その日、ギルガメッシュは新都に来ていた。何らかの目的があってのことではない。ギルガメッシュが持て余した時間を潰すため、遊興目的で新都を訪れるのは、これまでもたびたびあった。
ギルガメッシュは聖杯戦争が始まればそんな生活も一変すると期待していたのだが、あいにく、巧くことが運ばなかった。参加者はみな不自然な沈黙を遵守し、いくつか小競り合いこそ生じたものの、殺戮の火蓋が落とされる気配はなかった。学園に張られた魔法陣が作動すれば、状況は変わるだろう。それまでは、ギルガメッシュも待機するしかない。
ゲームセンターで散財したギルガメッシュは、新都を散策することにした。新しいものが立ち並ぶ新都では、店の入れ替わりが激しく、気がつけば新店舗が展開されている。その中には、ごく稀に、ギルガメッシュの興味を引く店もあった。
ちょうど、通勤ラッシュに時間が重なったらしい。ゲームセンターの外は、帰路を急ぐ人々で埋め尽くされていた。何か事件でもあったらしく、それが混雑に拍車をかけているようだ。
だが、ギルガメッシュは意に介さず、ゆっくり歩き出した。
いつもどおり、ギルガメッシュの前は視界が開けていた。王の行く手を阻むものなどいなかった。携帯を耳に当て喚いていた商社マンも、ギルガメッシュの眼差しにぶつかると、口を噤んだ。ギルガメッシュは満足気に頷いた。誰もが王に頭を垂れる能力、それこそがギルガメッシュの保有するスキル“カリスマ”だ。圧倒的な実力差と溢れるカリスマの前に、誰もがギルガメッシュへ膝を屈した。
ギルガメッシュに決然と挑んできた存在は、数え切れるほどしかいない。無二の友としたエルキドゥ、マスターへ据えた言峰、愛すべきセイバー。
ギルガメッシュにとって、この世の全ては、ただ、王を愉しませるための存在でしかない。
そういう意味では、言峰は生かすに値した存在だった。ギルガメッシュは言峰が本性を解放し、血の聖餐を愉しむさまを眺めるのが好きだった。決して手を出さず、勝手を許したのは、決定的に壊れてしまっている言峰の好きにさせた方が、面白かったからだ。世界を統べれば、言峰のような存在と知り合う機会も間々あった。経験上、ギルガメッシュはそのような輩で愉しむ術を熟知していた。
セイバーをわざわざ記憶に留めたのは、無謀と紙一重の気高さを持つ彼女を組み敷き、手折ったならば、さぞかし興じるだろうと判断したからだ。これまでも、そのようにギルガメッシュの興をそそる女は存在した。どの女も凌辱するまでは心惹かれたが、これまでの女同様、セイバーとても一度手に入れれば飽きてしまうのは、たやすく想像がついていた。
出会い頭にギルガメッシュの自由を奪い、殺意を向けられながらも臆すことがなかったアーチャーも、興味の対象ではあった。今では、ギルガメッシュはアーチャーを飼い殺すことなく、どうにかして手元へ置いておきたいと願っていた。アーチャーは、これまでギルガメッシュを惹きつけた者たちと何かが違った。さながら、アーチャーは警戒心の強い野生動物だった。その本能を損なうことなく、ギルガメッシュはどうにかして手懐けたいと思っていた。
ぽつりと雨粒が頬を打った。
ギルガメッシュは僅かに機嫌を損ね、鼻を鳴らした。雨は好きではない。ギルガメッシュは雨宿りも兼ねて、そのとき目を引いた店へ立ち寄ることにした。
そこは宝石店だった。新都開発の際、近代風に改装したのだろう。外観が変わっていて咄嗟にわからなかったが、遠坂家が代々懇意にしている老舗で、ギルガメッシュも前マスターである時臣に連れられて、一度だけ足を運んだことがあった。
時臣は贅沢をさせることでギルガメッシュの歓心を買おうとしたらしいが、世界を手に入れた王を金で釣ろうなど片腹痛かった。もっとも、そのつけを時臣は自らの命で購うこととなったのだが。
10年前を振り返り酷薄な笑みを湛えたギルガメッシュは、記憶を頼りに、店内の一角へ足を向けた。
かつてギルガメッシュの目を引いたプラチナ製の腕時計は、変わらず同じ場所に展示されていた。非常に高額なこともあり、これまで買い手がつかなかったのだろう。デザインは洗練されているが、メーカーもマイナーだ。ブランド志向のある金持ちが手に取るような代物ではない。
腕時計は派手で純金製のものを好むギルガメッシュの趣味からすれば地味であり、ギルガメッシュの持つ豪奢な雰囲気に呑まれてしまうようなシンプルな出来だったが、アーチャーの浅黒い肌に映えるに違いない。
ギルガメッシュは店員を呼び付けると、逡巡することもなく、腕時計を購入した。
