普通、参謀というものは信の篤いものが選ばれるのであろうが、直江家の治める国においては斬新な人事が適用されている。先の長篠の戦が契機となり滅ぶこととなった武田家から、この国へ身を寄せ、今では四天王の一角である真田幸村は、ことある都度、その事実を改めて思うのである。
中部の越後に位置する直江家は、斎藤家や北条家に囲まれた厳しい状況に見舞われている。しかし、領地はさほど広くないながらも、強国らと対等に張り合ってきた。今は無き上杉家の衣鉢を継ぐ直江家は、善政・防衛を基本理念としているため、戦においては民兵たちの助力も得られ、軍事費が財政を圧迫するようなこともない。加えて、支配国である南陸奥・本国ともに金が産出される国であり、冬には、両国にとって災いでもある降雪が転じて福となり、敵国の侵攻を阻むのである。善政の甲斐あってか、農作物も豊富に収穫され、戦に備えての兵糧庫も飢饉に備えての貯蔵庫も常に満杯である。
それゆえ、幸村はこの国を誇りに思いこそすれ、同僚の三成のように恥じる気は更々ないのだが、いかんせん、不安に駆られるのである。どんな国も災いの火種を一つは抱えているように、この国も例外なく抱えていることを幸村は承知している。そして、我が国ではその燻る火種に、わざわざ火を放つのが国主だというのだから、幸村も思わず瞑目しようものだ。
「…今回の鎮圧の経費だが。」
昔からの知音でもあるという国主に対して微塵も不機嫌を隠そうともせず、財政を司る三成は算盤を弾いた。もっとも、幾度目になるかわからぬ鎮圧だけに、計算も報告もなれたものである。しかし、度重なる謀反が財政に響くのも事実。そして、周辺国にこの国の主君と参謀の不仲を更に知らしめているのも事実だ。三成は目まぐるしく脳内でこれからの対応を検討しながら、国主に計算書を叩き付けた。
「金五百。これだけあれば、民のために何かしてやれたはずだ。教育、普請も出来た。何故、溝に捨てるような真似をせねばならん。」
突きつけられた計算書を見つめ、国主兼続がもの悲しげに嘆息した。
「これも、私の愛と義が及ばなかったばっかりに…精進せねばならんな。」
「だから、そういう問題ではない!」
反省の欠片も見えない兼続に、三成はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。今にも胸倉を掴み、殴りかかりそうだ。冷静沈着と見えてその実喧嘩っ早い三成の気性を知っているだけに、端で見ていて、幸村は気が気ではなかった。常であれば、手より口の出る三成である。おそらく皮肉の一つや二つで済ませるだろうが、このままでは謀反も辞さないかもしれない。
その張り詰めて切れそうな空気を読まず、兼続が誇らしそうに胸を張った。
「大丈夫だ、今度こそ悔い改めただろう。山犬には、私から義と愛について学ばせておいた。まったく、山犬なのに鳥頭とは…不義だな。」
一瞬、重苦しい沈黙が漂った。米神をひくつかせ、三成が切れた。
「だから、その教育がそもそも政宗の逆鱗に触れまくっていると気づけ!この愚か者が!それさえなければ、やつも立派に参謀くらいこなせるというものだよ!」
「むっ!…三成、山犬には鱗などなかったぞ?」
「……もうこの愚か者をどうにかしろ、幸村っ!」
鱗ではなく神経を逆撫でされて、三成が叫んだ。しかし、助力を乞われたとて、幸村には何も出来ない。ここは戦場ではなく、執務室なのだ。せめて、他の部下らにこの醜態が見られぬよう、気を遣うのみである。幸村は曖昧な笑みを浮かべ、話題を振られぬよう一歩下がった。代わりに、答えたのが、同じく四天王の一人である慶次だ。
「まあまあ落ち着きなさんなって。痴話喧嘩くらい、大目に見てやんなあ。なあ、孫市?」
「…あれを痴話の喧嘩で済ませられるんならなあ。喧嘩っつーには結構性質悪ぃし、何より、痴話じゃない気もするぜ?」
