撮影は無事に終わり、解散となった。撮影の再開は3日後だという。ドラマの撮影が落ち着くまでは、他に番宣のバラエティ番組出演くらいしかスケジュールに入っていないアーチャーの仕事の再開も、3日後になる。泊まり込みの撮影の合間に、他の仕事を入れる気になれなかったのだ。本職がモデルのランサーも同じだろう。
つまり、2日間は、オフということになる。
人目もはばからず手を繋がれたアーチャーは、そのまま、ランサーのマンションへと連れて行かれた。図らずも、アーチャーがランサーのことを気にかけているという事実を口にしたせいで、機嫌は改善されたようにも見えるが、油断は大敵だ。しっかりと恋人繋ぎで握り込まれた手が、逃がさないという決意を表している。
「ランサー、ごめん。俺も男だ。悪かったって認める。」
マンションに着くなり、アーチャーはあっさりランサーに全面降伏した。自分に非があるとわかっていてなお、認めないほど、アーチャーも子供ではない。ランサーは気まずそうに頬を掻くアーチャーを一瞥したが、手を離そうとせず、適当にローファーを脱ぐと中へ上がり込んだ。まだ機嫌は悪いのだろうか。アーチャーもスニーカーを脱ぎ捨てて、ランサーの後に続いた。
アーチャーにとって、ランサーはミステリアスだ。正直に言ってしまえば、何を考えているのかさっぱりわからない。今も、アーチャーには、ランサーの目的が皆目見当つかなかった。
焦りを覚えたアーチャーは、先を行くランサーの背に抱きついた。もともと、自分の方に非があるという負い目がある。
「な、なあ。ほんとごめん。お前が望むんだったら、三倍返しでも何でもするから、機嫌直せって。な?」
ぴたりとランサーの足が止まった。アーチャーがほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、満面の笑みを浮かべたランサーが言った。
「本当に、何でもしてくれるのか?」
まさか、これを狙っていたんじゃ。
後悔するももう遅い。根が真面目にできているアーチャーは、信義を重んじて、不承不承頷き返した。眼下のアーチャーのつむじへキスをして、ランサーがしごく機嫌良さそうに微笑む。アーチャーにはそれが、悪魔の笑みにしか見えなかった。
すぐベッドへ誘われるものかと思いきや、急に普段どおり寛ぎ出したランサーには、何か策があるらしい。
5日間に及ぶロケの前に、冷蔵庫を片付けてしまっていたにもかかわらず、買い物に行く時間がなかったため、久しぶりに二人きりで食べる夕飯は、冷凍しておいたソースと乾麺でパスタだった。もちろん、料理上手のランサーが振る舞うのだから、それなりの味である。久しぶりに許されたアルコールも、ごちそうの一部だった。
しかし、ランサーに何をさせられるものかと緊張しているアーチャーは、気が気ではなく、食べた気もしなかった。元来小心者のアーチャーにとって、眼前で嬉しそうに頬を緩めているランサーは、不穏以外の何ものでもない。あいにく、ここ数カ月の付き合いで、アーチャーはランサーが変態だと知っていた。メイド服を着てみせてくれと乞われたのは、記憶に新しい。
衣装は、メイドと言われたときに真っ先に脳裏に思い浮かべるような秋葉系のものではなく、英国の貴族屋敷に居そうな古風な代物で、足首まであるスカート丈にレースのエプロンがついていた。
それを男が着てみせて何が楽しいのか、ランサーの意図するところがまったくわからないが、変態の変態であるゆえんを、アーチャーが理解するなど、おこがましいにもほどがあるのだろう。
そう判断して、アーチャーは撮影に支障が出ることを理由にやんわり断っていた。それが、ちょうど宿泊ロケ突入前日の出来事だ。だから、今日は十中八九着用させられることだろう。ランサーの目は、いくとどなく壁にかけられたメイド服へ向けられている。アーチャーは押し寄せる不安に、ビールを呷った。
入浴を勧められた頃には、アーチャーはすっかり出来上がっていた。先に入浴を済ませたランサーは、寝室にいるという。アーチャーは入念に体を洗うと、バスローブを身にまとい、ランサーの待ち受ける寝室へと急いだ。
