/daydreams 第五話   ※死にネタ


 教会に帰る気にもなれず、そのままマンションへ足を向けたギルガメッシュは、ソファに身を預け、長らく一人でワインを飲んでいた。“黄金の京”に貯蔵されてしかるべきワインは、自棄酒のため消費されるには貴重すぎたが、ワイン程度、金を出せばいつでも手に入る。
 ギルガメッシュは空になったワインボトルを床へ投げつけた。敷かれた厚い絨毯が緩衝材となり、ワインボトルが割れるのを妨げる。それがまたギルガメッシュの気に触った。
 ギルガメッシュは苛立ちのままに指先でテーブルを叩きながら、新たに取り出したワインを一気に呷った。高々と昇った月は、頂を過ぎて沈み始めようとしている。王の寵愛を撥ねのけた愚かものを殺す算段をすべきなのか、ギルガメッシュは決めかねていた。
 結局、アーチャーが姿を見せたのは、夜半過ぎだった。
 アーチャーは白いかんばせを紅くして酒に溺れているギルガメッシュに少し驚いた様子で眉をひそめた。イレギュラーに受肉した身とはいえ、元来はサーヴァントだ。常人とは異なる身体の造りをしているギルガメッシュが、酒を過ごすことは滅多にない。アーチャーはその事実を知っているらしかった。
 「…遅いぞ、我を待たせるとはどういう了見だ!」
 知らず、声色が恋人を待ち侘びて駄々をこねるもののそれになる。ギルガメッシュは唇を噛んだ。王の中の王が、たかが愛人ごときを待ち侘びるなどあって良いはずがない。むしろ、その到来を焦がれるべきはアーチャーだろう。
 ふいに口を噤むギルガメッシュにも、アーチャーが心を動かされた様子はなかったが、その唇から小さな嘆息がこぼれ出た。何事か紡ごうとした唇が、諦めまじりに閉ざされる。アーチャーは感情の読めない微かな笑みを湛えてギルガメッシュへ歩み寄ると、ソファへ片手をつき、唇を奪った。強引でいながら、どこかひどく甘ったるいキスに身体が蕩けていく。ギルガメッシュはアーチャーの首へ腕を回して、続きを強請った。アーチャーの重みに耐えかねて、ぎしりとソファが軋む。
 「…もし私が神父を倒したら、どうする。」
 沈黙を破ったアーチャーの問いかけに、ギルガメッシュはおかしがるように目を眇めた。
 「どうもせん。それだけの実力だったということだろう。」
 ギルガメッシュはアーチャーを焦らすように早くもテントを張っている部分を指でなぞり上げた。
 「だが、腐っても我のマスターだ。そう簡単にはやられるとは思わんが?」
 心臓を潰されても動き続ける“人間”を前に、斃そうという意志を挫かないのは、並大抵のことではない。ギルガメッシュには、言峰が自分以外の存在によって倒されるとは到底思えなかった。
 口端に嘲笑を浮かべるギルガメッシュに、アーチャーが苦笑した。ギルガメッシュは訝しみ、目を瞬かせた。もしかすると、アーチャーはギルガメッシュを知悉していたように、言峰の秘密も知っているのかもしれなかった。
 だが、どうでも良いことだ。
 ギルガメッシュは情欲に身を焦がし、アーチャーへ続きを催促した。どちらに転んでも、ギルガメッシュは愉しめるだろう。
 頬に添えられたアーチャーの手が力強さを増し、唇が深まっていく。ギルガメッシュは唾液が顎を伝い落ちるのも構わず、与えられる刺激に陶然とした。二日ぶりの逢瀬に心が弾んでいるのは、否定しようがない。アルコールに思考能力が麻痺していた。こんなときに意地を張るなど、馬鹿げている。心からそう思った。
 そのとき、ふいに顎に触れた冷たさに、ギルガメッシュの意識は現実に戻った。すぐさま脳裏を過ぎったのは、以前実際に用いられた“天の鎖”の劣化版の存在だった。一瞬にして、熱が冷めた。眼前のアーチャーは熱い息を吐きながら、ギルガメッシュの下着に手をかけている。下着は過剰なアルコールのせいで緩慢にしか勃ち上がらないもので押し上げられ、染みが出来ていた。ギルガメッシュは無意識のうちに脱がせやすいよう腰を浮かせながら、油断なく、先ほど触れた異物の所在を探った。