親友のことを思い苦笑を漏らす孫市に、慶次が声を立てて笑った。
「はっはー!政宗も傾いてるってことさね!なあ、兼続?」
「まったくだ。山犬も、いたずらっ子で困りものだな。」
謀反を起こす参謀以上に、話の通じないこの国の上層部こそ困りものである。だが、当然そんなこと言えるはずもない。幸村はただ黙って畏まっていた。流石に付き合いきれないのか、孫市が嘆息して、席を立ち上がった。
「…悲惨だな、政宗。ま、またあいつが謀反でもしたら、また俺もあいつの味方につくけどな。」
不穏な予告だ。また一つ、米神に新たな青筋を浮かべ、三成が地を這うような声で呻いた。
「だから、味方する前に、止めろ、貴様は。それだけでどれだけ損害が違うと思う!」
「つったって、金だけじゃ見えてこないものもあるんだぜ、三成。何にせよ、そろそろ政宗も起き上がれる頃だろ?気分転換に町にでも連れてってやるさ。今頃、猛烈な欝と怒りに襲われてるだろうからな。」
これには三成も同情的な様子で、溜め息をこぼした。話の通じない国主の一番の被害者は、謀反を起こす身とはいえ、紛れもなく参謀政宗その人なのである。
「そうしてやれ。腹だけは斬らせるな。多少なら、経費を用いても構わん。」
「わかってるって。任せとけ。」
ひらひらと手を振り出て行く孫市を見送り終えると、このまま離しても埒が明かないと判断したのだろう。計算書を手に三成も立ち上がった。慌てて、幸村もその後を追いかける。途中回廊で、三成がぽつりと漏らした。
「兼続に悪気がないだけに、あいつも悲惨だな。流石の俺も、同情して止まん。」
元々、政宗は、陸前に根を張る名門伊達家の御曹司である。初めてきちんと相対することになった長谷堂の戦いで、兼続に見初められさえしなければ、立派に家を盛り立てていたことだろう。主家が滅び居場所を失った幸村たちとは違うのだ。その未来はきっと明るかったに違いない。否、あの才智さえあれば、暗い生も希望の光で明るく彩ったことだろう。
「兼続の挑発に乗り、正面から面を見せたがために…今生最大の失態だな。」
眉間を押さえ呟いてから、三成は哀れみの目を北へ向けた。本来であれば、正室がいるはずの部屋だが、兼続は未婚である。愛する山犬がおるのに、他の女を囲うなど不義である、というのが兼続の説明なのだが、実際問題として、跡取り問題は如何するのだろう。ともあれ、いまだそこにいるであろう政宗に対し、三成は小さく励ましの言葉を投げかけた。
「とりあえず、生きろ。」
「…生きていれば、きっと良いこともありますよね。」
「ああ。」
改心してくれないか、などという嘆願の形ながら、実際のところ、力ずくの捕縛劇だ。謀反で縄目にあってから今朝方までの一日半あまり、兼続曰くの「愛と義」をねっちりこってり再教育させられた政宗に同情を禁じえぬまま、二人は立ち止まり北を眺めていた。
ふと、沈黙に耐えかねたように、三成が口を開いた。
「…もういっそのこと、政宗が兼続に惚れてくれれば問題はないのだよ。兼続も話さなければ面は良いだろう。まあ、話したとしても、内容はともかく声だけは良い。閨での働きなど格別良いらしいではないか。」
「でも、それは流石に、酷というものでしょう…。それに、だからこそ、政宗殿は自己嫌悪に苛まれるわけですし。」
「兼続に言わせれば、教育を始めるとたいそう素直になるらしいからな……哀れな。しかし、だからといって、兼続に話が通じる日が来るとも思えん。天下取りの方が容易いだろうよ。」
「政宗殿が兼続殿に惚れる可能性も、万に一つもありませんし……こうなると、堂々巡りですね。」
部下として友として、善政を敷く国主についていくべきか。それとも人間として、不遇を送る同僚につくべきか。答えの出ぬ問いを前に、示し合わせたように、三成と幸村の口からは溜め息が漏れ出た。
初掲載 2008年11月19日