やはり、というか、何というか。アーチャーが予想していたとおり、ベッドの上にはメイド服が広げられていた。一見した限り、下着にガーターベルト、カチューシャ。一通りのものは揃っているらしい。ランサーはといえば、英国紳士がまとうようなスーツ姿だ。雑誌から飛び出して来たようなランサーの端麗な立ち姿に、アーチャーは目を奪われた。しかし、考えてみれば、ランサーは本職のモデルだ。こうも驚く必要はないのかもしれない。とはいえ、最近はランサーの変態な部分ばかり見せられているため、アーチャーの感慨もひとしおだった。
「じゃあ、これを着てみせて欲しいな。」
心底楽しそうに、ランサーが言う。アーチャーは腹を括って、メイド服をまとおうとしたが、それを制したのはランサーだった。
「?…何だよ?」
「俺に着させてくれ。」
どういう趣向なのだろう。鼻白んで何度も瞬きを繰り返すアーチャーに、ランサーが、女性ならば誰しもうっとりするような笑みをこぼした。
「さあ、バスローブを脱いだら、ベッドに腰かけて。」
そうご機嫌に命じられてしまえば、アーチャーも従うしかない。今日はランサーのしたいことを何でもする、と宣言してしまったのは、自分なのだ。後悔してももう遅い。アーチャーはバスローブを男らしく脱ぎ捨てると、ベッドへ腰を下ろした。今だけの辛抱だ。
ランサーが目を眇めて、アーチャーの肉体を見つめた。舐めるような視線に、ランサーの愛撫に慣らされた身体がじんと熱くなってくる。ランサーの視線があっさり逸らされたことを、アーチャーはそれまで存在を認知すらしていなかった神に感謝した。
「まずは下着からだな。少し腰を浮かせて。」
そう言って、ランサーがアーチャーの足を取り、シルクのパンティを履かせた。アーチャーの心配をよそに、サイズは男のものだった。しかも、どういうわけか、サイズがアーチャーにぴったりだ。一体どこでこういうものを手に入れるのだろうという疑問以上に、どうやって自分のサイズを計ったのだろうという不審の方が、アーチャーの中では強かった。もちろん、問い詰めたところで、ランサーが吐くはずもない。アーチャーは気付かなかったふりを決め込むことにした。
パンティの次は、ガーターベルトだ。請われるまま、アーチャーはランサーの言うとおりにふるまった。ストッキング。ブラジャーは変態の仲間入りをしたようで、ものすごく恥ずかしかったが、熱心に背中のホックを止めるランサーを前に言うのもはばかれて、アーチャーは口を噤んだ。
シャツ。ワンピース。エプロン。
最後にカチューシャの位置を入念に直してから、ランサーは身を離し、その出来栄えを確かめた。細身とはいえ、アーチャーの身体にはしっかり筋肉がついている。男女の垣根を越えた豪奢な美貌も、かつらでも被ればまた話は別だっただろうが、髪が短いために、性別を誤認することは難しい。
それでも、ランサーは満足そうに頷くと、片膝をついて、アーチャーの手の甲へ唇を押し当てた。ドラマで見せる騎士のような仕草に、アーチャーは困惑し、顔を俯かせた。しかし、目敏いランサーは、アーチャーの赤く色づいた耳に気付いたようだ。幸せそうに頬を緩めた。
「今日であれから1ヶ月だ。」
「そうだな。」
「記念すべき日だ。俺は嬉しい。」
そう言いながら、ランサーがアーチャーにキスをしてくる。これで、メイド服という特殊な状況になければ、アーチャーも素直に感動したかもしれないが、いかんせん、状況が状況だった。何と返せば良いのか言葉に困るアーチャーへ、立ち上がったランサーが懇願する。
「じゃ、舐めてくれないか。」
この展開はおかしくないか。
言葉を失うアーチャーの口元へ、取り出されたランサーのものが運ばれた。確かに、三倍返し、三倍返しするうちには、舐めてもらったし、舐めるのも含まれるのかも、いやいやいや、でもちょっと待て展開がおかしいだろう。膝の上で両手を握り締め、固まるアーチャーに、ランサーがふっと微笑んだ。アクシデントに弱いアーチャーが、こうなることはお見通しだったらしい。
鼻を摘まれて、息苦しさに口を開けた隙をつかれた。急に押し込められたそれに、アーチャーは目を白黒させて、必死に歯を立てないよう自制した。アーチャーを思って丁寧に洗ったのか、それは無味無臭で嫌悪感もなかったが、もちろん、同性のものだと思えば良い気はしない。様子を窺いながら緩く腰を振って来るランサーの太腿に、アーチャーはしがみついた。
いつも、ランサーがどうやってくれているのか思い出そうとしても、次第に口内に広がって来る背徳的な味に、頭が霞んできてしまう。ろくに舌すら絡められない愛撫でも、鼻からくぐもった声をあげて奉仕するアーチャーを見て、ランサーは満足したらしい。