 「それは…、」
 驚きに目を見張り、腕を掴みあげたギルガメッシュに、アーチャーが困ったように薄く笑った。
 アーチャーの手首には、ギルガメッシュが先日贈ろうとした腕時計がはめられていた。それが単なる複製品であったなら、ギルガメッシュもこれほど驚愕しなかっただろう。何年にもわたって使いこまれた跡のあるそれは、ギルガメッシュが贈ろうとしたものでありながら、贈りつけた品ではなかった。
 確かに、ギルガメッシュはアーチャーが未来から来た反英雄なのではないかと疑っていた。いつかの自分にとって近しい存在なのだろうと思っていた。
 だが、これは――。
 「貴様は何者だ、“アーチャー”。」
 震える声で問うギルガメッシュに、アーチャーが自嘲の笑みを浮かべた。自己嫌悪と自己憐憫の中に、開き直りとも思えるふてぶてしさが垣間見えた。アーチャーはあっさりギルガメッシュの拘束を解き、その指へ指を絡め、哀願するような声で囁いた。
 「――何者でもない。私は、私だ。それでは不満か?」
 下着にかかっていたはずの手が、ギルガメッシュの秘められた後孔に埋められる。無遠慮に擦り上げる指の動きに疼きとも痺れともわからない快感が広がり、ギルガメッシュは口惜しさから唇を噛んだ。はぐらかそうとするアーチャーに苛立ちが募った。
 だから、衝動に任せて吐き捨てた。
 「不満などあるか、くそっ!貴様が何者だろうと、我には何でも良い!貴様が、貴様でさえあれば、我は――…ぅくッ!」
 出し抜けに指を抜き取られたせいで、罵倒は尻すぼみになった。
 咄嗟に殺しきれず喘ぎ声を漏らしてしまうギルガメッシュの腰を押さえつけ、アーチャーが怒張したものを性急に突き入れる。慣らす時間すら惜しむように始まった激しい交接に、ギルガメッシュはソファから振り落とされまいとアーチャーの背に爪を立てながら、ただただ悲鳴めいた嬌声を上げ続けた。
 まるで、嵐の海に放り出されたような感覚だった。立て続けに無理矢理絶頂に叩き落とされ、足腰から力が抜けた。搾り尽くされたものからは、とろとろと力なく精液を垂らすのがやっとだ。それにもかかわらず、中は先を強請るようにきつく締め付け、アーチャーの形を覚え込まされてしまう。
 類稀なる美貌を涙と涎で汚しながら、ギルガメッシュは甘く唇を重ねて来るアーチャーにつたなく舌を絡め返した。ギルガメッシュの激昂にアーチャーは沈黙で応えたが、ギルガメッシュにはどこか安堵したように見て取れた。今はこれで良しとすべきなのだろう。深い落胆を胸に、ギルガメッシュの意識は闇へ堕ちていった。




 空は紅く染まっていた。扇情的な鮮血の色だ。
 このときを10年待った。やっとだ。やっと、言峰の願望は成就するのだ。
 不思議と心は凪いでいた。達成感と引き換えの空虚。それがギルガメッシュの心を蝕んでいた。あの赤い弓兵の姿が浮かぶたび、死に逝く友の言葉と共にやりきれない惨めさが広がった。孤高――孤独ゆえの絶望だった。
 『倒してしまっても構わんのだろう?』
 先ほど、臨戦態勢の言峰を前に言い切った男。ギルガメッシュが耳にしていることは、承知の上だろう。宣誓布告、あるいは、最後通牒と言うべきか。
 ギルガメッシュのパートナーを倒せると信じて疑わない慢心が、哀れでもあり、愛おしくもあった。
 ギルガメッシュは状況に似合わぬ穏やかな笑みを湛え、後背の青年を振り返った。
 アーチャーを犠牲に送り込まれたセイバーのマスター――名を何と言ったか興味もないので忘れてしまった――が、こちらを睨みつけていた。
