第一話 泡盛草(恋の訪れ)


 阿散井が女に会ったのは春のことであった。十一番隊に所属する死神として現世を巡回していた折のことである。
 同僚と共にふらりと現世を漂っていると、突如救援要請を受けた。現世で魂葬実習を行っていた学生が虚に襲われているとの事だ。
 「最近、何かこういう事態多いよな。」
 「ああ。」
 同僚の言葉に尤もだと阿散井は頷いた。近年、虚の思いがけない出現が頻繁に起こっている。現世や流魂街は言うに及ばず、学生による演習のため結界を張った区域や瀞霊廷内に置いても姿を現すのだから異様であるとしか言い様が無い。
 阿散井が初めて虚に対峙したのも、学生の時分行った演習であった。阿散井は事態に幾許かの近視感を覚えつつ、通信の指示に従い現場に駆けつけた。
 其処には大勢の学生が纏まって所在投げに立ち尽くしていた。怯えては居るものの、別段怪我や混乱は無いようだ。余程教官の指示が確りしていたのだろう。
 さて阿散井は教官の姿を探したが、見付からない。学生の青と赤の着物に、死神のみが着用を許される死覇装の黒が紛れる筈がないから此処には居ないということなのだろう。
 「おい、お前らの教師は何処だ?」
 「せっ、先生が此処は引き付けるから、後から来る死神の指示に従って先に帰りなさいって。」
 適当に生徒を捕まえて問うてみれば此の答えである。阿散井は小さく嘆息した。
 学院の選抜クラスの教師は、或る程度実力の有る者が就けられる。だが、其れは平というには強く、席官というには弱いという程度のもので、帯に短したすきに長し。其の理論でもって選ばれるだけのことである。
 報告によれば虚は下位の席官相当の力、との事だった。であるとするならば、教師風情が倒せる筈もない。己のか、或いは虚のか。実力を読み間違えたか、と阿散井が呆れたとて仕方のない話である。
 「参ったな…。」
 同じ事を思ったのであろう。面倒臭そうに溜め息を吐いた同僚に苦笑を投げかけ、阿散井は言った。
 「おい、こいつらの帰還頼むわ。俺ちょっと向こう見てくる。」
「ああ。阿散井頼む。」
 同僚の声を背に受け、阿散井は手遅れにならない内にと走り出した。


 さて、阿散井は生徒の示した方向に向かったが一向に虚の霊圧を感じない。霊圧を消すタイプの大虚が存在することを知っても居たが、下位の席官レベルで其の様な虚が存在すると聞いたことは無い。
 其れでも油断は禁物だ。いぶかしみつつ、阿散井は只管走った。


 阿散井が漸く現場に辿り着くと其処に女がぽつんと立っていた。手には存外長い斬魄刀を掴んでいる。虚の姿が欠片も見えぬ事実に首を傾げつつ、阿散井は女に声を掛けるべく立ち止まった。
 女が銀色に淡く光る髪をなびかせ、振り向いた。
 「 」
 阿散井は思わず掛けるべき言葉を失った。女は妖魔の如き美貌であった。翡翠の瞳は森を映した湖畔で、長い睫毛に縁取られている。白い雪のような秀麗な面に、一筋筆で刷いた様な紅色の唇が艶やかに動いた。
「生徒には会ったか?」
 玲瓏な声に自身の務めを思い出し辛うじて阿散井が頷くと、女は問いを重ねた。
 「あいつらは?」
 「あ、ああ。もう尺魂界に向かった筈だ。」
 「そうか。阿散井第十席、わざわざ救援すまないな。」
 女はそう満足そうに小さく笑った。何故女は己の名前を知っているのだろうと疑問が脳裏を横切ったが、高鳴る鼓動に其れもすぐさま掻き消された。震える喉を叱咤して問う。
 「名前は?」
 決して忘れられることの無い名を、女は言った。
 「名は、…連雅山統子と。」
 初恋が此の世に存在するのだと。
 現世で死して尺魂界に死に落ち早百余年、初めて阿散井は思い知った。










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