エンパ直江家 第二話


 「兼続惨殺」


 書初めでそう記した政宗に、幸村は戦慄を禁じえなかった。これを敵国のものや間者にでも見られたら、一体どうするのか。参謀が国主を殺しても飽き足りないほど憎んでいるなど、口が裂けても漏らせない事実である。否、他国のみならず、自国の将兵たちにも動揺を与えよう。ただでさえ、この国の参謀がかつて謀反を起こしていたのは周知の事実。なれば、その原因だけでも隠さなければ。幸村は慌てて周囲を見回したが、幸か不幸か、事情を承知している四天王しかここにはいなかった。
 「流石、政宗!かぶいてんねえ!」
 かかと慶次が笑えば、その親友にして惨殺予定の当の本人も笑い声を立てた。
 「はは、困ったものだ。このいたずら者め。」
 笑って済まされるような現状でもないのだが、この二人、いっかな話が通じない。ふと視線を巡らせば、三成が沈鬱な表情で算盤を弾いている。兼続が惨殺された場合の算段でもしているのだろう。とりあえず、幸村は面に無理矢理笑みを貼り付けた。
 その日のことだ。
 「戦場に…猫…を連れていくのですか?」
 よほど驚いたのだろう。回廊に響き渡った義姉の声に、幸村は思わず足を止め、幻聴かと我が耳を疑った。しかし、考えてみれば何ということはない。新年ということもあり、領地から主将が推参しているのである。この一年余り、政宗は謀反を止め、躍起になったように調略侵攻を繰り返した。その結果、驚くほど直江家の領土は増えた。そろそろ、上京も果たそうかというほどである。自らの天下人の夢を兼続に託した、というよりは、兼続で溜まる鬱屈を戦で晴らしているというのがその実のところのようであるが、領地が増えれば国益も増加する。財政官の三成などは、防衛のみで事足りると新年を曲げぬ兼続と違って、文句も言わず全面的に政宗を応援している。
 「猫は戦場で時を教えてくれる。それに…わしは猫が大好きでな。」
 この声は島津だろう。すると、島津と天敵の仲であるはずのァ千代の声がそれに続いた。
 「立花も…だ。」
 はっとして、幸村は隣を振り仰いだ。すっかり存在を失念していたが、兼続と共にいたのである。しかし、義姉の声に驚いた己と違って、兼続が足を止める必然性はない。何やら嫌な予感に襲われ恐る恐る窺うと、そこには兼続が満面の笑みを浮かべていた。
 「これは、良いことを聞いた!」
 おそらく、それは主に政宗にとって、良いことではない。だが、所詮、自分には害が及ばぬことである。何より、下手に突いてこちらにまで飛び火しては困る。この一年余りで身に着けた処世術をもって、幸村は、鼻歌混じりにいずこかへ立ち去る兼続を黙って見送った。せめてもと、政宗が神経をすり減らさぬよう祈りながら。
 「政宗、いるか!」
 ばん、と音を立てて戸を開け放った君主に、政宗は胡乱な目を向け、後ろ手に何かを隠している兼続の様子に、眉間に深くしわを寄せた。大体において、このようなとき、ろくなことがないのである。やれ、勘合貿易で何がしかを手に入れた。やれ、よろず屋で大変面白いものを手に入れた。そこまでは良い。政宗もそれが単なる贈物であれば、喜んで受けよう。だが、その品がいけない。馬鹿か、と思うようなものばかりだ。媚薬なるものを嬉しそうに手渡されたときは、今の地位も何もかも捨てて、出奔しようかと思ったほどである。
 「どうも政宗は心が荒んでいるようだからな!ほら、猫だ!」
 どう反応するものか決めかねて、結局、政宗は手元にあった文鎮を投げつけた。がこん、と重さに見合っただけの重い音を立てて頭にぶつかったが、伊達に「兼続」ではない。同じ人間だろうかと疑いを抱くほど無駄に頑丈に出来ている兼続は、何事もなかったかのように、政宗にそれを差し出してきた。
 「とりあえず、死ね。」
 「ははは。まだ、拗ねているのか。困ったものだな。」
 まったく話が通じる気配もない。政宗も諦めれば良いのだが、元来、兼続という男の国主としての才智には惹かれているところがある。期待があった分、その才智を見事なまでに裏切り続ける人間性への失望や怒りも大きかった。
 「馬鹿め!これのどこが猫じゃ!貴様の目は腐っておるのか!」
 「むっ。愛らしい猫ではないか!虎柄だぞ?」
 政宗はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。兼続が自信満々で差し出してきている品。それは、闇に葬り去りたい政宗の秘密の過去「虎服」の大人版だった。
 「試す機会がなかったが、慶次から聞き及んではいたのだ。私としたことが忘れるなど…迂闊だな。」
 「そのまま忘れておれば良かったものを…!渡せ!灰にしてくれる!」
 今にも刀を抜かんばかりの政宗の剣幕にも、兼続は慣れたものである。伸びる手を軽くいなして、兼続は憎らしげに小首を傾げた。そんなことをしても、愛らしくもなく、政宗の殺意を煽るだけなのだが、この男大概わかっていない。
 「そんなに嫌か?こんなに愛らしいのに…戦場での士気も高まるぞ!」
 「嫌に決まっておる!って、その格好で戦場になぞ行けるか、馬鹿めが!」
 恥辱で真っ赤に染まった政宗の顔を見て、兼続はもの悲しげに嘆息を漏らした。
 「そうか…駄目か。お披露目したかったのだが。」
 「馬鹿め!さようなこと、させるか!」
 「では仕方がない。私一人が楽しむとしよう。」
 こういうときいつも政宗は不思議に思うのだが、何故か気がつけば、押し倒されている。背から倒された衝撃がわからぬほど、政宗も頭に血は上っていないはずである。何か秘術でも用いたのだろうか。しかし、そのようなことを延々と考え込む暇などない。政宗は、満面の笑みで己を虎服に着替えさせようとする男を目いっぱい蹴りつけた。だが、ここでもいつもどおり、兼続の無駄に頑丈な性質が一役買った。手の届く範囲の品々を手当たり次第ぶつけてみるが、動じる様子はない。もはや、手の打ちようはない。それでも、そのまま流されるのも癪なので、政宗はいつもどおり無駄だと知りつつも抗い続けた。
 そんな政宗の意中を察せず、逆撫ですることを放つのが兼続の得意技だ。
 「むっ?そういえば…。」
 政宗に跨った兼続は、虎服を破られぬよう気をつけて服を剥ぎながら、器用にも手を打った。
 「これは姫はじめか!それはいい!」
 「良くないわ!馬鹿め!」











初掲載 2008年11月19日