第五話 嵐の前の静けさ


 「…伊達さんいませんね。」
 中庭を見回し、左近は隣の三成を見た。真っ青だ。確かに気が気でないだろうと思いつつ、左近は義元と案外楽しそうに蹴鞠をしているホウ統へと声をかけた。
 「すみません、ホウ統さん。伊達さん知りませんか?さっき今川さんがこっちに連れてきたと思うんですが。」
 「ああ、あの若者かい。」
 義元に一言断り蹴鞠を中断したホウ統は、帽子と口布の合間から眩しそうに左近を見た。逆光のせいだろう。それから隣で青い顔でいる三成を見やり、合点したように頷いた。この様子だと、どうやら事情を全て知っているようだ。左近は、三成の恋の噂はどこまで広がりを見せているのだろうと内心冷や汗をかいた。呂布こそ知らなかったようだが貂蝉も張遼も知っていたようであるし、誰も彼もが知っている事態が判明でもしたら、三成に負けず劣らず矜持の高い政宗のこと、激怒しそうである。下手をすれば、もう動揺から立ち直って激怒しているかもしれなかった。以前の世界にいた時分から、育った環境が環境であるし、政宗の怒りを原動力にする生き方を左近はそれも処世術の一つだと思っていたが、事態がこうなってしまえば、感想はそれだけでは済まされない。怒りの矛先が完全に三成に向いてしまえば、そんな政宗を宥めるのは大変骨が折れる作業になるだろう。第一、前の世界で三成は政宗に対して散々なことをしでかしてきている実績がある。その分だけ不利なくせに、同性でしかも怒らせて、というのはあまり賢明な選択肢ではない。もう変えようがない選択ではあるが、率直に言わせてもらえば、血迷ったとしか思えない選択だ。だからこそ、左近もここは意地でも三成の恋を成就させようと尚更必死になるのだが。逆境を楽しむ癖は、戦国武将の性かもしれなかった。
 ホウ統は武将たちの住む官舎の方へ目を向けた。
 「あの若者なら呉の二人組に連れてかれたよ。たぶん浅井夫婦のところにいるんじゃないかねえ。」
 「そうですか。」
 「でもまあ、行っても無駄じゃあないかい。あの若者はちょっと怒りっぽいみたいだし、もうちょっと冷めてからにした方が良いと思うがね。」
 「いや、まあ…そうしたいのは山々なんですが、」
 しかし、と左近は思い言葉尻を濁らせた。無駄に頭の回転が速く、口も巧い政宗のことだ。しかもその配下には政宗に心酔しきっている三傑を筆頭に、優秀な部下が大勢いる。本気で逃げられてしまえば、たとえ左近や三成でも接触するのは難しくなる。だから、魏にいる今、どうにかするのが一番良いのだ。蜀に戻られ、三傑の協力を仰がれてしまえば更に事態はややこしくなる。しかも、三傑は政宗以上に三成に対して良い印象を抱いていないというではないか。三成の策で主に謀反の嫌疑がかけられ、死なば諸共と大坂の屋敷に大量に火薬を持ち込んだ過去がある。仕える主が首を切られ、家も断絶しそうだったのだ。それで、そんな騒動に持ち込んだ三成に対して良い印象を抱けという方が、無理がある話だった。
 しかし現在は接触が可能であるとはいえ、根本的な問題、政宗の気が一番立っているのが現在という問題が別にあるのだが。二進も三進もいかなくなった事態に、左近は頭が痛くなって来た。そもそもといえば、自分の主が巻いた種。これほど見事な自業自得もそう見受けられないのではないか。
 そんな左近と、隣で青い顔をしてむっつり黙り込んでいる三成を見やり、ホウ統が笑って告げた。
 「まあ、心配せんでも大丈夫だよ。来月一日確実に会えるさ。」
 「え、本当ですか。」
 「本当さあ。嘘を吐いてもどうにもならないしねえ。」
 「…それは何故だ。」
 それまで沈黙を守っていた三成が真剣な顔でホウ統に尋ねた。後がないためだろう。その見た事がない本気ぶりに、遠呂智よりもあの若者の方が大事か、まあ若いしそれも面白そうさねと内心笑い、ホウ統は答えた。
 「蜀に雑賀孫市って御仁がいるだろう。その誕生日会を来月一日にするらしいよ。まあ、あの若者は嫌がるだろうが、おまえさんたちも絶対招待されるだろうさ。知り合い、なんだからねえ。」
 そう言い、ホウ統は帽子の縁を上げ空を見上げた。晴天の向こう、黒い雲が広がっている。あまり良くない徴候だ。しかし、その先に青空があることをホウ統は既に知っていた。これでも軍師、風は呼べないかもしれないが鳳雛の名は伊達じゃないのだ。
 ホウ統は空から視線を下ろし、左近と三成に笑いかけた。
 「雲行きはあまり良くはないが、まあ、大丈夫だろう。若いんだからね。」
 「…はあ。」
 どう反応したら良いものか内心対処に困りつつ、それでも左近は三成を見た。
 「ですって、殿。良かったですね。」
 三成は気難しそうに眉間に深く皺を寄せ、静かに黙り込んでいた。色々思うところがあるのだろう。左近は苦笑し、拳を握った。何にしても決戦は来月一日だ。それまでに政宗が少しは落ち着いてくれていれば良いのだが。










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初掲載 2007年10月17日