第二話 遊戯と侮ることなかれ


 遠呂智が死に、戦で荒廃していた数多くの街が復興されることになった。その一つ、焼き捨てられた雑賀の砦を修繕するか否かを検討しに来た三成は、先に訪れ視察しているはずの人物たちの奇行に思わず眉をひそめた。面の半分を覆う扇子を持つ手が、怒りに僅かに震えている。これは良くない徴候である。特にすべき事柄もなく、愛息子の仕事ぶりを見てやろうと付いてきたねねは心中引き攣った笑みを浮かべた。どうして出会ってしまうのだろう、というか、何を思って曹丕はこの人物を派遣したのだろう。
 二人の目の前では砦を焼き払った張本人、今川義元が蹴鞠をしていた。
 その隣では、甄姫が腕を組みながら、義元の技を眺めている。案外熱心な甄姫の視線に、ねねは心中更に困った。どうやら愛息子は、曹丕から、仕事を丸投げされたようである。


 それから遅れること二刻。
 孫市と政宗は、左近の先導で雑賀の砦を訪れていた。修繕をする上で、本来の持ち主である雑賀の主に意見を聞こうと、蜀から孫市が招かれたのだ。雑賀の砦は魏の管轄である。呉は関わっていないはずなのだが、魏の伝令を務めた左近は、政宗にも同行を求めた。左近はまず、己は見たことがない仙台の町並みを耳にした範囲で褒め倒し、更に続けて、そのように素晴らしい業績のある政宗の意見が聞きたいと乞うた。不審なくらいにべた褒めである。大体からして、大規模な城下町と小規模の砦。てんで規模が違うのだが、しかしそこは政宗、褒められて悪い気がしない。何より、何故か熱心に蜀の同僚も休暇を勧めてくる。
 「政宗様は働きすぎです。」
 そう、政宗が買っている幸村や趙雲に真面目な顔で心配されれば、そのような気もしてくる。僅かに疑念も浮かんだものの、政宗は快く承諾したのだった。
 その三人の斜め後ろには、くのいちと濃姫の姿も見える。こちらは仕事ではなく、単に暇だったので付いてきた口である。そこには何か面白そうなことが起きそうだという忍と女の勘も働いていた。政宗は二人の姿を解せず微かに眉をひそめたものの、わけを問おうとしなかった。大方暇なのじゃろう、と、半分以上正解の予想をしたためである。
 さて、焼け果てた雑賀の砦跡に着いたとき、五人全員目を見張った。内一人濃姫が目を見張った、というより眼光鋭くしたのは天敵甄姫の姿を認めたからであるが、他の面々は違った。
 信じられなかった。
 「…殿、」
 左近は内心頭を抱えた。折角伊達さんとの接点を作ってさしあげようと、曹丕さんたちと画策して、蜀の協力まで得てここにやって来たのに、何してるんですか…。
 仕事に励む格好良い姿を、絶対に仕事をしないであろう義元と対比させることで際立たせる作戦だった。
 のだが。
 「……蹴鞠しておるぞ、あの生真面目な三成が。これは夢か?」
 最初に開口したのは政宗だった。その声に、一行に背を向け、甄姫、ねね、義元たちに喝采を送られていた三成が振り向いた。まず驚きに目を見張り、次いで、白皙の美貌が音を立てて青白くなった。軽い音を立て、鞠が着地する。
 「あ、…地面に落ちてしまったの。折角ここまでやったのにの。残念だの。」
 義元の呟きを、誰も気には留めなかった。
 長い長い沈黙の後。まるで何事もなかったかのような態度で、孫市が政宗の袖を引いた。
 「し、視察に行こうぜ政宗。どんだけ焼けたか見ねえと直せるもんも直せないだろ?な。」
 「…そうじゃな。」
 それは孫市たちなりの優しさであったのかもしれない。しかし、言及されずに無視されると、それがかえって痛々しい。つられくのいちがこそこそと、濃姫が白けた顔で付いていく。遠ざかる四人の姿に、暫くしてから、左近が三成の元へ駆け寄り小声で精一杯叫んだ。
 「ちょ、殿!何蹴鞠なんてしてるんですか!気でも違ったんですか?!前はあんなに蹴鞠嫌がってたじゃないですか。」
 気が違ったとは、酷い言い様である。しかし強かに動揺している三成は気付きもせず、震える声で問いに答えた。
 「仕事を任されて来てみれば今川が蹴鞠をしていたから、癇に障り鞠を爆破しようとしたところ、泣き叫んであいつが蹴鞠がどれだけ素晴らしいか説明して止めさせようとしたのだ。」
 「それで、そのどれだけ素晴らしいかを語る中で、あの坊やの話が出たんですの。」
 三成にしてはしどろもどろの、出来事の順を追いすぎ要領を得ない説明に、助太刀したのは甄姫だった。
 「何でも幼い頃に謙信…と言ったかしら、その方と三人でよく遊んだらしくて、坊やと蹴鞠をしたらしいんですのね。そんな、彼らもするくらい素晴らしい遊びなのだと説明したかったのでしょうけど。」
 政宗もした、という部分が三成の注意を引いたのだった。
 「それでね、三成も教わってやり始めたんだよ。そりゃ、確かに仕事しないで遊んでたのは悪いかもしれないけどさ。たまの息抜きくらい許してやってよ、左近。」
 「いや、はあ。」
 三成の恋心を知らないねねの、少しばかり見当違いな釈明に左近は苦笑し頭を掻いた。これはもしかすると、もしかして。
 先んじて、甄姫が言った。
 「でもこれ、良い機会だと思いませんこと?坊やと接点を作るのに。それに面白そうですし、蹴鞠。」


