第三話 思わぬとこから横槍


 その日、政宗は魏へ来ていた。最近頓にねねに呼ばれるのである。政宗はねねに逆らえなかった。それは、他の武将たちの例からもわかるようにねね自身の個性なのかもしれないし、政宗が母の愛を無意識のうちにねねに求めてしまっているせいかもしれなかった。
 それでも本来であれば蜀にいる政宗が魏にそう頻繁に行けるはずもなく、それを理由に政宗はねねの誘いを辞退するつもりだった。自画自賛ではないが、政宗は戦時のみでなく平時にあっても有能であり、更には部下も有能だった。政務に関してはまるで使えない張飛や五右衛門とは違うのだ。元々は遠呂智軍に与していたとはいえ、もはや蜀になくてならない存在だった。
 しかし何を考えているのか、諸葛亮夫妻や劉備は毎回快く政宗を魏へと送り出すのだ。劉備は単なる好意、悪く言えば考えなし、からなのかもしれない。しかし諸葛亮夫妻が何の益もなしに有能な武将に暇を与えるとも思えない。そういうわけで、政宗は魏へ送り出されるたびに内心得体の知れない薄ら寒さを感じるのだった。
 あの扇子の下で、あやつ、どんな薄ら笑いを浮かべていることやら。
 出掛けにわざわざ政宗の見送りに出た諸葛亮の扇子で覆われた口元を思い出し、政宗が眉を潜めながら汗血馬を降りると、義元が鞠を手に嬉しそうに駆け寄ってきた。いつもこうなのである。わしは昔とは違うのだ、否、昔だって貴様が勝手にわしに酒を呑ますなり馬を盗むなり蹴鞠を仕込むなりしただけで、と胸中で文句を並べつつ、政宗はいつものように差し出された鞠を遠くへ放ることで義元を追い払い、ねねの部屋へと足を進めた。嫌われるよりは好かれる方がましではあるが、それも時と場合と人によりけりだ。義元相手だととても政宗は疲労するので、あまり、好かれたくはなかった。
 それにしても、毎回毎回、ねねは何を思って政宗を魏に呼び寄せるのだろう。理由がわからないだけに、それがまた政宗の不審を煽った。しかも政宗が訪れるたびに、曹丕夫妻や左近が様子を伺いにやってくるのだ。曹丕は国主として執務が忙しいはずだし、左近は呉に属しているはずなのに、わざわざ、である。怪しいことこの上ない。その上、と政宗は思う。その上、彼らに背を押されるようにして三成も毎回部屋へとやって来る。三成も十分多忙なはずだ。これで政宗が女だったら、三成と政宗をくっつけようと周囲が画策しているのではないかと勘違いするところだ。
 そう思いつつねねの部屋の前に辿り着いた政宗は、室内に一声かけてから、扉を開けた。
 開けて、すぐさま閉めた。
 「あっ、政宗来たのかい!」
 すぐさま内側から開けられた扉とねねの言葉に、政宗は仕方なしに「はあ。」と頷いた。内心、来なければ良かったと思っていたが、ねねを前に口にするだけの勇気はなかった。しかしそうこう政宗が思っている間にも、眼前では見苦しい争いが続けられていた。
 「貴様、貂蝉の何だ!」
 「奉先様!お止めください!」
 「そうですぞ呂布殿、お止めくだされ…!」
 見事な修羅場である。政宗はこれほどまでに見事な修羅場を見たことがなかった。戦場にも修羅場というものは存在し、実際忠勝が戦場に乗り込むときに度々口にするのだが、人が修羅と化している点では変わりない。違うのは、戦場以上に見苦しい点だけである。これが愁嘆場というやつだろうか。悲劇的な場面、というにはあまりに面白すぎるが。
 「呂布…、貴様何をやっておる。」
 遠呂智軍を離れて半年。久しぶりに見かけた戦友は、恋人や元腹心の部下の制止を振り切り、三成の首を締め上げていた。
 だが貂蝉たちの諌めすら耳に届かない極度の興奮状態の呂布にも、首を締め上げられている三成にも政宗の声は聞こえなかったようである。続行されるどたばたにねねもそちらへ戻ってしまい、政宗は所在なく立ち尽くすしかなかった。
 ここはねねの部屋のはずである。まだ三成はわからないでもないが、何故、呂布たちがいるのだろう。空気が若干読めない呂布らしいといえば呂布らしい気がしないでもないが、正直政宗には意味がわからなかった。それにしても先の、「貴様、貂蝉の何だ!」という台詞。最初こそ事態についていけず度肝を抜かれたものの、今にしてみればあまりに修羅場らしい台詞だったので、三成の命が風前の灯でさえなければ思わず笑いそうになってしまうが、三成が間男でもしていたのだろうか。一瞬選択肢として考慮してみたものの、しかし、それは検討するまでもなくありえない可能性だった。貂蝉は呂布にべたぼれだし、三成にそのような甲斐性があるとも思えない。
 呂布、あやつももう少し武に頭の方が追いついておればのう。
 そんな失礼なことを思いつつ政宗がぼんやり手持ち無沙汰で立っていると、突然、手を引かれた。貂蝉だ。貂蝉は火事場の馬鹿力だろうか、思いもよらない強い力で事の成り行きについていけない政宗の手を引くと、呂布の前へ差し出した。
 「奉先様、違うのです!御覧ください…!」
 「なんだ!まさかこいつではなく、政宗が…?!」
 勘違いも甚だしい。しかし目付きを鋭くした呂布は、それでも三成の首元を揺さぶる手を止めた。政宗は慌てた。三成に対する暴挙が中止されたことを喜ぶ間もなく、どうやらその矛先が今度は自分に向けられたらしいことを悟ったからだ。冗談ではない、何故こんなことに巻き込まれねばならぬのか。
 しかし、貂蝉は政宗が耳を疑うようなことを言い放ち、この修羅場を終わらせた。
 「三成様は政宗様を好いていらっしゃるのです!私と三成様は何の関係もありません!安心なさってください、私には…私には奉先様だけです…!」
 「っ貂蝉…!そうか…俺がすまなかった!」
 「奉先様…!」
 「貂蝉!」
 寝耳に水で俄かには信じられないような言葉も、呂布は素直に信じたらしい。貂蝉とひしと抱き合い、すぐさま二人だけの世界を構成してしまった。その隣では、一応一件落着した修羅場に張遼がほっと胸を撫で下ろしてから、強かに咽ている三成へ安否を尋ねていた。窒息死寸前だったためか、三成の顔は青い。
 巻き込まれた挙句今度は捨て置かれた政宗は、やはりすぐには展開についていけぬまま、茫然自失で突っ立っていた。そんなひどい理由で納得するのじゃったら、最初からさっさと恋人の話を信じぬか。本気でそう思い、それから最近親交の増えた三成へ大丈夫か声をかけようとした、寸前。
 「…は?」
 政宗は、信じられなかった。今日は信じられないことばかり起こる。もしやこれは夢でかろうかと指先でつまんだ頬は、痛かった。
 信じられなかった。
 目があった途端、三成は頬を赤らめると脱兎の勢いで部屋を飛び出してしまった。
 「命の危機故とはいえ…三成殿に申し訳ないことをした。」
 そんな張遼の独白が耳に届き、頭は真っ白なものの後方を振り返れば、ぎこちない笑みを浮かべるねねと遭遇した。まさか、本当なのだろうか。
 あの、三成が?
 「の!政宗公ようやく見つけたの!蹴鞠ろうの!」
 そのとき、ばたんと勢いよく扉を開け空気も読まず乱入してきた義元に手を引かれるまま、政宗はその場を後にした。あまりの衝撃に、何も考えられなかった。ただ「あの、三成が?」という台詞だけが、頭の中で絶え間なく繰り返されていた。


