第一話 左近にお願い


 何をするでもなく不機嫌な様子で座り、扇子を閉じたり開いたりを繰り返している三成を、左近は溜め息混じりに見やった。無駄口は叩くくせに必要な事柄に関しては無口な三成を、右腕として理解する必要性があった左近だからこそわかるのだが、これは不機嫌なのではなく、気が立っているのである。しかし、この遠呂智が作り上げた世界にやって来てからはずっと離れており、しかも今日たまたま魏に用事があって訪れただけの左近にしてみれば、久しぶりの再会であるだけに何がそうさせるのかわからず、ただただ三成の様子に困惑する他なかった。
 「殿、どうかしたんですか?」
 三成に聞きとがめられない小声で、この部屋まで直々に案内してくれた曹丕に問うと、したり顔で曹丕は答えた。
 「ああ、三成の奴はここ数ヶ月ずっとあんな調子なのだ。心配する必要はない。」
 「いや、そう言われりゃ心配しますって。ここ数ヶ月もずっと?何か原因でも?」
 「原因…遠呂智との決戦から、か?」
 「そこ、聞こえているぞ!」
 苛立った声が飛んだ。三成だ。左近は困ったような顔をして、苛立っている三成に向き合った。
 「殿、お邪魔してます。」
 そしてそれ以上逆撫でしないよう、折角の再会だったが曹丕の袖を引いてこそこそ立ち去ろうとした左近を引き止めたのは、左近が立ち去ろうとした原因である三成だった。
 「ちょっと待て左近。俺はお前に訊きたいことがあるのだ。」
 とても人にものを頼む口調とは思えない。しかしここは慣れたもので、左近も、その実三成が切羽づまっていることを声色から察し、立ち止まった。
 「訊きたいこと…太閤のこと、とかですか?残念ですが、俺は知りませんよ。」
 「違う。秀吉様は戦国組だろう。お前に尋ねるような愚行はしない。」
 「そうですか。」
 では訊ねたいこととは何であろうと首を傾げる左近を手招き、目の前に座らせると、三成は暫し、緊張のためか押し黙った。再び扇子を弄りだす。それが緊張したときの悪癖であることを知っていた左近は特に咎めるでもなく、主が自発的に発言するまで、と思い待っていた。だが、三成の見慣れない必死な様子に興を覚え、立ち去らずに様子を窺っていた曹丕が、待ちくたびれたのかその沈黙を破った。
 「三成、訊きたいこととは何だ。さっさと言え。」
 「うるさい!もう少し待て。…、その、実は、だな。」
 「はあ。」
 「どうしたら、」
 再び口を噤んだ三成に、それは三成に対して未知の経験だったが、他の者に関しては見覚えがある経験である気がして、内心左近は首を傾げた。浮かんだ答えは、三成から最も遠い気がしたのだ。
 「ずばり、恋、ですわね。」
 突如降って沸いた声は、甄姫のものだった。戻ってこない曹丕に痺れを切らして、自ら迎えに来たらしい。そういえば、甄姫が笛を演奏する寸前に、邪魔する形で左近が訪問したのだった。甄姫の言葉に、はっとして、三成が俯かせていた面を上げた。その白皙の美貌は、心なしか赤く見える。左近は、まさか殿に限って、と失笑しかけた口元を引き締めねばならなかった。まさか、殿に限って。
 そんなことがありえるのだろうか。
 「殿、本当ですか…?」
 「何だ。俺が恋をしてはいけないのか。」
 恐る恐る問いかけた左近に、三成がとうとう腹立ち紛れに肯定するに至り、甄姫がほほほと笑みを零した。
 「我が君の御友人は、随分可愛らしい方ですのね。」
 「甄、そう言ってやるな。」
 「うるさい!そこの夫婦、黙ってろ!」
 「で、どのような方ですの?」
 三成の叱責を綺麗に聞き流し、甄姫が問うた。左近には到底できない芸当である。これだから女は怖い、いや、俺が知る女性たちが皆一線越えてるだけなのかねえ、ねね様に阿国さんに小喬に…、と思いつつ、左近は固唾を呑んで三成の答えを待った。