 それは、何の面白味もない平凡な青年だった。本来であれば、アーチャーが犠牲になる価値のない男だ。聖杯に賭ける確たる願望すら持たず、他者が遺した理想を己に据えて夢にした空虚な男。平凡というには歪だが、ギルガメッシュの興味を惹くには精彩に欠く青年が、かのセイバーのマスターであるなどと、ギルガメッシュには到底信じられなかった。
 青年は微笑を浮かべるギルガメッシュに、戸惑うように眉をひそめてから、とりなすように双剣を構え直した。警戒しているのだ。警戒したところで、今生を生きる人間と謳われし英霊との圧倒的な実力差が埋まるはずもなかろうに。侮蔑を覚えて鼻を鳴らしたギルガメッシュは、青年の持つ双剣の形状に僅かに目を見張った。
 その漆黒の剣には見覚えがあった。干将。アーチャーが愛用する武具だ。
 そのとき初めて、ギルガメッシュは眼前の青年を意識の内に捉えた。
 日本人には珍しい赤毛は短く刈られている。肌は日本人らしく黄色味を帯び、何か運動でもしているのか、健康的に焼けていた。戦争の経験を経て精悍さを帯び始めた頬は、いまだ思春期の面影を色濃く残し、発展途上にある肉体は薄くこそないものの昨今の若者らしく、鍛え抜かれた身体とは到底言い難かった。
 そこいらの石ころとダイヤモンドほどに違う。アーチャーと眼前の青年を結び付ける要素など、何一つないかに思われた。アーチャーのスキルは、投影だ。この青年の武具を複製した可能性も多分にあった。
 だが、その眼。薄暗い閨で幾度となく見詰めた濃褐色の眼が、真相を告げていた。眼前に在るのは、ダイヤモンドの原石だ。いまだ歪で醜く、研磨されることでようやく真実の輝きを放ちえる未熟な石。
 あの日、アーチャーはどのような思いで、セイバーたちに微笑を見せていたのだろう。
 一体、どのような思いで、召喚されたサーヴァントとしてこの聖杯戦争に参加していたのだろう。
 いつ、自分は眼前の青年に腕時計を贈ったのだろう。
 「ははは!鶏が先か卵が先かとは良く言ったものだ、とんだ笑い草ではないか!」
 突如高らかな笑声を上げたギルガメッシュに、青年が不審げに眉根を寄せた。
 腹を抱えて笑いながらも、ギルガメッシュはかつて言峰とかわした会話を思い返していた。言峰は殊の外、この青年に執着していた。その理由は、セイバーに由来していたはずだ。
 確か、――そう、確か、この青年の姓は、衛宮だった。キリツグの遺志を継ぐ男。
 ギルガメッシュは目尻に浮かんだ涙を拭い取ると、警戒に身を強張らせている青年へ嫣然と微笑みかけた。作為的なものではなく、自然とこぼれ出たものだった。
 「名を――」
 ものわかりの悪い子へ言い聞かせるように、ギルガメッシュはゆっくりと問いかけた。
 「名乗るが良い、雑種。貴様には、我が名を尋ねるだけの資格がある。」
 「…俺の名前は、衛宮士郎。」
 「エイミシロウ、エミヤシロウか。その名、確かに刻んだぞ。」
 衛宮士郎にどのような経緯で自分が身体を許したのか、腕時計を贈ったのか、ギルガメッシュには想像もつかなかった。だが、愛憎が育まれ、肢体を知悉されるに足るだけの長い時間を共に過ごしたことだけは確実だった。それは、もしかすると、言峰と過ごした10年よりも長かったのかもしれない。ギルガメッシュには、それが愉快でならなかった。
 「我の名は、ギルガメッシュ。最古の王。全力で我に挑むが良い、エミヤシロウ。」
 ギルガメッシュは満面の笑みを浮かべて、“黄金の京”を開いた。
 「その武でもって、我を服従させてみせるのだな!」
 死の間際、友はギルガメッシュの孤独を嘆いた。孤独は充たされぬ飢餓のようにギルガメッシュを苛めた。ギルガメッシュは友を奪った神を怨み、世界を厭い、なにより死を呪った。
 だが、その無念はここに至ってようやく、晴らされるのかもしれなかった。











初掲載 2012年6月24日