 「それで逃げ出してきたんですか、殿。」
 「…。」
 「折角の良い機会だったというのに、我が君の御友人はやはり、こう言ってはなんですけどおぼこなのではありませんこと?」
 「甄、そう言ってやるな。」
 何か言い返してやりたいと思うものの何も反論できることがなく、三成は周囲に言われるがまま黙っていた。場所は三成の執務室である。そんな場所で、国の重鎮が揃いも揃って一人の成人男性の恋の行方に盛り上がっているというのも、おかしな話だ。しかし、彼らは本気だった。
 「しかし…貂蝉さんが洩らすとは思いもしませんでしたね。可愛い顔してやるじゃないですか。」
 前回事情を知らされたねねがついうっかり洩らすのではないかと警戒していたが、まさか貂蝉が三成の片想いをばらすなど、予想外にもほどがあった。したり顔で曹丕が頷いた。
 「あれで芯が強い女だからな。しかも性質が悪いことに呂布しか見えておらん。」
 「でもそこが同じ女として可愛らしく、羨ましい点ですわ。」
 「ふっ。甄、お前も私以外見るなよ。」
 「まあ、我が君ったら…。勿論ですわ。」
 話が脱線している。左近は桃色の色ぼけた空気を発し始めた夫妻を目に痛いと思いながら、三成に視線を向けた。三成は顔を手で覆って、ひたすら沈黙を守っていた。色恋沙汰で憂鬱な気分の三成にしてみたら、現在の曹丕と甄姫は目に痛いどころではないだろう。内心左近は大きく溜め息を吐き、励ますように明るく言った。
 「でもまあ、殿。これもいい機会だと思って、行動に打って出ましょう。伊達さんは中庭で蹴鞠してるらしいですから。ね?ほら、大丈夫ですって。」
 そうは言いつつも、左近も何が大丈夫なのかさっぱりわからなかった。










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初掲載 2007年9月26日