 「……だ。」
 「聞こえないぞ、三成。」
 「政宗だ、悪いか!」
 呆気にとられたのも一瞬。未だに衝撃から立ち直れずにいる左近と異なり、逞しいもので、曹丕夫妻はすぐさま持ち直して質問攻めを開始した。
 「政宗とは、あの蜀にいる伊達政宗か。」
 「…そうだ。」
 「それで、あの坊やの心を射止めたいというのですね。」
 「………そうだ。」
 「我が君も認めるくらいの綺麗な顔立ちの三成様ですもの。確かに同性という難題は立ちはだかっておりますが、そちらの世界ではそれも普通だったのでしょう?問題などないのではございませんか。」
 「甄、お前は良いことを言う。流石は我が妻。」
 「ああ、お褒めに預かり光栄ですわ…我が君。」
 すぐさま二人の世界を展開し、桃色の色ぼけた空気を発し始めた曹丕と甄姫を、恨めしそうに三成は見た。
 「綺麗な顔がなんだ。こんなもの、何の役にも立たないではないか。」
 以前、顔だけの男とくのいちに評されたことが実は気にかかっているらしい。しかし、いちゃいちゃし始めた曹丕夫妻は三成の呻きなど気にも留めない。ここは自分が出るしかなさそうだ、と、左近は腹を括った。正直、無二の主の大事であるが、逃げ出してしまいたかった。まさか、何を言われても心を動かさず、男も女も手痛い返事で袖にし続けてきた三成が、恋とは。左近が逃げ腰になるのも道理である。
 「殿、それで…何故、伊達さんを?あっちにいたときは、全然そんな素振りありませんでしたよね?」
 「…遠呂智、」
 「?遠呂智?」
 「あやつのことを皆はわかってないだのわかろうとしないだのあやつなら天下も飲み干せるだのせめてわしの手で最期をだのと!遠呂智のことをあいつが気にかけているのを見て、俺は!」
 「殿は?」
 そこまで一息に叫んだ三成は羞恥からか俯き、耳を済ませなければ聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声で呟いた。
 「…嫉妬した自分に気付いたのだ。それからこう、あいつのことを考えるたびに居ても立ってもいられず…。」
 随分、可愛らしいことを言うものである。これは本当に自分の仕える殿なのだろうか、ねね様辺りがばけていて、この後「左近、驚いたかい?!」と種明かしをするつもりなのではないだろうか、と左近は三成をじっと見つめたが、いくら見つめても三成が黙り込んでいるばかりで、ねねに成り代わりそうになかった。これ以上眺めていても、三成の微かに赤く染まった耳元と恥じらいを浮かべた瞳に、現実逃避したくなるだけである。三成の初々しさとありえなさに見ている方が恥ずかしくなり、左近は小さく絶望の呻き声を胸中であげてから、諦めに溜め息を吐いた。
 「じゃあ、殿。この左近、殿のために一肌脱いで何とかしましょう。」
 「っ本当か、左近…!」
 「左近が殿に嘘を吐いたことがありましたか。」
 「…ではやってくれるのだな。頼んだぞ。藁にでも縋って良かった…っ!」
 藁と比喩された左近は笑った。殿が笑ってくれれば、まあ、多少の苦難は受けて立とう。多少の卑下も甘んじて受けよう。とはいえ主の想い人は独眼竜、厄介な相手に惚れてくれたものだと思いつつ、左近は思案を巡らせた。
 「とりあえず殿、」
 「何だ左近。」
 「伊達さんと接点を持つことから始めましょう。」
 左近は笑った。案外、できあがったら面白い二人になりそうである。










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初掲載 2007年8月10日