ギルガメッシュには、英霊であるアーチャーに占有が難しいことなど、端からわかっていた。それにもかかわらず購入に踏み切ったのは、ギルガメッシュのアーチャーに対する占有欲からだ。それは、ペットにつける首輪とは違った。どちらかといえば、役割はキスマークやリングに近い。他の誰が知らずとも良い。ギルガメッシュはアーチャーに腕時計という徴をつけ、あの美しい生き物は己のものなのだと誇りたかった。
何事もなければ、今宵もアーチャーはギルガメッシュの許を訪れるだろう。最近では、アーチャーとの逢瀬はギルガメッシュにとって唯一の遊興となっている。
店の外へ出ると、雨は上がっていた。通り雨だったらしい。
ギルガメッシュは期待に胸を弾ませて、宝石店を後にした。当初の目論見を考えれば、これほどまでにアーチャーを気にかけてしまっている事実は良くない兆候ではあったが、ギルガメッシュには今更どうしようもなかった。
予想に違わず、アーチャーはギルガメッシュの許を訪れた。
手順はいつも同じだ。ワインを空けて気分を盛り上げてから、ベッドへ場所を移し、身体を重ねる。初めは、唇へのキスだ。そのキスが次第に下降していき、興奮しているのがギルガメッシュだけではないのだと示すようにアーチャーのものが押しつけられる。愛撫が的確すぎる点を除けば、特殊なところなど何一つとしてない。変わりばえのないセックスにもかかわらず、ギルガメッシュはいつもアーチャーに翻弄されてしまう。
臨界点を振り切った快感に、身体が硬直する。アーチャーのもので満たされる悦びに、ギルガメッシュの身体が激しく震えた。とろんとした目で忙しなく息を吐くギルガメッシュの髪を、宥めるようにアーチャーが梳きながら額へキスを落とした。
まるで恋人のようなアーチャーの戯れに、ギルガメッシュは心中失笑を漏らした。互いを憎悪してしかるべき殺し合いの最中に育むには、それはあまりに甘すぎる感情だった。双方にとって、この感傷は邪魔になるだけだろう。
だが、こんなのも悪くない。
「喜ぶが良い。貴様に贈り物がある。」
アーチャーが面白がる笑みを湛えて、先を促した。ギルガメッシュはアーチャーの上になり、キスを返しながら、“黄金の京”から昼間買った腕時計を出現させた。
英霊にとって“占有”は難しい。これが自己満足だということは承知の上だ。マンションの鍵と同じく、アーチャーに“投影”させ、オリジナルは自分で所有しておくつもりだった。
ギルガメッシュが取り出した腕時計に、アーチャーが顔を強張らせた。ギルガメッシュは首を傾げた。アーチャーの目に過ぎった憎悪は、見逃しようがないものだ。
アーチャーはギルガメッシュの身体を押し退けると、身体を起こした。アーチャーのものが抜ける感触に、ギルガメッシュは小さく嬌声を漏らした。アーチャーに慣らされた身体は、まだ快楽を求めている。だが、ギルガメッシュの欲求など意に介さず、アーチャーはベッドを下りた。
「ギルガメッシュ、貴方にとって私はまだその程度の存在なのか。」
久しぶりに向けられた眼差しに、ギルガメッシュの中で興よりも、困惑が勝った。何かがアーチャーの機嫌を損ねたことこそ判断がつくものの、一体何が契機なのか、ギルガメッシュにはわからなかった。
眉根を寄せるギルガメッシュへ、アーチャーが自嘲の笑みをこぼした。
「――…“贋作者(フェイカー)”か、よく言ったものだ。」
言い捨て霊体化してしまったアーチャーに、一人残されたギルガメッシュは羞恥と憤怒から眦を紅く染めた。身体が疼いて仕方がない。火照る躯を鎮めないまま姿を消したアーチャーに、否応なしに怒りが募った。
「あの痴れ者がッ、我を誰と心得る!」
ギルガメッシュは腕時計を壁へ投げつけた。
誰もいない部屋に空虚な音が響いた。
明晩、アーチャーは姿を見せなかった。
二日後、ギルガメッシュは苛立ちながら遠坂邸へ足を運んだ。私室で庶務を片付ける言峰に探りを入れたところによれば、アーチャーは凛とともに遠坂邸へ帰宅したとのことだった。
「珍しく執着するな。」
頬杖をついて笑う言峰に、ギルガメッシュは蔑視を向けた。詮索されるのは好きではない。言峰は腹の内の読めない笑みを湛えたまま、ギルガメッシュへ釘を刺した。
「あまり深入りするな。言わずともわかっているだろう?」
「はっ、愚問だ。」
改めて口にするまでもない愚問だった。
ギルガメッシュは踵を返し、私室を後にした。言峰の物問う視線が後をついて回ったが、ギルガメッシュは弁明しなかった。王が言い訳を口にするなど、見苦しい。自分が深入りしすぎていることは重々承知だ。
最近では比例するように、言峰と過ごす時間が少なくなってきていた。元々、ギルガメッシュの関心は言峰の破綻した言動にあるので、共に過ごす必要はないのだが、この事実が何を示しているのかわからないほどギルガメッシュも言峰も愚かではなかった。
