阿国が嬉しそうに歓声を上げた。
 「あぁん、なんやぁ、えらい粋やんなぁ!慶次様のお計らいどすかぁ?」
 「いや、俺じゃあないよ。政宗じゃあないのかい?」
 「違う。だからわしではない。」
 再び、爆発音がした。今度は先ほどよりも近くだ。不安にばっとそちらを見やると、何故か曹操らしきが爆発を背に仁王立ちしていた。その脇に従うように、典韋、夏侯淵、夏侯惇、許チョの姿がある。孫市は派手好きって秀吉だけじゃねえんだなと良く分からない感想を抱いた。
 「ふはははははは!石田三成よ!子垣の友情が本物か否か、見極めさせてもらうぞ!……黄蓋、火炎の量が足りぬぞっ!」
 「何故わしがこのような…。」
 涙混じりに、一人離れた場所で効果係をさせられている黄蓋の姿が憐みを誘う。
 かと思うと、反対側から笛の調べが聞こえてきた。阿国と慶次が華やかだと手を打ち笑っている。そういう問題ではないのではと思う左近の視線の先で、曹丕たちがしずしずともったいぶって登場した。
 「父よ、私は貴方を超えてまた一つ強くなる。」
 背後に咲き乱れる薔薇が見えるのは、こちらの目の錯覚だろうか。ふっと笑う曹丕の後方で、張遼と除晃が居たたまれなさそうに立っている。常識のある二人のことだ。自分たちの存在が場違いであることを痛感しているのだろう。
 いや、それでも場違いとも言えないのかもしれない、と思って左近は隣を見やった。
 「良いねえ!友情のためだなんて、本当に川中島を思い出すじゃあないか!俺も参加しようかね!」
 「あぁん、慶次様が行きはるんやったら、うちも行くわぁ。それに…惇様にも久しぶりにお会いしたいわぁ。いけずなお人。」
 「阿国さんが行くなら、あ、俺だって!」
 珍奇な三人組がそれぞれの目的で戦場へ去っていく。思わず、くのいちと稲姫も顔を見合わせた。
 「…稲ちん、面白そうだし一本行っとく〜?」
 「え、でも…一応孫市殿の誕生日会という名目だし、控えた方が。」
 「またまた〜☆戦馬鹿の稲ちんがこんな面白そうな戦、我慢できるわけないじゃない。」
 「それは…そうだけど。」
 「なら我慢することないじゃん。ね?ほら、今だったらあの弓のおじさんと戦えちゃうよ〜?こんな機会、遠呂智もいないし、もう滅多にないよ〜??」
 稲姫が目を泳がせ始めた。参加したいが、それを常識が辛うじて押し留めるのだろう。
 それにしても稲姫。今回の誕生日会の参加、くのいちが誘ったせいもあるのだろうが、一応で名目呼ばわりだ。可愛い顔して案外酷いことを言うじゃないですか、と左近は思った。しかし女性からの冷たい扱いに慣れている孫市は苦笑して全てさらっと流した。
 「良いから良いから。行ってきなって。戦いたいんだろ?俺の女神さんたち。」
 女神云々は余計だが、大人の対応である。じゃあとくのいちに手を引かれ稲姫が戦場へ去ってしまうと、甘寧と凌統がカッケーと叫んだ。
 「みんな行っちまったし…面白そうだし、俺らも行くか?」
 「付いていきますぜっ!凌統、てめえはどうすんだよ?」
 「じゃあ、俺は甘寧と反対の軍に行く。孫市さん、すみません。そういうわけなんで敵っすね。」
 孫市の提案にすぐさま首肯し、喧嘩好きの甘寧と甘寧に対抗心をいまだに燃やしている凌統が武器を手に立ち上がった。
 「やれやれ。これじゃあ、川中島っつーより肝試しだよな。ま、面白えから良いけど。」
 ぼやいて孫市も去っていく。
 「…何か、一気に人が減りましたね。」
