三成の執務室で話し合いが行なわれている頃、政宗は既に中庭を後にし、浅井夫婦の部屋に来ていた。政宗をここに連れてきたのは部屋の持ち主である長政やお市というわけではなく、何故か甘寧と凌統だった。しかし陳倉において同じ釜で飯を食べていたという思いがそうさせるのか、あるいは元々懐が広いのか、長政もお市も二人を怒る様子もなくあっさりと部屋へ招きいれた。
「いやー、悪いな。俺の部屋一人用だから狭くてよ。」
甘寧はからから笑って一応謝罪し、長椅子へどかりと腰を下ろした。その隣に凌統が不本意そうに座り、続けて政宗に正面へ座るように示した。突然何処かへ連れて来られたと思ったら、浅井夫婦の部屋である。元々混乱していた上に更に混乱し始めた政宗は、それでもそれに従った。何をすべきかよくわからなかったためだ。
「それで、さ。独眼大蛇さん。あんたに頼みがあるんだ。な、甘寧。」
「そうなんだよ!あんた、孫市さんの親友なんだろ?」
「は?まあ、そうじゃな。」
独眼大蛇が引っ掛かったが、政宗は文句を言うでもなく頷いた。
「で、あんたが蜀からこっちに来てるって聞いたからさ、丁度良いって思ってね。」
「…蜀に来れば良いではないか。あやつも喜ぶであろう。」
「いや、」
首を傾げ問う政宗に、凌統は渋るようにそれだけ言い、甘寧に目くばせした。後はお前が言えというのだ。甘寧はしごく嫌そうに顔を顰め周囲に誰かいないかよくよく見回して、しぶしぶ政宗の問いに答えた。
「蜀って…なんかあれじゃねえか。」
「あれ?」
「諸葛亮夫妻に良いように扱き使われそうじゃねえか。遊びに行ったら。」
「…ああ。それはあるかもしれんの。」
「だろ?でさ、豊臣さんに聞いたら孫市さんは女が好きだとかって無理な答えが返ってくるし、あんただったら他に何か思いつかないかと思って。」
確かに孫市は女好きだ。蜀に味方したのも、そもそもは月英が攫われているところを見かけて救おうとしたのがきっかけだと聞く。しかし、と政宗は再び首を傾げた。
「貴様ら、それで、なんの話をしておる。孫市関連じゃというのはわかったが。」
政宗の質問に、甘寧がからかうように凌統を見やりにやにや笑い、それに対し、凌統が怒ったように顔を赤くして咳払いをした。仲が良いのか悪いのか、判断に困る二人である。孫市を慕っているというのは確かなようだが、と政宗は面白そうに甘寧と凌統を眺めていた。
甘寧が身を乗り出し、政宗に小声で耳打ちした。
「実はここだけの話なんだけどよ。」
「ふむ?」
「孫市さんの誕生日会しようと思うんだ。」
「…あやつに誕生日なんぞあったのか?」
かつて孫市は政宗に、弟と身を寄せ合うようにして生きてきた、と酒の席でぽつりと洩らした。年始が誕生日の代わりであるような風習があるため日本ではあまり重要視されていないこともあるが、それが原因で、政宗は孫市が孤児の出なのだと思って無理に誕生日を尋ねなかった。
あるのかと驚きを顕にする政宗に、凌統がしてやったりと笑った。
「誰だって生まれたからにはある。で、俺たちは孫市さんの誕生日を来月五月一日に設定して、勝手に祝うことにしたんだ。」
「勝手に…というか、設定とはなんじゃ。」
「だって、なあ?甘寧。」
「そうそう。訊いてもわからねえし俺らで決めたんだ。」
完全に沈黙した政宗に代わり、それまで静かに近くで話を聞いていたお市が二人に問うた。
「それで何故、孫市さんの誕生日を五月一日に?何か意味でもおありなのですか?」
「まごいち、で、五と一があったから洒落で…まあ、豊臣さんがそうしたら良いってげらげら一人で爆笑してたし、一応…。」
「あなたも律儀な方ですね。秀吉殿の冗談を真に受けるなど。」
「褒め言葉として受け取っておくよ。」
肩を竦めて応じた凌統にお市が花のような笑みをこぼして、それで、と続けた。
「本人に何か尋ねたのですか?それとも、甘寧さんたちのことですから、あっと驚かせようと?」
「お。さっすがお市さん!俺らのことわかってるじゃねえか。」
驚かせたいと告げる甘寧に、お市ははにかんで答えた。
「長い付き合いですもの。長政様、市も何かお手伝いしてさしあげたいです。」
それまでお市の隣で、友情とは大切なものだとしきりに頷きながら話を聞いていた長政は、お市に話を振られしばし考えてから応じた。
「そうだな、市。某たちも甘寧殿とは長い付き合いだ。是非手伝おう!」
「ありがとうございます、長政様…。」
「市。」
すぐさま二人だけの世界を作り上げてしまった浅井夫婦に、夫婦それぞれでやっぱ桃色の空気にも個性があるのかとどこか見当違いなことを思いながら、先ほどの呂布と貂蝉の抱擁を思い出した政宗は顔を顰めた。折角孫市の誕生日話で忘れかけていたというのに、嫌なことを思い出したものだ。