「っ、アーチャー…――!」
抽送が激しくなって間もなく、ランサーがアーチャーの口からそれを引き抜いた。最後の仕上げとばかりに手でしごかれたそれから、勢い良く飛び出した白濁がアーチャーの顔を汚す。アーチャーは呆然と、ランサーを窺った。困惑した表情は、いつも以上に幼く見える。ランサーが膝かっくんに情熱を注ぐのも、膝かっくんしたときのアーチャーのこの表情が見たいからだ。ランサーはぺろりと舌で唇を舐め上げた。
「すごく、そそられる。」
許されるものならばこのままアーチャーを食べてしまいたかったが、あいにく、今日は予定がある。ランサーは、顔についた白濁をどうするべきか決断が下せず、おろおろしているアーチャーに一つキスをすると、ベッドへ押し倒した。
ランサーのものを舐めて、興奮したのだろう。スカート越しにもわかるほど、アーチャーのものは立ち上がりを見せていた。ランサーはそれに触れることのないよう、スカートの中へ手を差し込み、僅かに開かせた足の間からゆっくりパンティを下ろしていった。焦らす動きに、期待を募らせたアーチャーが潤んだ目でランサーを見上げて来る。ランサーはアーチャーへ頷いてみせると、パンティを足首から引き抜いた。
「アーチャー、今日は何でもしてくれるんだよな?」
問いかけながら、ランサーはパンティの芳しい香りを胸いっぱい吸い込んだ。先走りでしみのついたパンティからは、アーチャーの香りがした。どんな香水にも勝る、アーチャーの体臭だ。
己のパンティの匂いを嗅ぐランサーの言動に、アーチャーは引いた様子だったが、それでも首肯してみせた。変に片意地で真面目だから困ったことになるのに、アーチャーは気付かないらしい。ランサーは笑いながら、アーチャーの隣へ寝そべった。
「じゃあ、自分で慣らしてみせてくれるか?」
ランサーが一方的に捧げる快楽に慣れていたアーチャーは、こんなことを命じられるなど、考えもしなかったのだろう。目を丸くして、絶句している。
「ほら、早くしないと辛いのはアーチャー自身だぞ。」
ランサーは足を伸ばすと、努めて触れないようにしていたアーチャーのものを膝で擦り上げた。急に与えられた荒っぽい愛撫に、アーチャーが膝を擦り合わせる。
「んっ…そんなこと、言ったって、俺っ。」
「いつも俺がしているようにすれば良いだろう。」
駆り立てるだけ駆り立てて、愛撫を中断するランサーへ、アーチャーがどこか恨めしげな熱い目を向ける。いつもならば、その眼差しだけで、ランサーはアーチャーの望みを汲み取り、先へ進んだだろう。だが、今日ばかりはどれだけ乞われようとも続きをしてやるつもりのないランサーは、素知らぬ顔で肩を竦めてみせた。
「ほら、やってみせてくれ。ローションがどこにあるかは、知っているだろう?」
ランサーの無慈悲な態度に、アーチャーが唇を噛んだ。人前で恥ずかしげもなく自分で慣らすか、このまま我慢するべきか。アーチャーのジレンマが手に取るようにわかるランサーは、焦らず、アーチャーが決断するのを待った。
もちろん、こんなのは出来レースだ。
「くっそ…お前、覚えてろよ…!」
「もちろん、忘れるわけがない。」
ランサーはうそぶいた。端から、結果などわかっていた。極上の快楽を教え込まれたアーチャーが、待ち受けるものを知りながら、我慢できるはずなどない。
「俺を呼ぶときは、旦那様にしてくれ。その方が萌える。」
「―――っ、この変態!」
「それは、最初のときから知ってたはずだろう?」
にやにや人の悪い笑みを浮かべるランサーを、アーチャーが睨みつける。しかし、欲情しきった顔でそんなことをされても、怖いわけがない。そそるだけだ。ランサーは興奮に先ほど吐精したばかりのものを固くしながら、アーチャーがベッドサイドに仕舞われていたローションを掴み取るのを見守った。
掌へローションを垂らすと、アーチャーは腹立たしげにスカートを捲り上げた。差し込まれた手が、緩慢に動かされる。丈の長いスカートのせいで、ランサーからは慣らす手元は見えないが、時折漏らされる鼻から抜ける声と、くちくちという水気のある音が、アーチャーの努力を如実に示していた。
「ふっ…ん、っ…!」