 もう大丈夫じゃろうか。政宗が一抹の不安を感じながらも、あれだけ三成が顔面蒼白であったのじゃから、と視察を終えて戻ってみると、どういうわけか蹴鞠が再開されていた。夢でも見ているのだろうか。思い、政宗はぱちぱち瞬きした。何じゃこの状況…。元凶と思われる義元は、蹴鞠仲間が増えて嬉しいのかにこにこ無駄に笑っていた。正直、張り飛ばしてやりたい。
 「まあ、戻っていらしたのね。」
 「いや、まあ、そうじゃが。って貴様ら仕事はどうした?」
 「大丈夫ですわよ、まだ時間は長いのですし。それに孫市殿の意見を聞いて図面を書かねば、私たちには何も出来ませんもの。」
 では何故来た、という問いは飲み込んで、政宗は大きく溜め息を吐いた。魏って、こんなやつらばかりであったじゃろうか。第一、もっと真面目だと思っていた三成からして、変である。こんなやつであったじゃろうか。日本にいた頃は煮え湯ばかりを飲まされて、憎たらしくてたまらなかった。そんな人物が、真剣な顔で鞠を蹴っている。おぼつかない足取りながら、真剣に遊びをしているあたり、真面目といえば真面目なのだろう。しかし、真面目な分かえって脱力する光景である。煮え湯を飲まされた過去を思い、政宗は再び溜め息を吐いた。正直、ものすごく空しい。
 「それで何故、蹴鞠をしておる?」
 「の?政宗もしたいのかの。の!久しぶりに蹴鞠うの!のの!の!」
 尋ねれば、義元から至極嬉しそうに鞠を手渡された。ひどい無力感が政宗を襲う。そういえば幼い頃も、こやつは人の話を聞かんで鞠を押し付けよった。つまりそういうことなのじゃろうか。両手で掴んだ鞠を脇へ投げ捨て、政宗は三成を見た。転がる鞠を追う義元は、昔同様、見なかったことにした。
 「暇じゃの、貴さ」
 まら、と溜め息混じりに続けようとして、再び、手に何か載せられた。義元はまだ後方にいるはずである。手を見ると鞠が載っていた。面を上げれば、ねねがにこにこ笑っている。
 「さあ、政宗もやるよ!蹴鞠!」
 ねねに、まさか政宗が逆らえるはずもなかった。