ギルガメッシュは腹立ちでは隠しきれない不安に、我慢がならなかった。偉大なる王がたかが愛人如きの歓心の喪失に怯えるなど、本来ならばあってはならない事態だ。このような失態を招いた事実に、ギルガメッシュは激しく動揺していた。ギルガメッシュが自覚していた以上に、アーチャーは大事な位置を占め始めているらしかった。
第四次聖杯戦争の折には、屋敷で過ごしたこともあるギルガメッシュは、張り巡らされた罠を掻い潜り、迷うことなく庭へ向かった。アーチャーの気配は庭の方からしてきていた。席を外しているのか、凛の魔力は感じなかった。
遠坂邸の庭では、時期外れの白薔薇が咲き乱れていた。品種改良されたものだろう。
芯から魔術師であった時臣は、改良というものに造形が深かった。その改良は、魔術回路だけではなく、宝石や屋敷を彩る植物にも及んだ。しかし、どれだけ磨きをかけようとも、人工物では天然物に太刀打ちできるはずがない。原石を磨くのではなく原石に似た贋作を造り出そうとする時臣の無駄な足掻きも、当時のギルガメッシュにはひどく癇に障った。
ギルガメッシュの突然の来訪にも、アーチャーが驚く様子はなかった。
込み上げる苛立ちに舌打ちをこぼし、ギルガメッシュは庭へ設けられた椅子へと腰を下ろした。偉そうに長い足を組むギルガメッシュを、アーチャーが一瞥する。アーチャーのすげない態度に、ギルガメッシュは眉間にしわを寄せた。王にわざわざ足労させておきながら、この態度である。本来であれば、殺されても文句を言えない所業だ。
「何故来なかった。我を待たせるなど、不敬にもほどがある。」
吐き捨てるギルガメッシュへ、アーチャーは腹の内を読ませない笑みを浮かべると、ティーセットを手に取った。ちょうど、紅茶を淹れている最中だったらしい。
ギルガメッシュの眼下へ白磁のティーカップが置かれた。注がれたアールグレイは芳しい香りを放った。王に相応しい一流の品だ。
普段であれば、ギルガメッシュも紅茶を喜んで味わっただろう。だが、今ばかりは余裕がなかった。ギルガメッシュは流麗な眦を吊り上げると、カップの中身をアーチャーの顔へぶちまけた。多少熱いとはいえ、魔力を保有しない液体では英霊に危害を与えられない。アーチャーは苦笑をこぼし、濡れて額へ張り付く前髪を掻きあげた。
ギルガメッシュは歯噛みした。アーチャーは、ギルガメッシュに退席願いたいのだ。ギルガメッシュとしても、今はまだ、己と通じていることを知らせ、アーチャーに対する凛の心象を悪くするつもりはない。その弱みを、アーチャーは承知しているのだ。
「お気に召さなかっただろうか。生憎、ワインは切らしていてな。」
抜け抜けとうそぶくアーチャーに、ギルガメッシュの我慢が限界を超えた。
「貴様、我をたばかるか!」
ぱしんという小気味良い音が響いた。
ギルガメッシュはアーチャーの頬を打った手を握り締め、きつく睨みつけた。ギルガメッシュの平手打ちを、アーチャーは避けようともしなかった。それがまた、ギルガメッシュの不興を煽った。
悔しさから唇を噛み締めるギルガメッシュの髪を、アーチャーが手に取った。
「…王よ、凛が戻って来る。続きはまた今度。」
金糸へ甘くキスを落としながらも、感情が押し殺されたアーチャーの声は平坦だ。ギルガメッシュはアーチャーの真意が読めず、次に何をすべきなのか、まったくわからなかった。
アーチャーの不敬は許し難いものだ。これを機に切り捨ててしまえば良いと、ギルガメッシュの理性は声高に叫んでいた。しかし、ギルガメッシュはどうしてもアーチャーを手放したくなかった。
これほどギルガメッシュが執着した存在は、エルキドゥ以来だろう。
ギルガメッシュはアーチャーの胸倉を掴みあげると、力づくで引き寄せて唇へ噛みついた。キスというのもおこがましい、衝動によるものだった。
「貴様、今宵は必ず来い。さもなくば殺す――…ッ!」
羞恥に頬が赤らんでいる。ギルガメッシュは舌打ちをこぼして、アーチャーを突き放した。
ギルガメッシュにはこれほどアーチャーに執着するつもりはなかった。あのとき、気紛れを起こした自分が恨めしかった。これも余興と愉しまず、さっさと殺していれば良かったのだ。後悔するも遅い。
ギルガメッシュは耐えかねて、逃げるように歩き出した。
「…続きはまた今度。」
背後から耳に届くアーチャーの声は、先ほどまでと違い、どこか甘さを含んでいる。
ギルガメッシュは自嘲の笑みをこぼした。単にそう思いこんで、錯覚に縋りたいだけかもしれなかった。
初掲載 2012年4月1日