アーチャーは熱い息を吐いて、快楽をやり過ごそうとしている。先月まで人肌を知らなかったアーチャーには、ランサーの眼前でこのような自慰めいた真似に耽っているなど、認められないのだろう。固く瞼は閉ざされたままだ。しかし、その意志に反し、男のものの味を知った肉体は、どこまでも貪欲だ。むしろ、羞恥するからこそ、よりいっそう感じるのかもしれない。ランサーは湧きあがる興奮を抑え難く、生唾を飲んだ。
「ランサー…っ。」
甘い声と共に、ふるりと長い睫毛が震えた。瞼がゆっくり開かれていく。こぼれ落ちそうなほど目を蕩けさせて、アーチャーが囁いた。
「もう、むりだ…。ランサーの、ちょうだい…っ。」
心から待ちわびていたはずの台詞にもかかわらず、ランサーはとっさに反応できなかった。まさか、こんな直接的な懇願が、アーチャーの口から聞けるものとは思っていなかったのだ。だが、ランサーの動揺を、アーチャーは誤解したらしい。ひどく悔しそうに歯噛みしてみせた。
「ラン…、だ、旦那さま。お、俺に、お情けを、くっ、ください…!」
アーチャーは今にもべそを掻きそうにしゃくりあげながら、横たわるランサーの上へ跨ると、悔しそうにスカートの裾を持ち上げた。よほど恥ずかしいのだろう。首まで真っ赤だ。そそり立ち涎を垂らすものの奥で、赤く濡れそぼった後孔がひくひくと収縮を繰り返しているのが見えた。
ランサーは呆気にとられて、アーチャーの恥辱に歪む美貌を見つめた。正直、ここまでは期待していなかった。旦那さま呼びも、アーチャーを揶揄するために口にしただけで、どうこうするつもりはなかった。
「おっ、俺にここまで、させておいて、ま、まだっ、お預けなのか…?!」
反応を示さないランサーに、いよいよアーチャーの目が潤みを帯びて来る。とうとうぽろりと零れ落ちた涙に、ランサーは慌てて上半身を起こすと、アーチャーの痩躯を掻き抱いた。心臓が破裂しそうだ。ランサーはアーチャーの頬へ両手を添え、真正面から熱っぽく囁いた。
「アーチャー…。お前、俺を萌え殺すつもりか…。」
アーチャーが肩を震わせながらも、白けた視線を向けて来る。これでこそ、いつものアーチャーだ。ランサーは胸を撫で下ろすと、枕の下に隠していたコンドームを着け、アーチャーの腰をゆっくり下ろさせていった。
熱望したものがやっと与えられる喜びに、アーチャーの中が絡みついて、ランサーを離すまいとする。気を許せば、すぐさま、中に放ってしまいそうだ。ランサーは熱い息を零して、同じように肩で息を吐いているアーチャーへ唇を重ねた。
「ランサー…っ。」
「ん?何だ、どうした。」
「俺、ちゃんとっ、お前のことすきだから…。」
息も絶え絶えに、アーチャーがランサーに額をつけ、真正面から覗き込みながら、ぽつりと呟いた。熱に浮かされて口が滑ったというには、あまりに真摯な愛の告白だった。ランサーは何か返そうと口を開いたが、結局何も言うことができないまま、唇を震わせた。
アーチャーがランサーを凝視している。ポーカーフェイスで知られるランサーが顔を赤らめているなど、さぞや見物だろう。ランサーは顔を赤くしたまま、アーチャーにキスをした。むろん、黙らせるためだった。
先ほどまで泣いていたのが嘘のように、アーチャーは満面の笑みでランサーの唇を受けた。アーチャーは今日初めて、ランサーに一矢報いたのだ。しかも、待ちわびていた抽送が、ようやく与えられるのである。ご機嫌なのも、当然だった。
良い香りがして、感知すると同時に、ぐうと腹が鳴った。
アーチャーは目を擦りながら、時計を見やった。時刻は正午を回っている。十分寝たにもかかわらず、酷使したせいで節々が痛む身体は、悲鳴を上げていた。しかし、これ以上ベッドに横たわっていても仕方ない。腹も減っていた。アーチャーは疲労の隠しきれない体を押して、上半身を起こすと、大きく伸びをした。
幸い、昨夜の後片付けは、ランサーがしてくれたらしい。これで白昼からメイド服など見せられたら、アーチャーはしばらく立ち直れなかっただろう。アーチャーは安堵の息を漏らし、ベッドから立ち上がった。ランサーは朝食兼昼食を作っているのだろう。キッチンへ向かおうとしたアーチャーは、意和感に気づき、首を傾げた。いつの間にか、左手の薬指で光るものがある。
「…あいつ、ほんと、きざなやつ。誤解するだろ。」
もっとも、そんなところに惚れたのだ。アーチャーはリングへキスを落とすと、足取りも軽やかにランサーの許へ向かった。お返しに、ランサーの顔を赤くしなければ、気が済まなかった。
初掲載 2012年3月21日