 それから、半刻。


 扇子を弄るわけでもなく、ひたすら押し黙る三成に、左近は内心慌てていた。主がかつてないほど不機嫌だ。関ヶ原のときさえも、これほど不機嫌ではなかった。正直、失敗したと思った。ねねに、三成の恋心を教えておくべきだったのだ。あるいは、甄姫と濃姫が揃った時点で作戦延期を図れば良かった。
 「貰いましてよっ!」
 目の前を爆音と共に、鞠が舞う。
 「ふんっ、甘いわね!」
 衝撃。
 「の!」
 爆風。
 「まだまだ!これからだよ!」
 閃光。
 「にゃは!」
 旋風。
 「馬鹿め、させるかっ!」
 まさか、ここまで白熱した試合が展開されることになるとは思わなかった。義元と政宗以外初心者とはいえ、侮りがたし。女性陣皆、蹴り技には長けている。初心者中の初心者である三成たちに付いていけるわけもなかった。というか、蹴鞠とはこのような高速で鞠がやり取りされる競技だっただろうか。謎である。
 そもそも、嫌味たらしく濃姫が甄姫に絶対取れぬよう鞠を蹴り、嘲弄したのが始まりだった。そうなれば、嫌味と意地の応酬である。その女の戦いに、周りも合わせるしかなかった。否、合わせられる者しか残らなかった。誰も気に留めていないが、頭に強く鞠を喰らった孫市は、現在意識不明の昏睡状態だ。
 「なあ、たかが蹴鞠、遊びなんだぜ?もっと楽しくや」
 それが遺言にならぬよう、左近としては祈るより他ない。せめて、二の舞にならぬよう面子から抜け、蹴鞠を尊ぼうと決めた。少なくとも、たかが、などという表現は絶対にしない。特に、我を失っている女性の前では。隣では三成が、無言で義元の鞠の表面に施された刺繍をぶちぶち引きちぎっている。止めることも躊躇われ、左近はただ嘆息するよりなかった。
 こんなはずじゃ、なかったはずなんですがね。
 謝って許されるものではないが、三成には、謝りたい。蛇の生殺し状態であろう。蹴鞠は単に、三成が政宗と接点を持つためだけの手段であるが、その接点が目の前に転がっているのに、手に取れないのはちと辛い。恋をする身にとっては尚更。再び、左近は三成の心中を思って嘆息した。殿、すみません。


 更に四半刻経った頃。流石に飽きたのか、あるいは正気に返ったのか。戦線離脱をした政宗が、左近たち見学者の方へやって来た。雪国の人間らしく白い肌が、過度の運動により上気している様が男ながら色っぽい。ふと左近が隣を見やると、全ての刺繍を引きちぎり、核まで分解し終えた、鞠だったものの残骸を後ろに隠しつつ、三成が視線を逸らしていた。目許がほんのり赤く染まっている。好きな人が正面から見れないって、アンタ、子どもですか。内心左近はそう思ったが、当然、直接言えるわけもなかった。額の汗を拭い、政宗が問うた。
 「ずっと見学しておるが、貴様らはせんのか?」
 「俺はもう十分ですよ。伊達さんはどうなんですか?」
 「わしはもう飽いた。三成はどうなのじゃ?元はといえば、貴様が初めにやり始めたのであろう?」
 「…俺は、」
 今だ、と左近は思い、三成の肩を両手で掴んだ。汚名返上、名誉挽回するには今しかない。政宗の方へ押しやられた三成が、焦ったような声をあげた。その声に、やはり殿は伊達さん相手だと全てが新鮮すぎますよ、と左近は内心苦笑した。
 「実は伊達さん。殿はまだあの中に混ざれるような基準に達していないんですよ。今日始めたばかりでして。」
 「…まあ、確かに三成のは見たが、あの連中の中に入るのはどだい無理じゃろうな。」
 先ほどまでその連中の中にいた自分のことは棚に上げ、蹴鞠組へ呆れた視線を送る政宗に、更に左近は三成を押した。
 「それでですね!殿に特訓してやってくれやしませんか?」
 「何故わしがそのような面倒臭いこと。ねね様がおるであろう。同じ魏におるのだし、そちらに頼めば良いではないか。」
 「いえいえいえ。そこは天下の独眼竜に教わった方が、箔がつくってものでしょう!ね、殿!」
 「え、あ、ああ。頼む。」
 蹴鞠を請うのに独眼竜も何もない。その上理論展開がよくわからない。しかし、左近に脇腹を突かれ大きく頷いた三成に、政宗は気を良くしたようだった。基本、煽てに弱い男なのだ。褒められることに慣れていないのかもしれない。偉そうに踏ん反り返り、政宗がふんと鼻を鳴らした。照れているのか、頬が心なし赤かった。
 「そこまで言うのならば仕方あるまい。わし直々に特訓してくれるわ。」
 「良かったですね、殿!」
 信じられなかった。
 左近の言葉も、喜びと驚きの余り頭が真っ白になっている三成には聞こえなかった。










>「第三話」へ


初掲載 2007年8月29日