 どちらの軍に属しているか否かではなく、戦いたい相手と戦っているのだろう。戦況がさっぱりわからないほど混戦している状況に、左近は小さく呟いた。酒席は気付けば人の姿も疎らで、左近、三成、幸村、政宗の姿しかなかった。
 ふと、そういえばいつもの華麗なのりつっこみがないことに気付いて、左近は驚き政宗を見た。どんな状況下にあっても、威勢の良いのりつっこみをしていた政宗が、沈黙を守っている。あまりに不自然だ。見守る左近の視線の先で、政宗は額に手を当て頬を引き攣らせ、ふっと小さく笑んだかと思うと、勢い良く立ち上がった。
 「…貴様ら…、わしが折角催してやった孫市の誕生日会を潰そうなぞ、良い度胸しておるではないかっ!」
 そりゃ、頭にも来ますよね。怒りに震える手に武器を持ち腹立ち紛れに吠えた政宗に、左近は心中頷いた。主催者側の凌統や甘寧が主役の孫市と戦に出てしまい、かつ、孫市たちらしいといえばらしい誕生日会だが、主催協力した政宗にしてみれば笑って済ませられないだろう。今回の出費に関しては、確か、殆どを伊達で引き受けているという。
 しかし、そんな全員撃ち殺す勢いで今にも走り出しそうな政宗を、制したのは、三成だった。
 「…待て、政宗が出る必要はない。」
 「は?貴様、わしの邪魔をするつもりか。」
 剣呑な色が隻眼を過ぎる。三成はゆるりと首を左右に振った。
 「好いたお前に怪我させたくない、下がっていろ。…俺が片を付けてくる。左近、行くぞ。」
 怒りを押し殺した冷徹な声だ
 「俺の…、…。総大将を潰せば奴らも黙るだろう。他はすぐ連れ戻す。」
 「あ、ああ。わかった。」
 気圧されたように目を瞬かせる政宗をその場に、三成が颯爽と歩き出す。慌てて左近はその後を追った。殿、と口に出さずに密かに思った。殿、妙に静かだと思ったら、面目潰されて、やっぱ腹立ててたんですね。
 それから小さく左近は笑った。
 でも、案外さらっと言ってのけることが出来たじゃないですか。告白。


 「あやつ、あんなに格好良かったか…?」
 目の前で片端から鎮圧されていく事態に、呆然と立ち尽くして政宗は小さく呟いた。隠すように両手で覆った頬が熱い。ありえない、と政宗は思った。ありえない、このわしが男に胸をときめかすなど。わしは誰だと自分に問えば、独眼竜だと即答出来る。その独眼竜があんな優男に。その事実は矜持の高い政宗にとって、信じ難すぎて逆に信じる他ないほど、凄まじい衝撃を与えた。
 自分が、あんな、前の世界で散々な目に合わせ続けられてきた元凶である優男に。
 「初めから、三成殿は格好良い方ですよ。」
 そう言って朗らかに幸村が微笑った。先の言葉は思わず洩れ出た感想だったが、多発する爆音に紛れただろうと内心安堵していただけに、聞かれたと思うと凄く恥ずかしい。羞恥に黙り込む政宗を気にせず、幸村はにこにこ笑って続けた。
 「それに、とても誠実で素晴らしい方です。」
 「…お主もあやつの肩を持つのか。」
 「肩を持つというか…、」
 些か恨みがましい様子で政宗が幸村を振り仰げば、考えるように小首をかしげ、それは違いますと幸村は言った。
 「私は、思ったことを言っているだけです。」
 「…そうか。」
 信頼している幸村の言葉はすとんと政宗の腑に落ちた。せめて幸村が良かったと思いながら、政宗は戦場へ目を向けた。あんな、男に。あんな男に、惚れるのか、わし。
 「最悪じゃな。」
 諦めて洩らした天を仰ぐと、空はやっぱり晴れ渡っていた。










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初掲載 2007年10月29日