さて、此処で実は一つ、大きな問題が在った。其れは、連雅山が実は男である点で、真の名を日番谷冬獅郎と言う。護廷十三隊の一つである十番隊を治める年若い隊長だ。
勿論、護廷十三隊においても学院においても日番谷の上司である山本は日番谷の正体を知っていたが、他は同僚である三番隊隊長市丸、四番隊隊長卯ノ花、技術開発局局員、そして日番谷の直属の部下である松本しか存ぜぬことであった。十一番隊第十席である阿散井が知らぬのも仕様のない話である。
無論、松本は日番谷のことを知った上で阿散井に忠告をした訳だが、事情を露とて知らぬ阿散井が聞き分ける筈もない。
そもそもの事の発端は市丸に拠るものであった。
市丸は日番谷に懸想していた。だが、日番谷は同性の、其れも年の大分離れた童である。かつて一度異性に成れば、と性転換剤を日番谷に飲ませた事が在ったが、其れだけでは年齢の問題が残る。
四方に手を伸ばし、試行錯誤を繰り返し、市丸がとうとう成長剤を手に入れたのが半年前。市丸に対し警戒を怠らない日番谷を如何にか油断させ弐つの薬を飲ませたのが、凡そ三月前の事であった。
片方だけであったなら問題はなかった。だが、弐つの薬は日番谷の体内で混ざり合い、複雑化した。
是では解ける物も解けぬ。四番隊も技術開発局も、解毒剤作成までに早くて一年は掛かると告げた。
さて、此の時点で市丸はもう二度と悪戯心を起せぬよう叩きのめしたものの、問題は、一年もの間如何するかである。
己の隊長としての尊厳を損なうことを恐れ、休職を願い出た日番谷に、山本は斯う言った。
「来年度、真央霊術院の選抜クラス六年を受け持っていた教師が産休で、代役が未だ見付かっておらん。主、代わりに一年してみぬか?」
学院は死神候補を育てる場所だが、意外に現役の死神は姿を見せない。霊圧も抑えておけば、未だ未熟な生徒のことである。ばれる事はなかろう。
薬の影響か、日番谷の霊圧も元の形から微妙に変じていた。
「…わかりました。」
斯うして、元は男児である日番谷は、学生とさして齢の変わらぬ娘として学院にやって来た訳である。
幸か不幸か、日番谷は阿散井の想いに全く気付いていなかった。女としての生を歩んで未だ四ヶ月に満たない日番谷に分かれというのも無理な話かもしれない。
阿散井に祭の誘いを受けたとき、先ず日番谷が思ったのは、出掛け先で誰かに正体がばれぬかということだった。其れ以上でも其れ以下でもない。只、其れだけだった。
しかし今の日番谷は花も恥らう年頃の娘である。隊長という雲の上を行く存在である天才児と、一教師でしかない美貌の娘を関連付けするにも無理がある話だ。日番谷はそう判じた。
「じゃあ、其れで良ければ。」
察していれば断固として拒んだであろう阿散井の誘いを受けてしまったのは、そういう事情からであった。
週末、事情を知る卯ノ花が熱心に薦めてくれた下がりだという藤色の浴衣を身に纏い、日番谷は阿散井と祭へ向かった。阿散井に先んじて姿を見せた松本が何か言いたそうだったのが日番谷としては気に掛かったが、結局何も言わずに松本は帰ってしまった。
橙の頼りない灯りに照らされ淡く同色に染まった林檎飴を、阿散井は弐つ買い求め、一つを日番谷に渡した。
水風船。金魚掬い。射的。綿飴。氷。人形焼。
阿散井と他愛もないことを話しながら、彼方なら此方、此方なら彼方と視線を配らせつつ辿る通りは面白かった。荷物も多くなり、腹もくちくなったので日番谷は神社の縁に腰を下ろした。
尺魂界に死神は在れど、其れは生業であって存在ではない。神が居ないことを知りながら、其れでも神を奉る己らに小さく嗤い、日番谷は氷を口にした。
神社は灯りからも喧騒からも外れ、まるで世界自体から離脱しているかの様な錯覚を与えた。無論、錯覚でしか無いことを日番谷は重々承知している。
一際大きく鳴った音に視線を上げると、今宵初めの花火が打ち上げられたところだった。黒い木立の間から覗く空を鮮やかな赤が染め上げた。次いで緑、黄色と多彩を極める。
「綺麗だなあ。」
ぼうと珍しく呆けて呟いた日番谷を、阿散井は横目に見つめていた。