しかし目ざとい凌統は政宗の嫌そうな様子に気付き、焦ったように尋ねてきた。
「まさか、独眼大蛇さん。あんた、嫌だなんて言わないよな…?」
「は?いや、全然構わぬが。」
「でも顔が悪いぜ?」
顔が悪いとはなんじゃと呆れ、政宗は甘寧の方を見やった。同じく呆れた凌統が、大きく溜め息を吐いて言った。
「これだから阿呆は。呂蒙さんを見習って勉強しろ。顔が悪いって…、顔色が悪い、だっつの。」
「う、うっせえな。人間一つや二つ間違いはあるだろーが!」
「てめえの場合は一つや二つじゃなくて、百や二百だろ。でも、独眼大蛇さん、あんた確かに顔色悪いよ。何かあったのか?」
「いや…、」
言葉を濁す政宗に、長政と見詰め合っていたお市がふっと何かに気付いたように、心配そうに政宗を見やった。
「三成と何かあったのですか?人様の色恋沙汰…口出しするようなことではありませんが、先ほど慌しかったようですから…。」
「…あやつのことは、魏ではそんなに噂になっておるのか?」
「まあ、そうですね。私は女性陣皆でお茶していた折に聞きましたが…でも聞かずとも、わかったとは思います。長政様には私が話してしましました。」
「某も初め聞いたときは驚いたが、しかしやはり、そう言われれば確かに、と納得いたした。」
「…そうか。まあ、確かにばればれじゃった。」
何故わしは気付かんかったと頭を抱えて呻く政宗に、話がわからず、甘寧と凌統が顔を見合わせた。
「三成がどうのって、何の話をしてるんだ?」
「色恋沙汰って、あの人、そんなん興味なさそうな冷めた顔で誰かに恋でもしちゃってんの?」
その問いかけに、浅井夫婦が困ったように沈黙した後、政宗へと視線を向けた。驚いたのは、甘寧たちだ。
「えええ、まじかよ!俺ぜんっぜんそんなん知らなかったぜ!」
「つーかお前は知ってろよ。ここでも仲間外れにされてんのかよ。」
「違えって!人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ!」
「でもあのお人がなあ…まあ、そっちにはそういうのも多いって知ってはいたけどさあ。信長さんとか、うちにはいるし。」
甘寧の反論を綺麗に無視し一人で納得する凌統に、政宗は恨めしげな目を向けた。
「…あんな魔王と一緒にせんでくれ。あそこは夫婦揃って際どいではないか。」
「確かに、まあ…。それにしても、独眼大蛇さん、生き残ったのに変な所で死活問題発生したもんだね。孫市さんも親友として大変だろうな。」
「…孫、市?」
はっとして政宗は目を見開いた。そういえば孫市と共に揃って雑賀の砦を訪れたあの日。あの日、孫市は事情を全て知っていたのだろうか。しかし親友の貞操がかかっているのだ、そう簡単に請け合ったりはしないはず…。いや、甄姫辺りに頼まれれば、女好きの孫市のことだ、あっさり政宗を売り飛ばすだろう。それとも少しくらいは抵抗を示してくれたのだろうか。
何にせよ、これで諸葛亮夫妻が笑顔で政宗を魏に送り出す理由は判明したわけである。金を積まれたのか、あるいはその実面白いこと大好きの諸葛亮夫妻だ、単に面白いからそれだけの理由で三成の恋を後押ししたのか。孫市が陥落された裏には、月英辺りがいるのかもしれない。
一瞬の間にぐるぐる色々考えた結果、政宗はざっと青ざめた。
「駄目じゃ…わしの味方が一人もおらん。」
しばしの沈黙の後、それまでからかう風だった凌統が申し訳なさそうに政宗を見つめた。
「独眼大蛇さん…いや、伊達政宗さん。その、からかって悪かった。からかっちゃ悪いことってのも、世の中にはあるもんだよな。」
「本気で謝罪するのは止めんか!わしはまだ諦めたわけではない!…そうじゃ、お主たち四人、わしの味方をせい!あやつの恋を成就させて…掘られてたまるか!」
思わず本音が洩れた悲鳴に、甘寧が噴出しげらげら笑った。しかし紛れもない本音だったので、政宗も甘寧を非難することも出来ずきっと睨みつけて終わった。
ともかく、これは政宗と三成の戦いなのだ。政宗はぐっと拳を握り締めた。どちらが多く陣営に引き込むか、それに全てはかかっている。流されてたまるかと強く思った。
「四人とも、頼りにしているぞ!」
「…まあ暇だし、あんたがそれで気が済むんなら良いけどさ。」
頭をかいて凌統は浅井夫婦と顔を見合わせた。確かに政宗の気持ちはわかるし、乗りかかった船、助けたいのも山々ではあるが。
「俺らで堰き止められるほど、相手も柔じゃないと思うんだよなあ。」
幸か不幸か、その呟きは政宗に耳には届かなかった。
初掲載 2007年10月15日