誄詞が読み上げられる中、僕は十番隊隊長だった男の生前について然程知らないことに気がついた。
 十番隊隊長であったこと。怪我が元で長期の入退院を繰り返した挙句、亡くなったこと。知っているのはそれだけだった。
 だが、別に今更知りたいとも思わない。僕が興味を持ち、目指してきた存在はただ一人なのだから。
 僕は隣で献花を持つ白い手の持ち主を盗み見た。男はつまらなさそうに花を回していた。
 憧れた人。そして今尚憧れている人。
 男の下で働けているなど、未だに信じられなかった。


世界は終ってしまったけれど、僕は呼吸をし続けている 3rd.



 「これを以って、三番隊第四席吉良イズルを、三番隊副隊長に任ずるものとする。」
 そう告げたのは、十番隊副隊長の松本さんと、僕よりも一足先に五番隊副隊長に就任していた雛森くんだった。
 もしかして僕は自分に都合の良い夢を見ているのではないか。僕は一度大きく瞳を閉じた。暗闇が世界を支配する。速まる心臓の鼓動に合わせて、瞼の裏で橙色が脈動した。
 雛森くんの指下と畳みとの間でかさりと任命状が音を立てた。
 そうして僕は、漸くそれが現実なのだと悟った。


 隊長と初めて会話を交わしたのは大分前のことだった。未だ僕が学生だった頃の話だ。
 現世へ仮想実習に向かった僕たちは大量の大虚に襲われた。救ってくれたのが、隊長と藍染隊長だった。僕は隊長の力強い背を、目に焼き付けた。
 僕は隊長に憧れていた。心酔していた。雛森くんが藍染隊長のことを語るように、僕は隊長のことを口にした。
 隊長は、一介の学生だった僕のことなど忘れているだろう。僕は隊首室の扉を叩いた。中から声をかけられる。心臓が高鳴った。夢に見続けた姿が、今、目の前に現れる。
 どれだけ待ち望んだことだろう。
 数え切れない程の夜を過ごし、救いきれない程の命を屠り。
 やっと、僕は隊長を一番近くで見ることの出来る地位を手にした。
 「本日より三番隊副隊長に任命されました。吉良イズルです。宜しくお願いします。」
 緊張にもつれる舌を叱咤して、僕は言葉を口にした。隊長が笑った。
 「ああ、あんときの子か。宜しゅうなあ。」
 まさか覚えていてもらえたなど思わなかった。
 それだけで、僕は。
 世界が終るときそのときまで、隊長に心を囚われたことを、悟った。


 翌日。
 僕が上司を得たのと引き換えるようにして、松本さんは上司を失った。
 僕は隊長の斜め後ろをひっそりと付いていった。葬儀の場には相応しくないが、僕は込み上げる喜悦に胸を打たれていた。隊長の傍に立て、僕はただ、幸せだった。
 棺の脇に立ち、松本さんが献花を終えた僕たちに小さく頭を下げた。白くたおやかな手で、一輪の花が揺れていた。
 全てを預けた存在が無くなったはずなのに。
 松本さんはふわりと、花のように笑った。
 麗しい笑みに居た堪れなさと罪悪感を覚え、思わず僕は瞳を逸らした。




 薄暗い世界に、急に光が差し込んだ。眩しさに顔を揚げると、目の前には隊長が立っていた。
 「イズル、おいで。」
 差し延べられた左手は、血で赤く濡れていた。刀から拭わなかった血がパタリパタリと滴り落ち、小さな音を立てた。
 牢は既に開け放たれていた。視界の端に、伏せられた掌が在った。手を起点にじわりと赤が広がっていく事実を、僕はぼんやりと認識した。
 世界が終っても、生き続ける。呼吸を繰り返し、笑う。
 ふと、かつて見た松本さんの姿が脳裏に浮かんだ。それは、生に対する冒涜のような気がした。
 「…市丸、隊長。」
 その先に絶望と終焉としかないことを知りながら、僕は。
 「エエ子やなあ。」
 隊長が笑った。
 掴んだその手は、冷たかった。










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